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小沢議員第6回公判 前田元検事の取り調べを振り返る大久保元元秘書

 資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で強制起訴された民主党元代表・小沢一郎被告の第6回公判が12月1日、東京地裁で開かれた。前日に続いて大久保隆規元秘書の証人尋問があり、前田恒彦元検事=証拠改ざん事件で実刑判決=の取り調べを受けて「自白」調書に署名した経緯などについて詳しく語った。

  ▽注:法廷でのやりとりは記者のメモから起こしたものですので、正確に聞き取れなかった部分があります。聞き取れなかった部分は「〓」「…」と表示してあります。

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 検察官役の指定弁護士は、石川知裕衆院議員と池田光智元秘書が2004~05年分の虚偽の政治資金収支報告書を提出する前に、大久保元秘書、小沢氏の順に説明して了承を得たと主張する。

 大久保元秘書は、前日の指定弁護士に続いて、この日はまず弁護側の質問を受けた。

 大久保元秘書は「年長の私が東京の秘書の束ね役として会計責任者にもなったが、秘書の人事や労務を取りまとめていただけ。会計業務は石川氏らの担当で、私が関与したことは一切ない」と明言。会計や収支報告書に関与していないこと改めて強調した。

 土地取引事件に先立つ西松建設からの違法献金事件の捜査で、09年3月に作成された大久保元秘書の調書には「現在、会計責任者を務めている」と記載されていた。実際にはその2カ月前に別の秘書に代わっており、大久保元秘書は「忘れていた。交代したことすら気にも留めない程度の認識だった」と答えた。

 また、問題となった秘書寮建設のための土地購入については「政治家を志す秘書が巣立ち、赤じゅうたんで小沢先生を支える直系議員になることで、小沢先生の政治の安定につながると思っていた」と語った。

 弁護側はその後、土地取引事件での前田元検事の取り調べについて尋ねた。

 前田元検事は、10年1月21日に大阪地検特捜部から東京地検特捜部に応援に入り、逮捕されて否認を続けていた大久保元秘書の取り調べを担当することになった。

 大久保元秘書によると、「検事総長から直々に指名があって来ることになったようだ」と前田元検事に言われ、旧ライブドアの粉飾決算事件など過去に手がけた事件を列挙されたという。「ホリエモンは非協力的だったので村上ファンドにも発展させてやった」などと具体的な話にも及び、大久保元秘書は「総長が指名した実力を持つ検事に交代し、何をされるか分からないと怖くなった」と話した。

 さらに、同月23日の小沢氏本人の事情聴取の直前に「あなたがその前に認めないと、議員会館への家宅捜索などに広がる。会計責任者がしらばっくれるなら、もっと上に伸びる」と迫られ、大久保元秘書は同日午前に、虚偽記載への関与を認める調書の作成に応じたという。

 弁護側の後、最後に裁判官が質問した。

 裁判官は、大久保元秘書が再現した前田元検事の発言について「前田元検事の言葉なのか、あなたの解釈なのか」と尋ねた。大久保元秘書は「議員会館の家宅捜索という言葉は出たが、そういうニュアンスの話で、自分が忖度した部分もある」と答えた。

 裁判官はまた、「会計責任者の肩書は名ばかりで、石川議員らに任せていた」という大久保元秘書に対し、「小沢被告から指名された職責をどう理解していたのか」「石川氏らへの一任を、小沢被告は認識していたのか」と厳しく追及した。大久保元秘書は「先生の認識は分からないが、私は秘書のまとめ役という象徴的な立場で、実務は担当秘書がやっていた」と繰り返した。

 また、土地購入費として小沢氏が拠出した4億円について、「巨額のお金をマスコミに公表することには抵抗があるか」と問われると、「金額の多寡に関わらず政治資金規正法に基づいてきちんと報告するのが小沢先生のお考えだと思っていた」と述べた。

 2日間に及んだ大久保元秘書の証人尋問は終了。次は7日と8日に、石川議員の後任の事務担当秘書だった池田元秘書の証人尋問が行われる。

 弁護人らの大久保元秘書に対する証人尋問の一問一答のポイントを記者のメモで再現する。

 【弁護人と大久保元秘書のやりとり】

 ■大久保元秘書の経歴

 ーー現在の職業は。

 会社役員。

 ーー政治の世界からは離れた?

 去年3月末から離れている。

 ーー現在は何の仕事を?

