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郷原氏の語る九電・眞部社長との対立の原点と古川知事との接触の真相

九電やらせ問題で郷原信郎氏に聞く(3)

郷原信郎 郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

 九州電力玄海原発(佐賀県)の運転再開をめぐる九電の「やらせメール」問題が迷走している。九電経営陣は、自らが委託した社外有識者による第三者委員会の「古川康佐賀県知事の発言がやらせ投稿に決定的影響を与えた」との結論を無視し、「やらせは真意と異なる知事発言メモが発端」などとする独自の最終報告書を経済産業省に提出した。枝野幸男経産相はこれについて「つまみぐい」と指摘し、「どういう神経なのか理解不能」と批判。慌てた九電は、報告書の再提出を検討中だ。第三者委員会の委員長を務めた郷原信郎弁護士へのインタビューの最終回となる今回は、第三者委が調査を始めた後に九電の原子力発電本部が証拠を廃棄していた問題の公表をめぐる眞部利応社長との確執がその後の九電と第三者委の対立の原点になったこと、古川知事とのやりとりの真相を聞く。


 ■「九電側のでたらめ質問状を論破」

郷原 信郎(ごうはら・のぶお)郷原 信郎(ごうはら・のぶお)
 1977年東京大学理学部卒業。1983年検事任官。公正取引委員会事務局審査部付検事、東京地検検事、広島地検特別刑事部長、長崎地検次席検事などを経て、2005年桐蔭横浜大学法科大学院教授・コンプライアンス研究センターセンター長。2006年検事退官。2008年 郷原総合法律事務所開設。2009年より名城大学教授、2009年総務省顧問・コンプライアンス室長に就任。

 ――前回は、郷原さんら第三者委員会の元委員3人(委員の契約は9月30日まで)が、最終メッセージを出し、記者会見を開いて、今回の九電問題への対応に決着をつける予定だ、というところまでうかがいました。決着はついたのでしょうか。

 郷原弁護士:予定どおり、11月17日に、福岡市で、元委員3人で最終の記者会見を行いました。ところが、九電の方は、元委員3人が眞部社長個人に対して送った公開質問状に対しては、およそ回答とも言えないような紙切れを返してきただけ。逆に記者会見の前日の11月16日に、第三者委報告書に対する質問状をメールで送ってきて九電のウェブサイトで公開しました。各委員が個別に返答しろ、という要求です。

 委員として契約期間も終了し、我々元委員は会社側から業務を行うことを要求される筋合いは全くありません。しかも、こちらが、報告書の理解を深めるための公開の場での討論を松尾新吾会長に提案したのに、それには応じなかった。このような会社側のやり方について、17日の記者会見で、元委員の阿部道明氏(九州大学大学院法学研究院教授)は、「いやがらせ」と言っていましたが、私もそのとおりだと思います。本来、このような質問状に答える義理はありませんが、答えないと、会社側が「第三者委員会側は質問に回答できなかった」と言って、鬼の首でもとったように騒ぐことは目に見えていました。3人で相談し、疑問点とされている事項について十分に答える内容の回答書を作成して22日の期限までに回答することにしました。

 ――九電側の質問はどういうものですか。

 郷原弁護士:報告書の内容に関する質問が20項目あり、そのほかに、議論の経過を明らかにせよ、ということも書かれていました。報告書に対する質問は、ほとんど「言いがかり」に近いものです。様々な証拠資料や関係者の供述を総合して事実認定している第三者委の調査結果に、自分達に都合の良い部分だけをつまみぐいして文句をつけている。自分達の主張を裏付ける、九電独自に採取した「供述」があるように言っていますが、聴取の日時も、聴取者も、内容もわからない。弁護士調査チームが、社員らの供述の状況や経過から信用性を慎重に判断しているのとは全く比較の対象にすらなりません。

 眞部社長に対する公開質問状でも、「供述」があると言っている根拠を明らかにせよ、と求めたのですが、全く回答してきませんでした。社長が関係者を呼んで話を聞いているだけで聴取記録などないからだと思います。自分の見方を公言している社長が、社員から直接話を聞いても正直に話せるわけがありません。それは、社内調査とも言えないものです。

 しかも、九電側が第三者委員会の報告書について「疑問点」と言っている点も、多くは勝手に作り上げたものです。私の発言や調査チームの弁護士の報告書の一部をつまみ食いして、実際の趣旨と異なる引用をして、報告書の見解やその後の発言と矛盾しているように言っているのです。

 そういう「言いがかり」的な質問すべてに対して詳細な回答と反論を述べた回答書を22日の夜に九電側に送付し、同社のウェブサイトにこちらの回答書の全文を掲載するよう要求しました。

 ■岡本氏の批判に答える

 ――第三者委の「議論の経過」についても九電が聞いてきたのはなぜですか。

 郷原弁護士:委員の一人だった岡本浩一氏(東洋英和女学院大学教授)が、10月31日に単独で記者会見を開いて、「やらせは社会的合意のための方法であり悪くない」「九電が知事をかばうのは人格的に立派」などと述べた上に、「第三者委員会では自分の意見を聞いてくれなかった」というようなことを言って、委員長の私のやり方を批判したようです。九電側は、その岡本氏の発言を受けて、第三者委の議論の経過を問題にしてきたのだと思います。

 ――実際の議論の経過はどうだったのですか。

 郷原弁護士:岡本氏の批判も全くの言いがかりです。九電の質問状に対する回答書では、委員会議事録から、岡本氏の発言部分を抽出して議論の状況を明らかにしました。それに加えて、第2回委員会の3日前に、私が岡本氏と個別に面談して委員会での議論を予定している事項について意見を聞いた際の対談メモも別紙として添付しました。それらを見れば、第三者委の報告書を取りまとめて公表するまで、岡本氏も、委員長の私を含めた他の委員の意見に異を唱えたことはなく、むしろ、九電側や古川知事側に対して厳しい意見を述べていたことがわかります。

