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日債銀事件無罪決着 いまこそ金融失政の検証を

村山 治

 1998年に経営破綻した日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の粉飾決算事件で、検察当局は、同行旧経営陣を無罪とした差し戻し後の控訴審判決に対する上告を断念。起訴から12年を経て無罪が確定した。これによりバブル崩壊で破綻した金融機関の経営陣の責任を問う一連の刑事・民事の裁判はすべて終結した。事件の背景となり、巨額の負担を国民に強いることになった90年代末の金融システム不安は、大蔵省銀行局を中心とする金融護送船団が招いたものだった。その真相と責任の所在は、結局、刑事裁判では十分解明されなかった。二度と同じ過ちを繰り返さないために、責任追及が終わったいまこそ、国挙げての真相解明に取り組むことを改めて提案したい。

  ▽筆者:村山治

  ▽この記事は2011年9月14日の朝日新聞朝刊に掲載された原稿に加筆したものです。

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  ▽関連資料: 上告断念を受けての弁護団コメントの全文

  ▽関連資料: 上告断念を受けての東郷元頭取のコメントの全文

  ▽関連資料: 上告断念を受けての岩城元副頭取のコメントの全文

  ▽関連資料: 日債銀の元会長らに無罪を言い渡した2011年8月30日の東京高裁判決

  ▽関連資料:  日債銀の元会長らに無罪を言い渡した2011年8月30日の東京高裁判決の要旨

  ▽関連資料:  日債銀の元会長らの有罪を破棄して審理を東京高裁に差し戻した2009年12月7日の最高裁判決(裁判所ウェブサイトへのリンク)

  ▽関連資料:  日債銀の元会長らに有罪を言い渡した2007年3月14日の東京高裁判決

  ▽関連資料:  日債銀の元会長らに有罪を言い渡した2004年5月28日の東京地裁判決(裁判所ウェブサイトへのリンク)

  ▽関連記事: 日債銀元会長らに逆転無罪

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 ■「上告断念」検察の本音

村山 治(むらやま・おさむ)村山 治(むらやま・おさむ)
 朝日新聞編集委員。徳島県出身。1973年早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。金丸脱税事件(93年)、ゼネコン事件(93,94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。著書に「特捜検察vs.金融権力」(朝日新聞社)、「市場検察」(文藝春秋)、共著「ルポ内部告発」(朝日新書)。

 上告期限の8時間前の2011年9月13日午後4時、東京高検の伊丹俊彦次席検事は「明確な上告理由を見いだせず、上告しないことにした」との短いコメントを発表した。

 検察部内では、上告断念までにいろいろな議論があった。

 日債銀事件の二審有罪判決を破棄して差し戻した最高裁判決は、日債銀の貸出先について「事業好転の見通しがない」といえるのか、個別に判断する必要があると指摘、これまでの証拠だけでは「貸出金が回収不能と評価すべきかが必ずしも明らかでない」として、他の大手行による処理の状況も踏まえ、この点をさらに審理、判断する必要があるとした。

 ところが、差し戻し控訴審判決は、融資の合理性について「融資先が確実に再建できるかではなく、裁量のある金融機関の経営判断として、多少でも貸出金の回収を改善できるかの観点で判断されるべき」としたうえで、日債銀の不良資産の受け皿会社について「できるだけ多くの貸出金を回収しようとした経営判断は尊重されるべき」と判断。「追加的な支援を予定している債務者に当たる」と認定した。

 一方、独立系ノンバンクについては、具体的な支援計画はなかったが、担保価値を過大に評価したなどとする検察の主張を「立証不十分」と切り捨てた。

 このため、検察には、高検を中心に、上告してもう一度、最高裁の判断をあおぐべきとの意見があった。しかし、検察首脳の間では、控訴審の無罪判決の直後から、上告断念の意向が強かった。

 高裁判決に不満はあるが、日債銀の損失の原因を作ったバブル期の経営陣や、「粉飾」を指導した疑いがある旧大蔵省の官僚を処罰せず、最後の経営者だけを12年も被告の座に着かせてきた。その後、不良債権処理ルールは整備され、同じ問題が起きる可能性は少ない。ここで上告するのは、バランスを失する。もういいじゃないかーー。

 国税庁長官だった窪田氏の謦咳に接した検察首脳は少なくない。その窪田氏は公判中から病床にある。検察首脳の一人は「できるだけ早く上告断念の報を届けたい」と周辺に語っていた。

 結局、検察首脳らの意見が最終結論となった。

 ■いずれも逆転無罪の長銀、日債銀事件

 破綻処理に公的資金を投入した日本長期信用銀行(現・新生銀行)、日債銀の両行の旧経営陣に対する刑事責任追及は「国策」として進められた。

 東京地検特捜部は、99年6月、長銀元頭取の大野木克信氏ら3人を逮捕。長銀が破綻する直前の98年3月期決算で関連ノンバンクなどへの不良債権を処理せず、損失を約3130億円も少なく記載した有価証券報告書を提出した証券取引法違反(粉飾決算)などで起訴した。

 一、二審は、3人に執行猶予つきの有罪判決を言い渡したが、最高裁第二小法廷は2008年7月、「当時は会計慣行が過渡的状況にあり、従来の会計慣行で資産査定しても違法とはいえない」などとして、3人に無罪を言い渡し、確定した。