 釜石市にあるおもちゃなどの卸問屋で、非常勤の取締役として時々相談に乗っている。先の震災の津波で会社も被災し、再建に取り組んでいる最中。

 ーー平成11年11月に小沢事務所に入ったということだが、その前の経歴は。

 高校卒業後、家業を手伝っていたが、政治の世界を志し、28歳で衆院議員を目指していた人の秘書になった。その人の父親が経営する会社の社員になった。30歳で釜石市議選に立候補して当選し、2期7年ほど務めていた。平成11年の釜石市長選に市議をやめて立候補したが、残念ながら敗れた。再び捲土重来を期して小沢先生のもとへの入門を決意し、11月1日に入門した。

 ーーまずは書生から?

 私は途中から入った立場で年齢も38歳だったので、最初から秘書的な立場で仕事をした。ただ、朝6時に起床して書生と一緒に朝の作業をし、それから着替えて秘書として議員会館に出かけることも、当面はしていた。

 ーー皆、最初は書生を?

 だいたいそのような形だと先輩からは聞いた。

 ーー書生をする意味とは。

 政治を志す若者が社会に貢献できるようになるにあたり、まずは自分がつかえる師匠の車や庭をきれいにできずに社会をきれいにできるわけはないだろうし、政治家になる訓練になる。

 ーー議員会館の責任者になった経緯。

 先輩が衆院選に立候補して離れていったので、翌年6月とか7月になった。

 ーー入門して半年強で議員会館の責任者に。その経緯は。

 東京の事務所の責任者の先輩、それをサポートしていた先輩、議員会館の先輩の3人が、衆院選に出るということで退職したから。残った人の中で私が年齢が上だった。事務所に入った経歴は浅かったが、地方議員としての若干の経験を買われたと思う。

 ーー前任は誰?

 議員会館の先輩は末次さん。

 ーー議員会館の仕事とは。

 お客様の陳情の対応、他の国会議員事務所の対応、国会見学の案内。

 ーー昨日の尋問で「東京の秘書のまとめ役になった」と言っていたが、議員会館の責任者になったということ?

 東京勤務の秘書は、議員会館か赤坂の個人事務所かのどちらかに配属される。とりまとめ役という意味では、赤坂も含めて全体の束ね役。仕事上ではなく人間関係での束ね役。

 ーー東京の秘書のとりまとめ役としての前任者は誰?

 高橋嘉信さんです。

 ーーとりまとめ役の役割は。

 東京で働いている秘書について、週末、年末年始、盆などの各人の休みの取り方を決めるとか、各地の選挙に応援派遣する秘書の人選や指示とか。日常の仕事での束ね役。

 ーー秘書の人事や労務のとりまとめをしていたと。

 はい。

 ーーとりまとめ役というのは公式な肩書が与えられていた?

 そういうわけではない。

 ーー昨日の尋問で「とりまとめ役になって陸山会の会計責任者になった」と話していたが、前任の会計責任者は誰?

 高橋嘉信さん。

 ーー高橋さんは完全に事務所を離れた?

 衆院選に当選して事務所はやめたが、高橋さんの衆院議員としての事務所そのものは、議員会館の私たちの事務所のすぐ隣にあったので、まったく関係がなくなったわけではない。

 ーーただ、議員になったので、もはやとりまとめ役や会計責任者は続けられなくなったと。

 はい。

 ーー会計責任者としての高橋さんからの引き継ぎは。

 特になかった。

 ーー会計責任者になって、大久保さんの業務に変化は。

 特になかった。

 ーー会計は誰が担当?

 個人事務所で働いていた秘書。その時点では近藤という秘書。

 ーーその後は誰が?

 途中から水沢事務所で勤務していた石川氏が東京に戻ってきてするようになった。

 ーー大久保さんは会計業務をやったことは?

 その後も含めてまったくなかった。

 ーーその後、盛岡に移動にしても会計責任者を交代しなかったのはなぜ?

 特別気にもとめていなかった。前任の高橋さんが国会議員になって事務所を出て行かれて私が引き継いで会計責任者に就任したが、岩手に活動拠点は移したが事務所をやめたわけでもないので、気にもとめていなかった。

 ■2カ月前に交代したのに調書では会計責任者

 ーー21年3月の西松建設事件での取り調べ。21年3月6日の検察官調書に「現在、陸山会の会計責任者を務めている」との記載がある。そう述べた?