 ――具体的には、どういうことを言っていたのですか。

 郷原弁護士:「知事の発言が基本的にメモの通りであること、知事の発言が今回の九電側の対応に影響を与えたことは否定できない、という基本的な事実関係については、いずれかの段階で情報開示せざるを得ないのではないか」と言っており、知事発言が発端だという見方については全面的に賛成しています。それに、原子力発電本部による組織的な証拠廃棄に対する眞部社長の対応についても厳しく批判していました。

 ――岡本元委員は、なぜ、単独会見を開いて九電を擁護したり、第三者委員会の議論の進め方に問題があるようなことを言ったりしたのでしょうか。

 郷原弁護士:それはわかりません。ただ、他の3人が、九電と何の契約も利害関係もないのに対して、岡本氏は、組織風土調査を通して今後も契約が続く可能性があるという違いはあります。第三者委員会の調査の一つとして行った岡本氏の組織風土調査の結果は、我々にとって意外なものでした。「やらせメール」問題を起こした九州電力の組織風土のスコアは、過去に調査を行った大企業と比較しても極めて良好で、しかも、問題の当事者で組織的な証拠廃棄まで行った原子力発電本部のスコアが特に高いという結果でした。岡本氏から、そういう結果が出た組織風土調査を九電が今後も定期的に行うことを、第三者委員会報告書の提言に含めるように強く求めてきましたので、報告書の提言の一つにしました。この組織風土調査というのは岡本氏が独自に開発したもので、その内容や原理、判断根拠や経費などは、我々には全く開示されませんでした。

 ――九電側は、第三者委員会側の回答書全文をウェブサイトに掲載したのですか。

 郷原弁護士:九電は、こちらが回答を出す前に質問状をウェブサイトに載せているのですから、回答書も全文を掲載するのが当然です。ところが、会社側は委員の一部が公開を了解していないという理由で「議論の経過」に関する部分を削除して掲載しました。公開を了解しないとする元委員は岡本氏しか考えられませんが、岡本氏は、記者会見で第三者委の議論の経過を問題にした張本人ですから、それに関する資料に基づく回答書の公開に反対することなどできないはずです。会社側にとって不都合な部分を意図的に落としたとみられても仕方がないでしょう。回答書の全文と別紙は、我々が独自に立ち上げた九電問題の検証サイト(http://kyuden-mondai.info/)に掲載しました。

 ■九電社長との対立の「原点」は証拠隠滅の公表問題だった

 ――それにしても、眞部社長の郷原さんら第三者委に対する敵意むき出しの対応は、どこから来るのでしょうか。自ら第三者委の委員長をお願いした相手とここまで対立する理由がよくわからない。

 郷原弁護士:対立する状況になったのは、第三者委の調査中に、九電原発本部で重大な証拠廃棄工作が発覚し、私がそれを記者会見で公表したあたりからです。それまでは、古川知事発言をどう取り扱うかも含めて、眞部社長とは頻繁に連絡をとり意思疎通もできていました。証拠廃棄をめぐるトラブル以降は、眞部社長と話をすることはほとんどなくなり、第三者委と会社とが対立する状況になっていきました。

 ――「いろんな調査に関わってきたが、組織的な証拠廃棄がここまで露骨に行われたのは経験したことがない」と郷原さんが激怒した記者会見ですね。

 ■九電の証拠隠滅問題の概要

 第三者委は調査の一環で、8月5日、九電経営管理本部を通じ、同社佐賀支社に玄海原発(佐賀県玄海町)のプルサーマル計画を巡る住民説明会の資料の提出を求めた。これに対し、九電原発本部の副本部長が同支社に関係資料の廃棄を指示。社内から第三者委への情報提供で、経営管理本部が、廃棄される前の資料を確保した。

 原発本部は、第三者委が設置される前の7月21日にも、経営管理本部が社内調査のため、資料提出を求めたのに対し、副本部長が「個人に迷惑をかけるような資料は抜いておけ」などと部下に指示していた。

 副本部長は8月8日、第三者委の聴取に対し、廃棄指示を出したことを認めた。第三者委の郷原委員長は翌9日夜、福岡市内で緊急に記者会見し、関係資料を廃棄する調査妨害があったと発表した。しかし九電は会見を拒み「今回の行為は調査に重大な影響を与える極めて不適切なものであったとおわびする」とのコメントを出した。

 郷原弁護士:廃棄されそうになっていた証拠には、05年の玄海原発へのプルサーマル導入に関する佐賀県主催公開討論会での九電側の仕込み質問に関する配置表、質問原稿などが含まれていました。びりびりに破いて廃棄ボックスに捨てていた。廃棄物業者が来る前だったので回収でき、破られたものを貼り合わせて調査の証拠として使ったのです。

 ――きわどかったですね。やらせ問題の重要資料ではないですか。廃棄されていたら、調査に支障があったでしょうね。

 郷原弁護士:この公開討論会での九電側の仕込み質問は第三者委員会報告書で「不透明な企業行動」の原型として明らかにした重要な事実です。最終的には、佐賀県側の内部調査でも担当の県職員が仕込み質問を容認していたことを認めましたが、もし、この組織的な証拠廃棄が成功していたら、仕込み質問のことはほとんど解明できなかったと思います。

 ■公表のいきさつ、九電側の不透明

 ――九電は、やらせ問題の真相解明のため第三者委を立ち上げた。その調査対象となっている原発本部が組織的に証拠を廃棄しようとしていた。とんでもない話です。公表しないわけにはいかないでしょう。

 郷原弁護士:証拠廃棄の事実が明らかになった3日後の8日には、原発本部副本部長が第三者委のもとで事実調査に当たる調査チームの赤松幸夫弁護士の聴取に対し、廃棄を指示した事実を認め、会社としても組織的な証拠廃棄だったことを否定できなくなった。本来、会社として公表するのが当然です。しかし、会社側には、そういう問題について公表すべきだという認識自体がなさそうでした。

