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「房総沖地震で津波水位14メートル、原発浸水」東電試算《文書全文》

奥山 俊宏

 江戸時代に千葉県の房総沖で発生した地震が福島県沖で起こると仮定して、東京電力が、福島第一原発、第二原発に来る津波の水位を試算したところ、それぞれ13.6メートル、14メートルで、いずれの原発も浸水する――。そんな評価結果が今年3月7日に東電から原子力安全・保安院に説明されていたことが10月3日、情報公開法に基づき保安院から記者に開示された文書で分かった。東電は両原発における津波の最大の高さを5メートル台と想定していたが、文書によると、東電は、この房総沖地震を参考に来年10月以降に想定を変更するつもりだったようだ。

 

東京電力が東日本大震災の4日前に原子力安全・保安院に提出した文書=10月3日、東京・霞が関で

 政府の地震調査研究推進本部の地震調査委員会は2002年7月31日に「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」をとりまとめて公表し、その中で、今後起こり得る「次の地震」について、次のように指摘した。

 プレート間のM8クラスの大地震は、三陸沖で1611年、1896年、房総沖で1677年11月に知られている。(中略)同様の地震が、三陸沖北部海溝寄りから房総沖海溝寄りにかけてどこでも発生する可能性があると考えた。

 

 マグニチュード8クラスの大地震が福島県沖を含む日本海溝近辺で今後30年以内に発生する可能性がかなりあるというのが地震調査委員会の結論だった。根拠になったのは、

1611年12月2日に発生した慶長の三陸沖地震、
1677年11月4日に発生した延宝の房総沖地震、
1896年6月15日に発生した明治三陸地震
 

の3つの「津波地震」で、いずれも津波によって多くの死傷者が出た。

 発生した場所は三陸沖、房総沖と異なっているが、これら3つの地震はいずれも、太平洋プレートの沈み込みによって日本海溝付近で発生したと推定された。日本海溝は、三陸沖から房総沖にかけて本州の太平洋岸に平行するようにある。房総沖であろうと、三陸沖であろうと、あるいは、福島県沖であろうと、日本海溝付近では、この種の津波地震は同じような確率で発生する可能性があると考えられた。過去400年の発生が3回であることから平均発生間隔を133年とし、今後30年以内の発生確率は20%程度と見積もられた。津波マグニチュードは8.2前後になると見込まれた。

 このとりまとめにかかわった島崎邦彦・東京大学名誉教授(地震学)は、岩波書店の月刊誌『科学』2011年10月号に寄稿した『予測されたにもかかわらず、被害想定から外された巨大津波』で次のように書いている。

 海溝の北部、中部、南部には、地形など、大きな違いは見られない。よって、津波地震は、日本海溝のどこでも発生すると判断した。プレートの沈み込みにより、北部と南部だけで津波地震が発生し、中部だけでは起こらないとは考えにくい。また、そのような主張(もしあれば)を支持する証拠もない。(中略)プレートテクトニクスにもとづけば当然の結論である。

東京電力が東日本大震災の4日前に原子力安全・保安院に提出した文書=10月3日、東京・霞が関で

 福島県沖を含む日本海溝付近でマグニチュード8クラスの大規模な津波地震が発生する可能性が、政府機関によって具体的に指摘されたのだ。

 これを受けて、東電は、明治三陸沖地震(1896年)と延宝房総沖地震(1677年)が福島県沖で起きた場合のそれぞれの津波の高さを試算した。その結果を原子力安全・保安院に説明するために東電から保安院に渡されたのが、10月3日に開示された3月7日付の文書である。

 それによると、明治三陸地震の場合、その津波の水位は、福島第一原発の南側(海抜10メートル)で15.7メートル、福島第二原発(海抜12メートル)で15.5メートルに達すると試算された。延宝房総沖地震の場合は、福島第一原発の南側で13.6メートル、福島第二原発で14メートルと試算された。

 このうち、明治三陸地震が起きた場合の試算については8月24日に読売新聞の報道で発覚し、東電原子力・立地本部の松本純一本部長代理は当時、次のよう述べて「あくまで試算」と強調した。

 こちらはあくまで例えば福島県沖で明治三陸沖地震が発生したというような場合の試算でございまして、それをもって津波の想定をしていたというものではないという認識でございます。
 地震本部のほうから三陸沖から房総沖の海溝沿いにどこでも地震が発生しうるというようなことが提示されまして、その際に福島県沖では当然地震の空白域でございましたので、そこにどういう地震を想定すべきかというようなところについては私どもではなかなか決めかねるというところがあって、今回の試算の1個でございますが、三陸沖地震をもとに試算をしてみた。
 実際これをもとにいわゆる津波評価はどう行うかというようなところが難しいということで、土木学会さんのほうに津波評価技術を見直してもらいたいということで、経営層のほうにお諮(はか)りしましてその結果をもとに、土木学会さんのほうにお願いをしたというところでございます。
 

 3月7日に東電から保安院に渡された文書によると、その土木学会の津波評価部会では昨年12月7日、政府の地震調査委員会から発生の可能性を指摘された日本海溝付近(南部)の津波地震について、1677年の房総沖地震を参考に「設定」する方針が示され、異論は出なかったという。すでに明るみに出ていた明治三陸沖地震の場合の試算に比べ、房総沖地震の場合の試算では、津波水位は低いが、それでも原発の敷地が浸水する。しかも、それは「あくまで試算に過ぎない」というようなものではなく、土木学会の内諾が得られ、いずれ正式なものになれば、それを想定しての対応を迫られるものだったということがいえる。

 3月7日付の文書には次のような記載があった。

 平成24年10月 津波評価技術の改訂版公表 → 発電所の津波評価
 

 ここに言う「津波評価技術の改訂版」というのは、土木学会が2002年に公表した『原子力発電所の津波評価技術』を改訂しようと作業中だったもののことで、これが平成24年10月、つまり、2012年10月に完成すれば、それにあわせて、東電として福島第一原発、第二原発の津波評価を改めるつもりだったということのようだ。

 文書によれば、この間、東電は「ポンプの水密化」など津波対策を「検討」してきたという。しかし、結局、具体化することはなかった。記者会見での松本本部長代理の回答によれば、「技術的にかなり難しい」と判断したという。過酷事故対策の手順書の改定などソフト面でも特段の変更はしなかったという。

 松本本部長代理は8月25日の記者会見で次のように述べた。

 まだ試算の段階でございましたので、設備面それから運用面で何か対策が必要ということではございません。
 当時の状況で考えてみますと、仮想的な波の源をおいて、自主的に行った試算でございますので、こちらに関しましては、これを基に現実的な対応を決定するには、更なる専門家の合理的な判断が必要だろうというような認識でございます。
 設備の改造が必要だとか、あるいは運用の変更が必要だというような、設計上想定しなければならない津波というふうな認識はこの当時の試算に対してはございませんでした。
 

 これら試算結果を政府に報告してから4日後の3月11日、宮城県沖の日本海溝沿いでマグニチュード9.0の地震が発生し、福島第一原発は10メートル以上の高さの津波に襲われた。1~4号機の原子炉建屋やタービン建屋がある敷地(海抜10メートル)では津波の高さは14~15メートルに達した。それはくしくも、試算結果に奇妙なほどに一致していた。この地震の発生があと2年遅ければ、その津波は「想定」の範囲内だった。