 はい。

 ーー実際、21年3月6日当時は会計責任者だった?

 いえ、その調書の時は忘れていたが、その年の事件のある前に、小原さんという秘書から「今度自分がやるように言われた」と連絡があった。1月か2月だと思う。会計責任者は小原さんに代わっていたと後で思い出した。

 ーー当時既に会計責任者ではなかったのに調書が作られたのはなぜ?

 それくらい、交代したことすら気にもとめていない認識でいたので、うっかり忘れて対応してしまった。

 ーー16年に公設秘書になっているが、業務内容に変化は。

 なかった。

 ーー16年当時、東京にいた秘書は誰?

 石川氏、佐藤秘書というのも・・・。

 ーーその頃にいた秘書。

 石川氏。女性秘書だと、会館には山本秘書、高橋秘書、個人事務所には今井秘書。先生の随行運転では中里秘書。地元には木戸口秘書、小原秘書、馬場秘書、池田秘書など。

 ーー事務所で秘書の出入りは頻繁に?

 入門して書生の仕事をする中で、なじまずにすぐに退職していく人もいたが、たくさんとってたくさんやめるというわけではない。異動は民間会社のようなものではなく、先輩が選挙に出ていって地元から東京に来たり、経験を積んで東京に来たりとか。定期的ではなく折に触れてあった。

 ーー先ほど言った秘書の中で、公設秘書は誰?

 私が公設第二秘書になった時は、第一は小原秘書、政策は木戸口秘書。

 ■毎朝、小沢邸で打ち合わせ

 ーー毎朝、自宅で打ち合わせをすると。

 打ち合わせというか顔合わせ。東京にいる秘書が「行ってきます」と。短ければ1、2分。長くても5分とか10分。

 ーー小沢さんと話をする機会は。

 毎朝会って、何かあれば打ち合わせをするということだが、一日の中で他にも急いで打ち合わせをすることがあれば、随行秘書に電話をつないでもらったり、赤坂事務所を訪ねたりと。話をする機会は、朝だけではなかった。

 ーー朝の打ち合わせでは何を?

 スケジュールの確認。

 ーー秘書として陳情を受けることはあった?

 私が窓口だった。

 ーーすべて小沢さんに報告を?

 いえ。私の裁量で判断していた。よほどのことがあれば報告していたが、地元の自治体から様々な陳情をいただくと、「しっかり取り組むように」と大まかな話はあったので、自分の裁量の中でどうすれば陳情が実現するか、先生の手をいちいち煩わせずに私がやるのが私の本分だと思っていた。

 ーー大久保さんがやっている時、事務的なことは報告されていた?

 全くない。

 ーー平成16年から平成17年にかけて、大久保さんからみて小沢さんはどんなことに関心をもっていた?

 自由党と民主党が合流し、当時、自民党政権下の小泉劇場もあって、本当の改革をする政治をしないと日本のためにならないのではないか。大きな仕事をなしとげてほしいと思った。

 ーー大久保さんの認識として、収支報告書の内容は政治家としてどの程度関心が払われるもの?

 担当者が間違ったことをしているわけないと思ったので、それまでもそんなことなかったし、粛々と作業が進んでいると思っていた。

 ■深沢の土地取得の理由

 ーー土地取得経緯について聞く。深沢の土地を見つけたのは大久保さん?

 はい。

 ーー取得した理由は。

 結婚を控える中堅どころの秘書が結婚後に住む住居が必要と考えた。

 ーー4世帯が住める広さと言われた。実際には何区画を取得したのか。

 物件の4区画を取得した。

 ーー理由は。

 4区画あれば、4人それぞれの住居スペースをつくれる、その広さがあれば、独身者用の住居もつくれる。

 ーーそのころ、秘書が増えるかもというのは?

 そのときの政治情勢がある。私個人としては、裏切って出て行く秘書も見ていた。全国から政治を志してくる秘書が巣立って、国会議員になり、赤絨毯で小沢先生を支える直系議員となり、小沢先生の政治の安定につながる。

 ーー深沢の土地は何が魅力的?

 場所が小沢邸に通うのに近い。また、住宅地として魅力的と映った。仮に売りに出しても、売れなくて困るとはならないと思ったのでいい土地だと思った。

 ーー小沢さんの秘書が自宅近くに住むメリットは。

 団結して仕事を成し遂げるためには、ばらばらに集まって仕事をするより、近くに住んで何かあれば小沢先生に知らせる方がいい。

 ーー秘書の家族も含めて?