 9日に、ヒアリング調査のために福岡に出張していた赤松弁護士から聞いたところでは、会社の意向は「会社としては公表しない。公表するなら第三者委の方で会見などでやってもらうしかない」ということでした。ただ、会社側として、第三者委側で公表することも含めて経営幹部で協議を行っており、結論が出ていないということのようでした。

 ――郷原さんは、そのとき、東京にいたのですね。

 郷原弁護士:そうです。そもそもマスコミ経由で入ってきた話でしたから、その事実が報道されて、先に表に出てしまうと、第三者委の情報開示の姿勢や中立性までも問われることになるし、そうなれば九州電力の信用にとって致命的です。会見で公表するならできるだけ早い方が良い。その日なら、午後4時羽田発の飛行機に乗れば、午後6時前に福岡に着く。それから会見の案内を出しても、午後8時半頃から記者会見を開ける。

 翌日は別のスケジュールがあって動けない。会見をするとなれば、その日の夜しかない。会社側の意向がまとまるのを待っていたのでは遅いので、協議中に福岡に移動し、到着した段階で会社の意向を踏まえて会見を開くかどうか判断することにしました。

 会社の担当者には、私が飛行機で移動中に会社の判断が固まった場合には、会見の場所のセットをしておいてほしい、と伝え、見切り発車で福岡に移動したのです。福岡空港に迎えにきていた担当者によると、会見場を確保し午後8時半に会見するということで記者クラブにも告知したという話でした。

 その足で、会見場のホテルに向かい、副社長二人と社長室長の3人と打合せをしました。

 ――どたばたですね。郷原さんが福岡に移動する間に、九電側は、郷原さんが証拠隠滅について記者会見することを了承する、と決めていたということですね。

 郷原弁護士:会見場も確保して記者クラブにも連絡済み、副社長ら3人との話でも、会見を行うことを前提にした話でしたから、第三者委が会見することを九電側が了承していたのは当然です。副社長らとは原発本部の証拠隠滅について事実確認、会社側の対応などについて話しあいました。

 第三者委に真相解明を委ねておきながら、調査に関する重要な資料を、問題を起こした原発事業本部の副本部長の指示で組織的に廃棄するというのは、第三者委の調査を否定するような行為です。第三者委の会見を受けて、その問題について会社側がどういう対応をとるのか、方針を明確にする必要がありました。しかし、その点について副社長達に聞いても、はっきりしない。

 社長の考えを聞きたいと、副社長らに社長とすぐ連絡を取るように頼みました。しかし、連絡がとれない。ようやく、会見が始まる20分ぐらい前に副社長の電話が社長につながったのです。

 ――ぎりぎりの時間ですね。

 郷原弁護士:副社長は、第三者委の会見後、会社としてどう対応するかを考えないといけない、と言っていましたが、社長にその意が伝わらない。電話の向こうで、わめいている声が聞こえました。らちがあかないので電話を代わってもらい、私が社長と直に話したのです。

 第三者委の会見の後、会社はどう対応するのか、と聞いたら、眞部社長は「何で会見なんてやるんだ。私は聞いていない」と言い出しました。少し酔っている感じでした。

 「副本部長以下が組織的に証拠隠滅をした事実がある。そのことに対して経営トップとしてどう責任をとるのか」と聞くと「責任をとりようがない。自分は辞める人間だ」と言っていました。

 副社長に電話を代わりましたが、眞部社長が一方的に怒鳴りつけている様子で、まったく話にならない。副社長は、ブチッと電話を切って、「私の責任で対応します」と言いました。それから間もなく、私は会見場に向かいました。

 ――11月22日の九電側の質問に対する郷原さんらの回答書に、8月15日付の郷原さんと岡本浩一氏との会談メモが添付されています。そのメモの中に、8月9日の記者会見当夜、眞部社長が酒を飲んでいたことを岡本氏が指弾する会話が記されています。

 郷原弁護士:岡本氏は「そんな重大な時に酒を飲んでいるような社長は、社長をやる資格がない」とまで言っていました。岡本氏との対談メモは、第2回委員会の資料として提出したものでした。岡本氏は、8月9日の記者会見の後、たぶん、会社側から、私が会社の了解もなく一方的に記者会見を開いた、と聞かされたのでしょう。会見はすべきではなかった、との意見書を各委員と会社に出してきた。岡本氏は8月18日の第2回委員会に欠席予定だったので、私の事務所に来てもらって面談して事情を説明したのです。

 証拠隠滅の情報はマスコミ経由で入ったもので報道される恐れがあったこと、当日、会社側の了解もとって会見したことなどを説明したら、岡本氏は、完全に納得し、「自分はそういう事情を全然知らなかった。意見書は撤回する」と言っていました。 

 岡本氏は、九電が証拠廃棄を指示した副本部長に対して何の措置もとらず、通常通り勤務させていることについても「それは問題だ。自宅謹慎ぐらいの措置はとる必要がある」と言っていました。

 この対談メモは、本来は公表するような性格のものではないのですが、今回、九電側から、第三者委の議論の経過、その中でも、特に岡本氏との議論の経過が問題にされ、質問状を公開されたので、その経緯に関する重要な資料として回答書の中で公開せざるを得ませんでした。

 ■眞部社長の弁解

 ――眞部社長は、この8月9日の記者会見の際の経緯についてどう言っているのですか。

 郷原弁護士:8月15日の私と岡本氏との対談メモを8月18日の第2回の第三者委の委員会に資料として提出したため、それを見た眞部社長が、第三者委の各委員宛に手紙を出して8月9日の経緯について弁解をしてきました。

