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国際仲裁で失敗しないために 紛争解決の鍵は?

弘中 聡浩

 わが国の外国での企業活動に伴う民事紛争の有力な解決の手段である国際仲裁手続。外国の仲裁判断の承認・執行を多国間条約で多数の国が認め合うことで実効性を担保しているが、いざ重大な国益が絡む場合、紛争当事国の裁判所が仲裁差止めを認めるなど、紛争当事国が仲裁に干渉する事態も起きる。そのような中でも、わが国の企業が有利な解決を勝ち取るためには何が必要か。弘中聡浩弁護士がインドネシアのエネルギー事業をめぐる外国企業の国際紛争を例に探る。

 

国際仲裁のケーススタディから実効的な紛争解決の鍵を探る

 

西村あさひ法律事務所
弁護士・ニューヨーク州弁護士 弘中 聡浩

弘中 聡浩(ひろなか・あきひろ)
 1993年、東京大学法学部卒業、1996年、弁護士登録(司法修習48期)。2003年、ハーバード・ロースクール修了(LL.M.)、2004年、ニューヨーク州弁護士登録。1998~2000年、横浜地方裁判所判事補任官、2003~2004年、アーノルド・アンド・ポーター法律事務所(ワシントンDC)勤務。2007年から西村あさひ法律事務所パートナーとして、大規模・複雑な紛争案件を中心に、国内・国際訴訟、国際仲裁、租税訴訟等を担当。

 ■ はじめに

 2008年9月のリーマン・ブラザーズの破綻は、アイスランド・ドバイの経済危機など世界経済に大きな影響を及ぼした。このような経済危機は、進行中の様々な大型プロジェクトに深刻な影響を与え、民間企業間、あるいは民間企業と外国国家・外国公営企業との間の大型の民事紛争に発展することも珍しくない。

 今から14年前、タイを「震源地」として発生した深刻な通貨危機も、世界に連鎖的な悪影響を及ぼした。今回のリーガル・アウトルックでは、その中で生じた大型の民事紛争の実態をケーススタディとして紹介することで、実効的な紛争解決の鍵は何か、企業の紛争マネジメントにおいて参考となるところはないか、探ってみたい。

 今回紹介する事件(Himpurna/Patuha arbitration)は国際仲裁の専門書でも紹介され、国際仲裁の専門家の間では既に広く知られているものであるが、以下に記述する事件の経過については、マーク・カンター氏の次の著作に負うところが大きい。Mark Kantor, International Project Finance and Arbitration with Public Sector Entities: When is Arbitrability a Fiction?, 24 Fordham International Law Journal 1122 (2001); Mark Kantor, The Limitations of Arbitration, The Journal of Structured and Project Finance (Fall 2002, Vol. 8, No. 3).

 ■ 事案の内容

 1997年7月のアジア通貨危機の発生前においては、インドネシアは高い経済成長が見込まれており、外国資本がIPP事業と呼ばれるエネルギー開発事業に多額の資本を投下していた。このようなIPP事業はインドネシアにおいて当時一種のブームを迎えており、27のプロジェクトが存在していた。

 今回取り上げる民事紛争の舞台となったIPP事業は、カルエナジーというアメリカの電力事業者による事業である。カルエナジーは、インドネシアの地熱発電事業に乗り出すに当たり、特別目的会社(SPC。以下「本件SPC」という)をバミューダに設立し、本件SPCが、インドネシア電力公社との間でエネルギー売買契約を締結した。このエネルギー売買契約においては、本件SPCがインドネシアの地熱地域で発電所を建設し、電力公社が30年間にわたって、このプロジェクトから生じる電力を、米ドル建ての電力料金を支払って購入することが合意された。また、本件SPCは、インドネシア政府国有の石油会社であるプルタミナと、発電源となる地熱地帯のオペレーションに関する契約も締結した。そして、インドネシア政府は、電力公社及びプルタミナのこれらの契約上の債務の履行につき実質的な保証を提供した。これらの契約には、仲裁地をジャカルタとする国際仲裁条項が規定されていた。