 これは仕事のメリットではないが、家族が夏休みに上京し、小沢先生に紹介し、記念写真を撮らせる。中堅どころの秘書が結婚し、子供が生まれ、先生に名前をつけてもらう、そういうものを宝物にするとか。

 ■秘書寮は有料で小沢夫人から賃借

 ーー当時、秘書寮はあったというが、3つの秘書寮はどこに?

 深沢だが、購入地とは違う。もっとより近い距離にあった。

 ーーさらに新しい秘書寮を必要とした理由は。

 3つの建物は、一つは私、一つは石川氏、もう一つは女性秘書が共同で使っていた。

 ーー寮に問題があった?

 女性秘書が二人で共同生活をする上で、プライバシーが確保されない、人間関係の仲良くない者同士が一緒に住まねばならないから生活しにくいと思った。

 ーー1号邸、2号邸、3号邸と呼ばれていた。

 はい。

 ーーこれらは小沢さんの奥さんが所有していた。

 はい。

 ーー陸山会が小沢さんの奥さんから有料で借りていたという認識はあったか。

 わかりませんでした。

 ーーどういう認識だった?

 奥さんの所有する建物を先生のために働くスタッフが利用させていただいていると。

 ーーこれら3つはいつから寮になった?

 私が入門したときはすでにあった。いつからかはわからない。

 ーー大久保さんは陸山会から奥さんに支払われていたことを知らなかったのか。

 知らなかった。

 ーー平成16年の夏から秋に、1号邸から3号邸まで空いている寮はなかった?

 はい、めいっぱいで使っていた。

 ーー1号邸には誰が住んでいた?

 私です。

 ーー2号邸には誰が住んでいた?

 石川氏です。

 ーー3号邸には?

 女性秘書2人です。

 ーー2人の女性はいくつぐらい?

 20代の独身女性でした。

 ーー台所はいくつあった?

 それぞれ1つです。

 ーーキッチンは2人で共用していたということ?

 はい、そういうことです。

 ーー風呂は一つ?

 はい。

 ーーそれも共有していた?

 そういうことです。

 ーートイレは?

 3号邸には入ったことがないのでわかりませんが、1号邸には1階と2階にトイレがあった。もしかしたら3号邸もトイレは1階と2階にあったかもしれません。

 ■秘書の共同生活

 ーー3号邸の女性2人の人間関係は。

 当時の秘書らと、退職した女性の組み合わせもあった。それ以前の関係では、あまり合わないという印象だった。

 ーー当時、東京の秘書が増えていく状況は?

 はい。地元勤務の、キラ秘書、あるいは池田秘書がある程度早いうちに結婚と同時に東京に住むのは見通せていた。その後、結婚予定のカワベ秘書らも地元経験を積めば、小沢先生の近くの東京での勤務を希望していた。結婚して東京に来るとなれば、家族世帯の住居が必要になると考えていた。

 ーー今名前が挙がった人たちは、当時は独身だった?

 はい。

 ーー4人とも結婚する見込みだった?

 はい。予定があって、交際女性がいると打ち明けられていた。

 ーーその後4人は結婚した?

 はい。時期は相前後するが、順調に結婚していった。

 ーーそのころ、一般の人らから、秘書、書生になりたいという申し出はあった?

 折に触れてあった。

 ーーそのときは、誰がどのように対応した?

 私がまず受けて、必要なのかどうか、適性はあるのかどうか、可能性はあるのかどうかを考えた。

 ーー大久保さん自身、寮で共同生活をしたことは?

 平成11年11月の上京のおり、2号邸に秘書4人で共同生活をした。

 ーーどなたと?

 私とナカタイ秘書、コンドウ秘書、カワベ秘書の4人で生活した。

 ーーそのときの共同生活の感想は。

 1階に共同のリビングダイニングがあり、2階に部屋が3つあった。その中で1つを使わせてもらった。3つある部屋に4人なので、当時はカワベ秘書とコンドウ秘書は比較的大きめの部屋に2人で使っていて、不便だろうなと。後から来た私が1人で1つの部屋を使って悪いなあと、ありがたいなあと思っていた。

 ーー3つの秘書寮には、小沢さんの秘書以外が住むことは?