 私と電話で話した内容や、その際、飲酒していたことは対談メモの通りであることを認めた上で、次のようなことを説明していました。

(1)会社としての会見をしないと判断をした理由については、九州電力が非常に悪く思われている中であり、自ら公表しても、相手から指摘されてそれを認めても、悪く思われることについて、大きな差は無いのではないか。今回のメール問題はついては、現在、全容を調査しているところなので現時点では当社からは公表しないことにした。

(2)8月9日午後5時半ごろ、委員長が福岡に向かっている旨聞いたが、用件は承知していなかった。その時にはまさかその夜に記者会見をするとは思わず、打ち合わせをしに来られるのだろうと思っていたので午後6時ごろに、予定されていた社外の知人との会食に出かけた。

(3)担当副社長から午後8時ごろ電話で連絡があり、その時点で初めて、委員長が会見することを知った。

(4)委員長と岡本委員との8月15日の会談メモでは、岡本委員から「そんな重大な時に酒を飲んでいるような社長は、社長をやる資格がない」とのご意見があったとのことだが、会見があるということを知ったのは、会見の直前であり、社外の方との会食も終わろうかというタイミングだった。早い段階で会見があると知っていれば、そちらの方に注意を払っていたはずだ。

 ■「眞部社長の論理矛盾と暴走を許す九電社内の状況」

 ――眞部社長の手紙では、郷原さんが強引に福岡に出かけていって、会社が了承していないのに会見をした、社長は直前まで会見のことを知らなかったので知人と飲酒していた、という話になります。

 郷原弁護士:九電の社内でどのようなやり取りが行われたのかはわかりません。しかし、副社長ら3人が私と、私が会見を行うことを了承した上で打合せを行っていたことは確かです。担当副社長が、第三者委が会見をすることは会社として了解している前提で、社長と連絡をとった。ところが、酒が入っている社長と全く話がかみ合わないのでぶち切れてしまったというのが実情です。そもそも、証拠廃棄をしていたこと自体が会社にとって重大な事態なのであり、それが明らかになった以上、何らかの方法でその事実を正確に公表するのは当然のことです。岡本氏が言っている「重大な時」というのは、まさにそのことを言っているであり、眞部社長が言っているように、記者会見をするかどうか、ということだけが問題なのではありません。

 ――公益事業を担う電力会社には一般企業以上にステークホルダーや社会に対する説明責任があると思います。第三者委の調査に対する組織的妨害は重大なルール違反です。本来なら、社長が事実を明らかにして頭を下げ、社長以下関係者を厳重に処分するのが当然です。

 郷原弁護士:結局、眞部社長らは、今回の「やらせメール」についても、証拠廃棄についても、何も悪いと思っていないのです。だから、社長としての責任ある対応がまったくとれなかった。「こんな大事な時に酒なんか飲んで」という話はそのひとつに過ぎない。この時、九電のガバナンスはほとんど崩壊しかかっている、と実感しました。

 第三者委の調査対象になっている原発本部が調査中に資料廃棄する異常。それを公表せず、関係者の処分もしない。逆に、社長が第三者委の調査に反発する。これでは、会社側から通常の協力を得ることは難しいと思いました。しかし、第三者委の委員長を引き受けた以上、できる限りの調査を行い、できる限りの指摘をするのが自分の仕事と割り切りました。

 しかし、少なくともそういう関係になった後は、九電側、眞部社長の側には、第三者委の事実認定を受け入れる姿勢がなくなっていったように思います。第三者委員会報告書もまともに読んでいないのではないでしょうか。「知事発言が発端」という認定の言葉尻にやたらと反発し、報告書の結論に対抗して会社の独自の見解を公表する。それまで私が手がけた企業などの第三者委とはまったく違う展開になってしまった。

 ■古川知事と九電の面談を知った経緯

 ――九電側と郷原さんらの間に溝ができた経緯はよくわかりました。一方で、佐賀県の古川知事の問題で郷原さんが知事に「辞任勧告」をしたことに対し、会社側が「越権行為」だと反発したのが対立の理由とする見方も一部にあるようです。

 郷原弁護士:それは、対立の原因とは直接関係ないと思います。眞部社長側の都合で後になって持ち出してきたのだと思います。確かに、第三者委が発足する直前に、私は個人的な立場で古川知事に会って、早期に辞任の意向を表明するように助言しました。それは、その時点での状況を前提にすれば、古川知事にとっても、九電側にとってもそれがベストだと判断したからで、眞部社長ともその時点では認識を共有していたのです。しかもそれは、あくまで知人としての助言であって、勧告ではありません。

 ――そもそも、6月21日に知事公舎で古川知事と九電幹部とが面談していた事実を知ったのはどういう経緯だったのですか。

 郷原弁護士:第三者委の委員長を引き受けるに当たって、事前に基本的な考え方を話し合っておくため、7月24日に、福岡で眞部社長と会談しました。その際に、副社長ら3人が6月21日午前、知事公舎を訪れ古川知事と会談をしていたこと、佐賀支店長がその際の知事発言についてメモを作成していること、メモでは、古川知事が九電側に説明番組への再稼働賛成投稿を要請したようになっていること、さらに、そのメモが、賛成投稿を要請するメールに添付されて100人近くの社員に送付されていること、などを聞かされました。

 そのような重要な事実を全く公表しないままで、「やらせメール」問題に会社として対応してきたことに驚きました。古川知事に対して政治的に重大な影響を及ぼしかねない事実ですが、知事発言が九電側の賛成投稿要請などの行為に影響を与えたのであれば、それは、九電側の行為の動機・背景を明らかにし、コンプライアンス問題として適切な評価を行う上で絶対に避けては通れない問題だと思いました。