 ところが、1997年7月、ジョージ・ソロス氏らヘッジファンドが大量の資金を投じてタイバーツの空売りを仕掛け、これを契機に、タイバーツ、インドネシアルピアなど、アジア各国の通貨の価値が暴落した。これがアジア通貨危機である。インドネシアルピアは1996年からの2年間で6分の1の価値にまで暴落し、これによってインドネシアの米ドル建ての債務は履行が困難となった。また、インドネシアの経済は急激に悪化して国内の暴動を引き起こし、長期間にわたり独裁政権の座にあったスハルト大統領は、1998年に辞任に追い込まれた。その後、スハルト政権下で締結された各種の契約が、スハルト・ファミリーに利益をもたらす見返りに、外国資本にとって不当に有利な内容となっていたのではないかとの疑惑が表面化した。

 このような情勢の中で、カルエナジーのIPP事業は中断を余儀なくされ、電力公社は電力の受領を拒絶した。そこで、契約当事者であった本件SPCは、電力公社及びインドネシア政府に対し、債務不履行に関する責任を追及する国際仲裁を申し立てることとなった。

 ■ 国際仲裁手続の経緯 ~インドネシア側の仲裁手続への干渉

 当事者は、まず、主債務者である電力公社に対する仲裁手続を先に進め、その判断が出た後に、保証人の立場にあったインドネシア政府に対する仲裁手続を進めることとした。ただし、プルタミナは仲裁の相手方とされなかった。

 まず、主債務者である電力公社に対する仲裁手続において、電力公社は、エネルギー売買契約がインドネシアの強行法に反するなどの主張を行ったが、これらの主張は排斥され、電力公社の債務不履行が認定されて多額の損害賠償の支払が命じられた。

 そこで、次に、本件SPCに対して保証債務を負っていたインドネシア政府に対する仲裁手続に進むこととなったが、電力公社が敗訴となったことから、インドネシア政府側は様々な手段で国際仲裁手続に干渉を行った。まず、(1)プルタミナは、本件SPCを被告として、インドネシア政府に対する国際仲裁の進行を差し止めることを求め、ジャカルタの裁判所に民事訴訟を提起した。具体的には、本件SPCが仲裁手続を進めた場合には、法廷侮辱、資産の没収、罰金、禁錮を科すことを求めるとの訴えを提起した。また、(2)電力公社は、電力公社敗訴の仲裁判断の取消しを求めた。さらに、(3)電力公社は、カルエナジー側の主任弁護士であった米国弁護士が、インドネシアの新聞において、インドネシアの司法制度に対する名誉毀損と侮辱を行ったとして、この弁護士個人に対する民事上・刑事上の責任を問うための法的措置をとると表明した。

 これらの経過を経た後、ジャカルタの裁判所は、電力公社に対して出された仲裁判断の執行を停止し、インドネシア政府を相手方とする仲裁手続の差止めを認めた。その内容は、当該差止め命令に違反した場合、1日当たり100万ドルの罰金を科すというものであった。

 このようなジャカルタの裁判所の判断を受け、仲裁人らは、これらの訴訟ではインドネシア政府が形としては表には出てきてはいないが、背後でインドネシア政府が関与していると判断し、インドネシア政府に対する仲裁を進めることを決定した。しかし、ジャカルタで仲裁を行うと、インドネシア政府から法的措置を受けてしまうため、仲裁人らはジャカルタで仲裁のヒアリングを行うことは断念し、オランダのハーグでヒアリングを行うことを決定した。なお、仲裁合意上の「仲裁地」はジャカルタのままとされた。

 しかしながら、インドネシア政府はその後も様々な手段で仲裁手続に干渉しようとした。

 まず、(i) インドネシア政府は、仲裁人らが偏っており中立性を欠くとして、仲裁人選任機関とされていた国際投資紛争解決センター(ICSID)に対し、仲裁人らの更迭(忌避)を求めたが、同センターはこれを認めなかった。

 次に、(ii) インドネシア政府は、ハーグの地方裁判所に、この仲裁のヒアリングの実施の差止めを求めて提訴した。しかし、この請求も拒否された。

 さらに、(iii) インドネシア政府は、3名の仲裁人のうち、インドネシア政府が選定したインドネシア人の教授に接触を試みた。まず、インドネシア政府は、当該教授がハーグに出発する前に滞在していたワシントンDCに政府職員を派遣して接触させ、国際仲裁を進めるなと警告した。当該教授はそれでもハーグに向けて出発したが、インドネシアの政府職員は、オランダのアムステルダム国際空港で当該教授に再度接触し、国際仲裁のヒアリングに出席しないよう働きかけた。当該教授は、残りの2名の仲裁人らへの連絡も禁止され、大使館職員と一緒に空港近くのホテルに宿泊させられ、そのまま一緒にジャカルタに帰国させられた。