 まったくありませんでした。

 ーー本件土地に、寮を2棟建てた。

 はい。

 ーー既婚者用が1棟、独身者用が1棟。

 はい。

 ーー既婚者用の1棟は誰が住んだ?

 池田秘書、キラ秘書が住んだと聞いております。

 ーー独身者用の棟には誰か住んでいた?

 たぶん女性秘書が何人かで住んでいたと思う。

 ■土地売買契約延期の要請

 ーー昨日の尋問で、本件土地の境界確認に立ち会ったと証言したが、どうして重要だった?

 私が自分の経歴で話しましたが、28才で政治の世界を志し、国会議員を目指していた人の秘書をしていた。その人は住宅販売会社の社長の息子で、私がその秘書をするとき、その父の会社の社員の立場で、給与は住宅の仕事もしながら、息子の活動も一緒にやると、その中で住宅を販売する仕事もやったので、そのときの経験で、土地取引をやるときは、きちんと境界確認は、住宅建築の上で重要だと学んだ。

 ーー本件土地の売買契約について、石川氏から実行を延期したいと相談を受けた。

 はい。

 ーーどうして石川氏は延期したいのだと。

 具体的には覚えていないが、代表選が来年ありそうだとか、解散総選挙があるかもしれないだとか、とにかく代表選か総選挙のどちらかの選挙を想定しての話だったと思う。

 ーーどう思った?

 石川氏がそう考えたのであれば、そうなるんじゃないかと考えた。

 ーー当時、石川氏をどう評価していた?

 私は地方議員としての多少の経験を積んでいたが、当時も自分が志していたのは地方政治で、国政を強く意識していなかった。石川氏は先に入門したし、先生の薫陶も受けていたし、自身、国政を志していたので、国政の知識、読みは太刀打ちできないものがあった。石川氏の話をいろいろ参考にしたから、勉強になるから、そういう形で彼の面を評価していた。

 ーー昨日の尋問で、石川氏に経理を任せていたと。通常の上司と部下ではない?

 会社の部下、上司ではなく、同志というか、議員会館は私、個人事務所は石川氏が、おのおの仕事を頑張って、小沢先生に大きな仕事をしてもらいましょうということだった。

 ■収支報告書の宣誓書

 ーー収支報告書について聞きます。宣誓書について、「書類があることを知らない」と言っていたが、「署名や捺印の必要は知っていた」と。どういうことか説明してください。

 明確に、宣誓書というものがあって会計責任者が署名、捺印するとは知らなかった。でも提出する際には署名や捺印がいるのではないかということはなんとなく思っていた。

 ーー供述調書で、署名について「私がしたものに間違いない」と平成21年3月6日の段階では認めてる。でも21年3月15日には「代書したものかもしれません」と変わっている。なぜ。

 3月3日に初めて任意の聴取をされ、いきなり逮捕された。一体どうなってしまうのか、日本の政治はどうなるのかと考え、「自分だけにして、事件を広げたくない」と思い、会計責任者らしくふるまうようにした。でも、署名をしていないのは資料を見ればわかる。何種類もあって、あれも書いた、これも書いたと言っていたが、実際に書いてみても書けない。「いくらなんでもひどいので、訂正する調書をつくってもらえませんか。つじつまがあうように」と話して、作ってもらった。

 ーー検事は訂正した?

 はい。「どれどれ、本当だ。全然違う」と。「これは似てない?」と言われても「いえ、この辺が違います」「あ、本当だ」と理解してくれた。

 ーー甲137号の宣誓書(平成17年3月)を示します。署名は大久保さんのもの?

 違います。

 ーー甲136号の供述調書の末尾の署名、押印。これは?

 私です。

 ■収支報告書の確認

 ーー収支報告書の提出に先立って、案をファクスで確認することはありうる?

 できないと思う。

 ーーどうしてですか。

 盛岡の自宅にファクスがありますが、電話と一緒のもので、そういう性能しかない。何十枚も1回に受けるのは不可能です。当時勤務していた岩手の事務所には大きなファクスがありましたが、そこには小沢先生と関係がない県連の職員が3人いました。他の国会議員2人の事務所も、パーティションを区切ってありまして、そうした議員の後援者だとか、いろんな人が出入りしていた。そういうところに、うちの政治資金関係のファクスを何十枚も送って、「大久保が帰ってきたらみせて」と頼んでも、誰がどうするかわからない。あり得ない状況でした。

 ーー盛岡にいたときはいつごろ?