 第三者委としては、その知事発言の点も調査の対象にせざるを得ないのは当然ですが、九電社内の多くの人が知っているのであれば、その話が外部に出る可能性が十分にあります。しかも、眞部社長によると、メモの記載と古川知事側の説明とはかなり異なっている。知事発言のことが報じられ、知事側と九電側の説明とが食い違ったりすると、誤解や混乱を招く可能性もある。そこで、古川知事との間で認識を共有しておく必要があると思いました。第三者委の第1回委員会の前日の7月26日の夜に、古川知事と会うことにし、眞部社長に知事側との会談の手配をしてもらいました。

 ■「知事と腹を割って話すことで、円滑調査の環境作りを企図」

 ――郷原さんは、古川知事とは旧知の間柄だったそうですね。

 郷原弁護士:2001年から03年まで長崎地検次席検事をしていた時、古川知事は長崎県の総務部長でした。その後、佐賀県知事になられた後もコンプライアンスや公共調達改革問題に関して協力関係にありました。それだけに、九電の「やらせメール」問題の発端のところに古川知事が関わっているということを知った時は、ある意味では、非常にやりにくい立場になったと思いました。ただ、とにかく、第三者委員会の調査を円滑に進めていくための環境を整えないといけない。そのために、古川知事とも個人的な信頼関係があって腹を割って話ができることを、活用できないかと考えました。

 そこで、まず、それまでの社内調査の結果から明らかになっている事実関係を把握しておく必要があると思い、社内調査の資料を送付してもらい、検討しました。

 古川知事の発言に関する佐賀支店長作成のメモの中に、括弧書きで「保安院の県幹部への説明の時と同様の対応をお願いしたい」という記載がありました。「保安院の県幹部への説明の時」とは、5月17日に、インターネット中継も行われた原子力安全・保安院の佐賀県幹部への説明会のことを指しているということでした。

 その時点での社内調査をまとめた書面によると、古川知事は、国主催の説明番組に対して九電側にインターネットを通して賛成投稿をするよう要請したもので、しかも、それは、その時だけではなく、以前にも、同様の要請が知事側から行われていたと考えざるを得ませんでした。そうなると、「九電のやらせメール」問題ではなく「知事のやらせメール」問題だということになる。しかも、古川知事は「やらせメール」問題が発覚した時点で九電を批判している。その問題の発端を作ったのが古川知事の側だということになると、知事の重大な責任問題に発展することは必至でした。

 一方、そうなると、九電の第三者委員会としての調査や検討する方向も大きく異なってくることになります。

 私は、まず、そのような社内調査の結果を踏まえて、古川知事と話をし、問題の重大さ、深刻さを認識してもらった上で、古川知事が、その事実をどう受け止め、どう対応するのか、意向を把握しておく必要があると思いました。

 第三者委が発足した後は、委員長として、九電のコンプライアンス問題に関する事実について真相を解明する職務を忠実に実行していく立場になりますが、第三者委の調査の過程でその問題が表面化して古川知事の対応が混乱したり誤解が生じないようにするため、事前に事実関係について古川知事に説明し、問題の重大さ、深刻さを認識してもらった上で、古川知事が、その事実をどう受け止め、どう対応するのか、意向を把握しておく必要があると思いました。

 そこで、まず、九電の眞部社長に了解してもらった上で、26日の夜、最終便で福岡に来て、古川知事と会いました。

 ――この古川知事発言の問題と第三者委員会の調査との関係についてはどう考えていましたか。

 郷原弁護士:古川知事からの要請が「やらせメール」の発端になっていたとすると、実行した九電の社員の側がそういう行動をとることも致し方なかった、ともいえます。しかし、その事実が明らかになると、知事の要請自体がマスコミの批判にさらされ、知事が責任を問われる可能性がある。それは原発再稼働を最優先に考える九電経営陣にとってはマイナスです。そういう意味で、この問題の取扱いは、九電側にとって非常に微妙な問題になることが予想されました。第三者委としては、客観的に事実を明らかにしていくしかないのですが、そこに対していろんなバイアスがかかってくることも予想されました。

 まず、もともと個人的な知人でもある私が、古川知事と腹を割って話をすることで、第三者委の調査を円滑に行うための環境を整えようと思いました。

 27日に第三者委が発足したから、私は、まだ第三者委の委員長という立場ではなく、あくまで、個人の立場でした。ただ、それは九電にも大きな影響を生じる話ですから、古川知事に話す内容については眞部社長にも事前に了承してもらう必要があると思っていました。

 ■「辞任勧告」の真相

 ――その26日夜の会談で、古川知事に「辞任の意向表明」をすべきと助言したのですね。「辞任勧告」などとも言われていますが。

 郷原弁護士:あくまで、個人的な立場で助言しただけで、勧告などというものではありません。その時点で、古川知事の立場に立っても、私の専門の危機管理の観点から考えても、それがベストの手段だと判断していました。

 私としては、それまで把握していた事実関係から、どう考えても、最終的には古川知事の辞任は避けられないと判断していました。しかも、古川知事の発言が「やらせメール」問題の発端だったという事実が表に出ると、それまで九電側に向けられていた「やらせメール」批判がすべて古川知事の方に向くことになり、「やらせ知事」などと言われて大スキャンダルに発展しかねない。それは、古川知事にとって致命的なダメージになる恐れがあります。

 この問題での批判・非難が古川知事に決定的なダメージを与えるのを避けるための方策として、玄海原発再稼働など原発問題に対する基本的な姿勢に問題があったことを自ら明らかにして反省し、それを踏まえて、早期に辞任の意向を表明するという方法があり得ると思いました。危機管理対応という観点からは、それが、政治家としての古川知事自身にとってベストだと思ったのです。

 玄海原発再稼働をめざして、そのための条件を整えようと動いてきた古川知事の行動は、福島原発事故前であれば許容されたかもしれません。しかし、事故後は、原発立地県の知事には、県民の代表として、客観的、中立的に、安全性と電力会社の信頼性を評価、判断することが求められています。