 同小法廷はまた、新生銀行側が旧経営陣に対し、「粉飾」による違法配当で損害を受けたとして賠償を求めた民事訴訟について同日、賠償責任を否定した一、二審判決を支持し、上告を棄却する決定をした。これにより、長銀の旧経営陣の「粉飾」にからむ刑事、民事の責任追及はともに決着した。

 一方、日債銀は、特捜部と警視庁が、長銀摘発の1カ月後の99年7月、窪田弘元会長ら旧経営陣6人を逮捕。このうち元会長ら3人が、破綻直前の98年3月期の決算で、貸出金約1592億円について償却・引き当ての損失処理をせず、虚偽の有価証券報告書を提出した、として起訴された。

 こちらも、一、二審判決は3人に執行猶予付きの有罪を言い渡したが、最高裁は09年12月の判決で二審判決を、長銀の最高裁判決と同じ論理で破棄したうえ、東京高裁に差し戻し、差し戻し控訴審は先月30日、3人に無罪を言い渡した。

 ■会計慣行が争点、民事訴訟で流れが変わる

 2つの裁判では、当時の「公正な」会計慣行に照らして、決算が適正だったかどうかが争点となった。検察は「回収不能見込みの不良債権は決算書から除外する」と定めた旧商法の規定こそが「公正」だとして、起訴に踏み切った。

 しかし、経済の第一線で悪戦苦闘する銀行経営者らの「物差し」は違っていた。金融当局が容認した会計手法も許されるルールと理解していたのだ。そのひとつが、銀行が支援表明した関連企業の損失処理はしなくてもかまわない、との会計手法だった。長銀、日債銀は、98年3月期決算でその手法で不良債権を査定していた。

 「国策」の熱は冷め、市場は落ち着きを取り戻した。金融庁は、債務超過が噂されたりそな銀行を破綻させなかった。それが市場に「相場」と受け取られ、次第に、経済界の空気が変わっていった。

 それを反映したのが、長銀の民事訴訟だった。被告側は、98年3月期には複数の公正なる会計慣行が併存し、長銀は、金融当局が容認していた会計慣行に従って不良債権を査定した、大野木氏らは、間違った会計処理をしたとはいえない、と主張。裁判所は一、二審ともこの主張を認めた。

 長銀の刑事事件の最高裁判決は、この民事判決の会計ルール判断を採用。検察の主張を退けた。最高裁は日債銀の刑事事件でも同じ考えを採った。これが両事件の帰趨を決めた。

 長銀、日債銀事件の捜査を指揮した検察幹部は「最後の経営者に対する巨額賠償請求はだれもが過酷だと思っていた。民事判決は、常識的判断で銀行経営者を救った。その議論の延長線上で刑事裁判が浸食されていった」と振り返る。

 ■国民の巨額負担―金融行政に責任

 両行への破綻処理では約6兆円が納税者負担となった。バブル崩壊以降の金融システム維持のため、国民が負担させられた総額は数十兆円にのぼるだろう。倒産が相次ぎ、自殺者も増え、「第二の敗戦」と呼べるほどの「人災」だった。

 両行の経営陣の法的責任は確定した。だれが、この国民への付け回しの責任をとるのか。

 最大の責任は、銀行の不良債権処理の先送り、つまり「粉飾」を容認してきた金融行政当局にある。金融行政は、90年代初めから不良債権処理をめぐる不手際から国民の批判を浴び、97、98年にかけて大転換を余儀なくされた。日債銀の奉加帳増資や「粉飾決算」事件、長銀の「粉飾決算」事件などは、このどさくさの中で起きた。

 日債銀は、「金融護送船団」の中で大蔵省との関係が最も深かった。窪田会長を93年に頭取に迎えてからは、事実上の大蔵管理銀行といわれた。同年の金融検査以後、同行は半年ごとに、不良債権飛ばしの受け皿会社の経理内容などを大蔵省に報告してきた。

 97年に日債銀が都銀・生損保など34社から第三者割り当て増資で計2100億円を集めた奉加帳増資では、銀行局幹部は、増資引き受けを渋る金融各社に対し「日債銀は再建できるから大丈夫だ」と説得。揚げ句に、金融検査部幹部から直ちに償却・引き当てが必要な第4分類が「584億円」と伝えられながら、これを無視し、日債銀側が主張した「89億円」を「検査結果」として、増資引受先に伝えさせたという。

 当時、日債銀救済は、政府の決定事項だった。大蔵省は組織として救済計画を実行した。検察当局は「個人としての刑事責任追及は無理」として立件を見送った。

 日債銀事件の裁判では、当時の大蔵省による「指導」実態がかなり明らかになったが、全容解明にはまだ遠い。

 ■事実の検証をー不幸な「人災」を教訓に生かすために

 個人への法的責任の追及がすべて終わったいま、客観的な事実調査と原因分析ができる環境がやっと整ったともいえる。公的資金投入のルールを確認するためにも、いまこそ、金融破たん問題の構造的事実解明と総括が必要だと思う。

 両事件を振り返ってみて思うのは、刑事司法による事実解明の限界である。事件の教訓を生かすには真相解明がぜひとも必要だ。1930年代に米国上院で金融大恐慌の調査にあたった「ペコラ委員会」のような強い権限を持つ特別委員会を日本の国会に設

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