 平成17年11月以降です。

 ーーということは平成17年の収支報告書のことですか?

 はい。

 ーーそれ以降も同じ?

 はい。

 ■最初の逮捕

 ーー取り調べについて聞きます。初めの逮捕はいつでしたか。

 平成21年3月3日です。

 ーーどんな事件でしたか。

 いわゆる西松事件です。

 ーー逮捕したのは東京地検特捜部でしたか。

 はい。

 ーー西松事件とはどんな事件ですか。

 西松建設からの政治献金なのに、そう書かなかったと。

 ーー大久保さんの認識では西松建設からとされる献金はどこからだと思っていましたか。

 えーと、近未来産業研究会と新政治問題研究会という政治団体からだと思っていた。それが西松建設からと疑いをもたれた。

 ーーその団体は、未来産業研究会と新政治問題研究会ではないですか。

 はい。

 ーー聴取に応じたのはなぜですか。

 何のことかわからないので、とりあえず話を聞こうと、軽い気持ちだった。

 ーー呼び出しはいつ受けた?

 前日です。

 ーーどこに連絡がありましたか。

 東京の議員会館に連絡がありました。私は盛岡にいましたから、議員会館で電話を受けた秘書から連絡を受けました。この番号に連絡してくださいと。

 ーー電話をかけてきたのは誰でしたか。

 法務省の山本さん。

 ーーどうしました。

 電話した。

 ーー誰と?

 山本さんと。

 ーー山本さんはどんな立場の人でしたか。

 3月3日に知ったが、特捜部の検事でした。

 ーー電話ではなんと言っていた?

 「陸山会の会計責任者ですよね」と聞かれ、「はい」と答えた。「聞きたいことがあるから来て欲しい」と言われましたが、翌日には予定があり、「立て込んでいる」というと、「できるだけ早く来て欲しい」というので、予定を変更し、翌朝に上京した。

 ーーどちらに?

 迎えの人と待ち合わせして、東京地検に行った。

 ーー中で逮捕?

 聴取された部屋で、「逮捕状が出た」と言われ、逮捕された。

 ーーどんな被疑事実でした?

 偽りの報告書を記載した疑いでした。憤りがあったが、そういう立場になってしまった。

 ーー否認しましたか。

 否認しました。

 ■逮捕に対する感想

 ーー小沢さんはそのときどんな役職でした?

 民主党の代表でした。

 ーーどんな状況でしたか。

 政権交代が実現しそうで、当時の政権も批判されていたので、こつこつやっていけば、いよいよ政権交代しそうだと。小沢先生が掲げてきた改革が実現されると楽しみにしていた。

 ーーこのタイミングでの逮捕をどう思った?

 何かの謀略だと思った。私を逮捕して小沢先生を失脚させようとしているのではないかとおもった。

 ーー同じ事件で政治家が逮捕されたことは。

 同じような会計処理をしていた議員先生もいたという報道があったが、なぜか私だけ逮捕された。

 ーー大久保さんの逮捕以外に強制捜査はあった?

 私の知る限りなかった。

 ーー逮捕されてから取り調べの頻度は。

 勾留期間が21日間ですか。朝、昼、晩と。

 ーー担当検事は。

 山本検事。

 ーー捜索を受けたことは。

 それはほかの先生のことの話と取り違えていた。まず、私の自宅、赤坂の個人事務所、地元の陸山会の事務所、民主党岩手県連の事務所も捜索を受けたと弁護士から聞いた。

 ーーどう思った。

 通常、ニュースに大きく報じられていたので、うちの事務所が報道対象になって、とんでもないことが起きているなと怖い思いだった。

 ーー大久保さん以外も特捜部の聴取を受けたのか。

 事務所の秘書が受けているとは聞いていた。

 ーー誰?

 池田氏、地元の小原氏、県連の職員も聞かれている。つらい思いをしていると思った。自分だけでなく、ほかの秘書も逮捕されなければいいなと思っていた。

 ーー西松事件では3月4日付けで起訴。5月11日に小沢さんが民主党代表を辞任した。理由は。

 先生がお辞めになる話ではないと思ったが、政治の世界なのであえて身を引いたと思った。非常に残念でたまりませんでした。

 ■東京拘置所

 ーーどこに拘置された?