 その知事が、電力会社と協力して原発再稼働の環境作りをすることは許されない。そういう認識に立って、原発再稼働問題への対応を真摯に反省し、今後の原発問題の判断の新たな枠組み作りに結び付けるために、知事を辞任するという意向を表明すれば、古川知事の決断は「英断」として世の中に評価されるのではないか、ということです。政治家としての古川知事の信頼を最優先する観点から、私なりに考えたことです。

 第三者委としては、古川知事の発言も含めて、九電側の賛成投稿要請の動機・背景になった事実を調査によって明らかにし、最終的に報告書に記載して公表するのは当然です。その点は全く変わりません。ただ、早期に辞任の意向を表明し、原発立地県の知事としての対応に問題があったことについて、自ら進んで「反省」「謝罪」を行ったら、その問題に対する古川知事への風当たりは弱くなります。今後の原発立地県の知事としての対応の在り方を前向きに考えよう、という姿勢を示している古川知事に対して、県民や社会の理解は十分に得られ、状況如何によっては、再出馬して県民の信を問うことも不可能ではないのではないか、と思っていました。

 ――そのように辞任の意向表明を助言することに対して、眞部社長は了解していたのですか。

 郷原弁護士: 眞部社長にも、事前に了解を得ていました。私が事前に把握していた事実関係を前提に、知事に助言する内容について私の考え方をまとめたペーパーを26日に、眞部社長にメールで送っています。

 古川知事の辞任について助言することは、そのペーパーの中にはっきり書いており、それを見てもらった上で眞部社長と電話で話をしています。そのうえで、眞部社長側が知事に連絡をとり、わざわざ福岡市に来てもらうセットをしてくれたのです。その会談の目的について眞部社長が了解していなかったということはありえません。

 眞部社長は、そのペーパーを送って電話で話した時に、最初は「知事の辞任という話はやめるわけにはいきませんか」と言っていましたが、私が、事態の混乱と知事の政治的ダメージを最小化するためには早期の辞任の意向表明がベストの方法であることを詳しく説明したところ、納得してくれました。

 ■九電側の豹変

 ――古川知事の反応はどうでしたか。

 郷原弁護士:私が言おうとしたことは理解してくれたようでした。保安院説明の際に事務所から書き込みの要請をした事実があるのかどうか確認したい、ということと、辞任すると言うとしても、その理由の説明が難しいということを言っていました。

 翌27日の正午過ぎ頃、古川知事から私の携帯に電話があり、「やはり辞任理由の説明が難しい」という話でした。その後、午後1時から、第三者委の第1回委員会が始まった。ところが、眞部社長が来ない。結局、冒頭撮影のためにカメラが並んでいる前で20分待たされました。この間、社長が何をしていたのかは謎です。

 その第1回会合の前後で、保安院説明の際のネットでの書き込みについて九電側の説明ががらりと変わりました。第1回会合の後、松尾会長、眞部社長と応接室で話した際に、2人から「再度確認してみたら、事実が全く違っていた。佐賀県側からの要請はなかった。説明番組への投稿も含めて、すべて九電側が勝手にやったことで知事は関係ない」と強い口調で言われました。

 その日の朝、私が宿泊しているホテルに眞部社長が来て話をしている時には、前日に私が古川知事に話したのと同じ前提で話していたのに、なぜ、わずか3、4時間の間に、そんなに話が大きく変わるのか全く不可解でした。

 しかし、会社側がそういう説明をする以上、第三者委としては、一から調査し直すしかないと思いました。そこで、その夜、第三者委の委員長という立場で、佐賀市内に行って古川知事と会いました。保安院説明の際のネットによる書き込みに関して会社側の説明が変わり、前夜の「知事辞任は避けられない」という私の認識の前提が変わったので、前日に辞任の意向表明を助言したことは白紙に戻しました。6月21日の九電側と知事との知事公舎での面談の事実をどのように表に出すのかについて話を中心に、それ以降の対応について話しました。

 ――古川知事が会見で、知事公舎での面談の事実を公表したのは7月30日でした。

 郷原弁護士:それを受けて、私が、その日の夜に、福岡市内で記者会見を行って、九電がそれまでその事実を公表してこなかった理由などについて説明し、知事発言が九電側の「やらせメール」問題にどのような影響を与えたのかは、第三者委として調査していく方針だと述べました。

 ――26日に古川知事に辞任の意向表明を助言したことを、第三者委の報告書公表まで会見などで明らかにしてきませんでしたね。

 郷原弁護士:私としては、古川知事との26日の会談のことは、第三者委の委員長の立場とは違う個人としての行動ですから、委員長としての記者会見などでは、話す必要はないと思っていました。

 ところが、報告書公表直後の10月1日の西日本新聞に以下のような記事が掲載されました。

 「『こんなメモがある。まだ若いし、責任を取って出直した方がいい』第三者委発足直後の7月末。郷原委員長は古川知事と面会し、メール問題の発端とされる九電幹部作成の発言メモを示し、こう迫った。『知事は無実。完全な越権行為だ』。想定外の事態に九電上層部は驚き、憤った。」

 26日の会談のことが記事になっていることだけでも驚きでした。しかも、眞部社長の了解を得て古川知事への助言を行ったのに、「越権行為」「想定外」などと、まったく事実に反することが書かれている。眞部社長が事実を捻じ曲げて記者に話したとしか思えませんでした。

 しかも、その後、10月14日に九電の経産省に提出した最終報告書の中には、その26日の私と古川知事の会談のことが記載されていたのです。

 そうなると、私も、26日の古川知事との会談のことについて正確に説明せざるを得ません。10月14日の夕刻に行った記者会見で、眞部社長の了解を得て、個人の立場で行った点を説明しました。10月17日に佐賀県議会での参考人質疑でも、古川知事との会談の事実関係について質問を受けた際には詳しくお答えしました。

 ■知事の「変心」

 ――郷原さんは7月26、27日と古川知事に接触された以外に、8月4日にも知事に電話をして九電佐賀支店長が作成した古川知事の発言メモ全文を読み上げた、と佐賀県議会の参考人質疑で証言されました。