 そのため、当該教授は仲裁のヒアリングに出席できず、残りの2名の仲裁人によってヒアリングが進められることになった。インドネシア人の仲裁人はヒアリングには出席できなかったが、結果的に、3名の仲裁人の間で既に合議は済んでいたとして、本件SPCの請求を認める仲裁判断が出された。

 ■ 本件の教訓

 本件は、契約の一方当事国を仲裁地とした場合に、仲裁手続の過程でどのようなリスクが顕在化し得るかを如実に示している。本件を素材に、企業の紛争マネジメントにおいて参考となる教訓を、3つ示しておきたい。

(1)「仲裁地」の意味

 まず、国際仲裁における「仲裁地」の法的な意味を理解することの重要性である。「仲裁地」とは単に審理が行われる場所ではなく、仲裁手続全般を法的に規律する場所を意味する。

 例えば、「仲裁地」の選択は、いずれの国の仲裁法が適用されるか、仲裁合意の実体的有効性がいずれの国の法律を基準に判断されるか、仲裁判断の取消事由及びその判断基準がいずれの国の法律によるかなど手続上の重要な法的問題の結論に影響を及ぼす。また、「仲裁地」の裁判所には仲裁判断を取り消す権限もある(後記「国際仲裁とニューヨーク条約」参照)。

 今回紹介した事件のヒアリングはハーグで行われたが、法的な「仲裁地」はジャカルタのままであった。本件では実際には仲裁判断の取消しまではなされなかったが、「仲裁地」であったインドネシアの裁判所は、インドネシアに不利な仲裁判断が気に入らなければ、「仲裁地」の裁判所として仲裁判断を取り消すことも可能であった。

 従って、契約交渉において仲裁地を決める場合に、契約当事者からのアクセスの近さといった当事者の便宜しか考えないというのは誤りである。仲裁について無益な干渉は行わず、逆に必要なときには迅速に仲裁手続をサポートするという、仲裁に本当の意味で理解のある仲裁地を選ぶことが重要となる。

 例えば、アジアでは伝統的にはシンガポールや香港が仲裁地として人気があり、これらの国は仲裁に必要なインフラの整備を現在でも熱心に互いに競い合って推し進めている。ちなみに日本について言えば、日本では2003年に仲裁法の世界標準である「UNCITRAL国際商事仲裁モデル法」に準拠した新仲裁法が制定され、2009年には、仲裁判断の取消事由を限定的に解釈し、仲裁に親和的な態度を表明した、新仲裁法に関する初の裁判例も公表された(判例タイムズ1304号292頁。なお、本件は当事務所の弁護士が勝訴当事者を代理した)が、世界的に見ると、日本はいまだ仲裁地としての人気が高いと言えないことは残念なことである。

(2)紛争当事国以外に執行可能な資産があることの重要性

 次に、本件は、実効的な紛争解決の鍵が、執行可能な資産の所在にあることを示している。当時、インドネシアには、本件と同様のIPPのプロジェクトが27件存在し、その多くのプロジェクトは本件と同様の状況にあったと推測される。しかし、実際に仲裁手続まで進んだプロジェクトは本件を含めて数件にすぎず、その中でも仲裁判断にまで進んだものはごくわずかであった。多くの事件では仲裁は提起されず、また仲裁が提起されても、当事者はその後に交渉で解決する道を選んだようである。

 そのような中で本件が仲裁判断まで進むことができた最も大きな理由は、外国事業者が、インドネシア国外の保険会社に対し、政治リスク保険による保険金請求をすることが可能な立場にあったことにある。即ち、本件では、外国事業者は、保険金請求を行う前提として仲裁を申し立てなければならず、他方、仲裁で勝ちさえすれば、外国の保険会社から容易に保険金を回収することができたのである。