 郷原弁護士:7月26日の古川知事との面談の事実を明らかにせざるを得なくなったので、県議会で質問されれば、その8月4日の電話のことも含めてお答えするしかないと判断しました。

 知事発言メモについては、県議会の委員会質疑でも開示の要請があったと聞いていましたし、マスコミも入手に躍起になっていました。そこには、「菅首相が最大のリスク」などと、表に出ると政治的な影響が出かねない知事の発言が記載されていました。26日に私が古川知事と会った際には、メモは見せていませんでしたが、もし、そのメモの内容が表に出た場合、古川知事がその内容を知らないと説明に窮するのではないかと思い、眞部社長の了解を得た上で、電話で全文を伝えることにしたのです。

 古川知事に電話をかけ、メモ全文を読み上げたところ、古川知事は「そういうメモが表に出ると、私の方が、玄海原発再稼働に向けて突っ走ってきた、ということになりますね。どんな説明をしても、辞任は避けられませんね。」というようなことを言っていました。そのメモがいつ表に出るのかを気にしていました。

 ――6月21日の九電との会談で、そういう発言をしたのかどうかについて、知事はどう言っていましたか。

 郷原弁護士:「すっかり忘れていたが、そういうような発言をしたような気がする」と言っていて、発言内容自体は否定していませんでした。ところが、そのあと、マスコミ報道で知事発言メモの全文が明らかになってからは、自らの非を全く認めない方向に変わったのです。そのような知事の姿勢を受けて、眞部社長の対応もまた変わりました。

 その後、眞部社長と会食した際に、眞部社長は私に「郷原が反原発の方向で政治的意図で動いている。古川知事を追い込もうとしている。何で郷原みたいなのを第三者委の委員長にしたんだと佐賀県内の関係者からうるさく言われている。我々にとっては、『やらせメール問題』より『第三者委員会問題』の方が大きな問題だ」とまで言っていました。

 しかし、どうして私が政治的意図で古川知事を追い込まなければいけないのでしょうか。私は、逆に、古川知事と旧知の仲だったこともあって、委員長就任前に、個人の立場で二人で腹を割って話し辞任の意向表明を助言したりもしました。そのときの私の、危機管理の観点からの考え方は、古川知事の側でも十分に理解してくれていたと思いますし、眞部社長も了解してくれていました。

 ところが、どういう事情かわかりませんが、古川知事の姿勢が大きく変わり、眞部社長も、知事発言に関して途中まで私に同調する方向で動いていたことを否定せざるを得なくなった。

 ちょうどその頃に、表面化した九電側の証拠廃棄行為に対し私は委員長として徹底して厳しい対応をとった。それらの事情が絡み合って、眞部社長が第三者委と対立する姿勢をとるようになったということだと思います。

 眞部社長がここまで第三者委報告書に反発し続けたことが九州電力にどれほどのダメージを与えたか。古川知事にとっても、私の助言を聞き入れず開き直ったことで、佐賀県知事の座は保てても、政治家としての将来にどれだけ大きな傷を残したか。よく考えてみてほしいと思います。

 ■エネルギー護送船団体制の問題

 ――古川知事は11月22日、玄海原発への「プルサーマル」導入計画をめぐり2005年に県が主催した公開討論会に九電が参加者の動員や質問の仕込みなど「やらせ」をしていた問題で、当時の県の原発担当職員が事前に仕込みなどを認識していたのに制止しなかったと認めて謝罪し、監督責任をとって給与を減額すると発表しました。

 郷原弁護士:九電玄海原発のプルサーマルの関係では、佐賀県が「仕込み質問」容認していたことを古川知事も認めざるを得なかった。知事自身の関与については「自分は、報告を受けていたという記憶はない」といっていますが、知事自身が出席している討論会です。あの九電社員の露骨な質問をみて、知事に全く認識がなかったとは考えられない。やってほしくない、と思っていれば、やるな、と言っているはずです。

 ――翌23日には、北海道電力泊原発3号機のプルサーマル計画をめぐる「やらせ」問題で、北海道の関与を調べていた道の第三者検証委員会が、計画に関する道民の意見募集をめぐり、道原子力安全対策課長が北電に賛成意見を提出するよう依頼していたと指摘し、「やらせ」への関与を認定しました。金太郎飴のようですね。九電の第三者委が指摘した九電と佐賀県の不透明な関係の背後に見えているのは、国(経産省)、原発立地自治体、電力会社と周辺企業群がかかわる巨大な利権構造です。古川知事も九電も、その巨大な構造の一部にすぎないのではありませんか。

 郷原弁護士:重要なことは、福島原発事故による大きな環境変化です。国民から求められていること、原発を運営する電力会社に対する社会的要請の中身が大きく変わったということです。事故前と同様の知事と電力会社との不透明な構図でやろうとしたことが最大の問題です。プルサーマルの導入をめぐる議論は、福島原発事故以前の2005年から2006年にかけてのことですが、原発推進が国是とされる中にあって、その導入の是非をめぐって賛否が分かれる問題だった。

 東京電力、関西電力という有力電力会社が導入に失敗する中で、九電が、古川知事との関係を活用して日本初のプルサーマル導入を実現した構図は今回の原発再稼働をめぐるやらせと相似形だった。

 確かに、九電と佐賀県で露呈した問題は、原発・エネルギー政策の司令塔である経産省が引きずってきている問題でもある。経産省自体も、原発政策を推進するための「やらせ」と無関係ではない。古川知事や九電のことを非難できる立場ではない。

 しかし、枝野大臣が言っているのは、そういう不透明な関係を解消し、それぞれが信頼できる組織になってやっていきましょう、ということでしょう。九電のようなガバナンス崩壊状態の企業を世の中が信頼しますか。公益企業である以上、社会に目を向け、社会的責任を果たす姿勢でないと世の中は相手にしてくれない、ということです。

 ■[追録]

 本記事の掲載直前の12月7日、朝日新聞オピニオン面の「耕論―不祥事と第三者委員会」に、郷原氏の第三者委員会委員長としての行動を批判する宗像紀夫弁護士(元名古屋高検検事長・東京地検特捜部長)の見解が掲載された。その点について、郷原弁護士に電話で追加インタビューを行った。


 まず「耕論」での宗像氏の発言を引用する。


 私は過去に何件か第三者委員会の委員長などを引き受けましたが、その時に留意したのは、予断や偏見、その他政治的な思惑などを一切持たずになるべく多くの関係者に話を聞くこと。そして、契約上守秘義務が課されているか否かに関わらず、調査で知り得た事実を勝手に公表しないということでした。大きい企業の不祥事ですから、新聞記者などが調査内容を聞こうと接触してきましたが、途中経過は一切話しませんでした。

 昨年日弁連が策定した「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」でも、「独立した立場で中立・公正で客観的な調査を」「調査報告書提出前にその全部または一部を企業等に開示しない」と定めています。

 こうした観点から見て、問題となるものもあります。九州電力の「やらせメール」問題に関する第三者委員会の郷原信郎委員長の行動です。

 まずは、郷原氏が、委員長内定後、就任直前に古川康・佐賀県知事と面会して、「早期に辞任した方が政治的ダメージは少ない」と辞任を促したことです。最も重要な調査対象である古川知事に辞任を求めるという行動を見ると、郷原氏が何らかの予断を持って調査に臨んでおり、中立・公正な立場ではなかったと言われても仕方ないのではないでしょうか。

 その後7月30日、古川知事が記者会見でやらせメールへの関与を否定するや、郷原氏も委員長として会見し、「知事の発言は結果的にやらせメールの引き金になった」と反論しました。まだ本格的な調査も始まっていない段階でのこのような発言は、委員会に対する信頼性を失わせるものであり、越権行為と言えます。

 ――宗像弁護士は、郷原さんの第三者委員会委員長としての行動を批判しています。

 郷原弁護士:宗像氏は、事実関係を正しく把握していないようです。7月30日に、古川知事が記者会見したことを受けて、私が記者会見を開いて発言したことについて、「知事の発言がやらせメールの引き金になったと言って古川知事の発言に反論したことは『越権行為』だ」などと批判していますが、この日の私の会見は、古川知事と事前に打ち合わせた上、古川知事の関与について誤解が生じないように「支店長作成メモでは、九電社員に投稿を要請したように見えるが、古川知事の説明は異なっており、今後、知事発言がどのような影響を与えたのか第三者委員会の調査で明らかにしたい」と述べたものであり、古川知事の発言への「反論」ではありません。

 それまで6月21日の知事公舎での面談という重要な事実が公表されていなかったので、九電側がそれを隠ぺいしたと批判されないように、早く事実を表に出すために、古川知事の側が記者会見で公表することを私から提案したものです。もちろん、会社側とも事前に十分に調整した上で行ったことで、「越権行為」だなどと言われる筋合いはありません。

 委員長就任前に古川知事に会い、辞任の意向表明の助言をした経緯と、その理由については、既にこのインタビューで述べた通りです。九州電力の第三者委員会の調査を円滑に進めていくための環境を整えるために、九電の社長の了解をとった上で、古川知事に会い、あくまで個人的な立場で助言したものです。その是非については、意見はいろいろあると思いますが、私は、その時点で、早期に辞任の意向表明をすることが古川知事にとっても九電にとってもベストだと思っていましたし、様々な事実関係が明らかになった後の、古川知事が現在置かれている状況を考えると、当時の判断は基本的に間違っていなかったと思います。

 また、宗像氏は、日弁連第三者委員会ガイドラインの「調査報告書提出前にその全部又は一部を開示しない」という文言を引用して、調査途中での事実公表を問題にしていますが、この文言は、報告書の起案権は委員会側にあり、会社に事前に開示することで会社側の意向で内容の修正を求められることがあってはならないという趣旨であり、重要な事実が委員会の活動の途中で明らかになった場合の公表の是非とは別の問題です。実際、オリンパスの第三者委員会でも、反社会的勢力に資金が流れた疑いが報道されたのに対して、委員会として「そのような事実は認められていない」とのコメントをしたと報じられています。

 宗像氏がどういうところで第三者委員会の仕事をされたのかわかりませんが、公益企業の典型である電力会社の第三者委員会には、露骨な証拠廃棄や重要事実の隠蔽などに関して、適宜適切な情報開示が求められることを御存じないようです。いずれにしても、第三者委員会ガイドラインすらよく理解されていない宗像氏の批判は余りに的外れです。

 それに、どうして東京の宗像氏が、こういう事実に反する情報を得たのか、不可解です。岡本氏の単独会見といい、九州電力問題については、不思議なことばかり起こります。

 

 郷原 信郎(ごうはら のぶお)
 名城大学総合研究所教授、郷原総合法律事務所代表弁護士。1955年島根県松江市生まれ。1977年東京大学理学部卒業。1983年検事任官。公正取引委員会事務局審査部付検事、東京地検検事、広島地検特別刑事部長、長崎地検次席検事などを経て、2005年桐蔭横浜大学法科大学院教授・コンプライアンス研究センターセンター長。2006年検事退官。2008年 郷原総合法律事務所開設。2009年より名城大学教授、2010年総務省顧問・コンプライアンス室長。公職として、公正入札調査会議委員(国土交通省・防衛省)、横浜市コンプライアンス外部委員。3月に提言をまとめ終了した、法務省検察の在り方検討会議委員も務めた。近著に「組織の思考が止まるとき~「法令遵守」から「ルールの創造」へ~」(毎日新聞社、2010年)。