 このように、紛争当事国外に、執行を通じて回収可能な資産があることは、仲裁を実効的なものにする上で非常に重要な意味を持つ。もし、紛争当事国に資産があっても、本件で言えば仲裁判断がインドネシアの裁判所によって取り消されてしまえば、インドネシアの資産に執行することはできない。また、本件では、仲裁手続を進めると、法廷侮辱によって1日当たり100万ドルが科されるということであったが、仲裁手続が長引けば、外国事業者は、それだけでインドネシアにあった資産すべてが没収されてしまう可能性すら存在していた。

(3)仲裁人の国籍・居住地への配慮

 最後は、仲裁人の国籍・居住地に配慮することの必要性である。本件では、インドネシア人の仲裁人が選任されたことで、その仲裁人が個人的な脅威にまでさらされる事態が発生した。インドネシア人の仲裁人は、仲裁手続に関与すれば、自国に帰国した後、法廷侮辱に問われ、刑事罰を科されるリスクも存在した。

 仲裁条項の作成の際、仲裁人に資格を付して制限することは、仲裁人を実際に選定しようとする段階で有能な仲裁人を選定できる可能性を減らしてしまうので一般には避けるべきであるし、また、本件が極端な例であったことは確かである。しかしながら、本件は、紛争当事国に国籍を持ち、又は居住することで関連性を持つ仲裁人が選ばれる可能性について、事前に警戒すべき場合があり得ることを示している。

 ■ 国際仲裁とニューヨーク条約

 ところで、上記の教訓に関連する事項として、ニューヨーク条約という条約を紹介しておきたい。ニューヨーク条約とは、正式名称を「外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約」と呼び、外国の仲裁判断の承認・執行を約束した多国間条約である。53年の歴史を持つこのニューヨーク条約の締約国は現在145か国に及び、この条約を通じて世界中で国際仲裁判断の承認・執行が認められることが期待できる。このことが、国際紛争の解決手段として、国際仲裁が好まれる1つの理由となっている。各国の裁判所の裁判に関しては、ここまで広汎かつ世界的な判決の承認・執行のネットワークは未完成である。

 ところが、ニューヨーク条約は、例外的に、仲裁判断の承認・執行を求められた国が、仲裁判断の承認・執行を拒絶できる事由を規定しており、そのような拒絶事由の1つとして「仲裁地」の裁判所が仲裁判断を取り消した場合が挙げられている。具体的な条文の文言は以下のとおりである。

「第5条
1 判断の承認及び執行は、判断が不利益に援用される当事者の請求により、承認及び執行が求められた国の権限のある機関に対しその当事者が次の証拠を提出する場合に限り、拒否することができる。
(e)判断が、…その判断がされた国若しくはその判断の基礎となった法令の属する国の権限のある機関により、取り消されたか若しくは停止されたこと。」

 前記のとおり、外国の仲裁判断に対し、「仲裁地」の裁判所は、仲裁判断を取り消すという形で介入することができる。そして、このように「仲裁地」の裁判所によって仲裁判断が取り消された場合には、ニューヨーク条約の上記規定により、当該仲裁判断に基づく執行を求められた国は、これを執行しないことができる。

 ところが、もし紛争当事国外に執行可能な資産があれば、仮に仲裁判断が仲裁地の裁判所によって取り消されてしまっても、なお、資産の所在地国で、仲裁判断の執行を求めることができる可能性が残っている。なぜなら、ニューヨーク条約の上記規定上は、仲裁地の裁判所が仲裁判断を取り消した場合であっても、執行を求められた国の裁判所は、それを拒否することが「できる」とされているだけであり、拒否「しなければならない」とはされていないからである。

 即ち、仲裁地であるA国で仲裁判断が取り消されてしまえば、当該A国(仲裁地)での仲裁判断の執行はできなくなるが、仲裁地以外の第三国(B国)では、当該B国の裁判所の裁量で当該仲裁判断を執行できる可能性がまだ残っているのである。実際に、仲裁地で仲裁判断が取り消されても、米国、フランス、ベルギー、オーストリアの裁判所において仲裁判断が執行された例がある。

 もっとも、仲裁地において取り消された仲裁判断が第三国で執行できるということはあくまでも例外であり、仲裁地で仲裁判断が取り消されてしまえば、仲裁判断の執行が第三国で困難になることは確かであるから、慎重に「仲裁地」を選択すべきことはやはり重要である。

 ■ 終わりに

 本件では、紛争の一方当事国を

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