 東京拘置所です。

 ーー独居房?雑居房?

 独居房。

 ーーどんな様子?

 畳3枚があり、その屋に板の間があり、トイレと洗面のコーナーがある。

 ーートイレと部屋の間は仕切られている。

 ありません。

 ーー入ってみるとどう?

 狭い空間で息苦しい感じを覚えた。気持ちの上で慣れるまでしんどかった。

 ーー食事はどこで。

 独居房にいれられるので、房のなかで。

 ーー独居房にいる時間以外は。

 取り調べ。主に取り調べ部屋と独居房を行き来する。週2回は入浴。平日は朝30分、運動する

 ーー勾留生活は初めて?

 はい。

 ーーどう?

 情けなく思った。外の景色が見えないし、非常に抑圧された気持ち。早く外に出たいなと思っていた。

 ーー保釈はいつ?

 5月26日。外に出たら、色々と大変なんだろうなと想像した。それでも外の景色を見えるということでほっとした。

 ーー西松事件の裁判はいつから。

 12月。

 ーー陸山会事件で最初に呼び出しを受けたのはいつ?

 12月の裁判が始まり、集中していた時期。年の瀬もくれてきている頃に事情聴取の話があった。しかし、自分の裁判で精いっぱいなのですぐに応じたわけではなく、1月に入ってから応じた。

 ーー陸山会事件が裁判になるとは。

 全く思ってなかった。期ズレの問題と報道で承知していた。当時、鳩山さんの政治資金の問題もあったので、最悪、間違いということであれば、略式起訴、もしくは訂正を求められるくらいだと思っていた。

 ーー鳩山さんというのは、鳩山由紀夫さんのこと?

 はい。

 ■陸山会事件の取調べ

 ーー平成22年1月5日にこの件で最初の聴取を受けましたか。

 はい。

 ーーそのときの担当検事は?

 田代政弘検事です。

 ーー田代検事からどのようなことを聞かれた?

 そういう報告書の虚偽記載について、こうじゃないか、ああじゃないかと質問された。

 ーー本件土地や4億円の記載を質問された?

 そういうことも含めて。

 ーーどう答えた?

 まず自分の裁判が始まって、何とか裁判に集中していたので、まさか事件になっていくとは夢にも思わなかった。早くこれが終わって、帰って、裁判にのぞむ気持ちがあった。質問されたが、まさか事件になるとは思わなかったので、西松事件を広げまいと思い、真実ではない供述をした調書があったので、その調書を前提にした聴取に応じたという気持ちだった。

 ーー大久保さんが本件土地を見つけたことや、石川さんを引き合わせたことは説明した?

 はい。どうやって見つけたかの話はした。

 ーーそのあと、収支報告書の記載はどうなったという話はわかっていなかった。

 先はわかっていなかった。

 ーー田代検事に話した?

 実際には見ていなかったという話をした。

 ーー田代検事は?

 困ったような表情だった。

 ーーそれをどう理解した?

 私の調書作成にあたって、その旨で作成すると、西松事件の調書と整合性が取れない調書を検事が作ることになるので、これでは話が合わない、というやりとりで困った感じだった。

 ーーそういうやりとりを何度もした?

 はい。実際見ていなかったと言って、困ったなあという感じで。

 ーーその日、調書は作られた?

 事情聴取なので、何らかのものを作らなきゃいけないということで1通作成した。

 ーーどのような?

 今の部分に関しては、「見逃したとしか言いようがありません」という表現になっていると思う。

 ーー調書を見ると、それらの不記載は見落としてしまったと説明している。それらの記載も、見落としてしまったと。そういう記憶は?

 はい、そうでした。

 ーーどうしてそういう調書を作られた?

 取り調べの最後、約束の時間が迫って、調書を作らねばというころ、最後のほうのくだりだと思うが、おもむろに田代検事から「見落としたとしか言いようがない。これでどうだ」と。

 ーーそういう話を聞いて、どうした?

 そういう表現なら、収支報告書を全部見たという、もともとの調書の記載と、実際は見ていないというのと、間を取るような表現になると思ったので、その時点では妥協したというか、何とか西松事件の自分の裁判とつじつまが合わせられると思い、提案に乗った。

 ■陸山会事件では逮捕されると思わず

 ーー提案に乗った時点で、この件で逮捕されると思った?

 まったく思っていなかった。

 ーーなぜ?

 直接的にはそういう表現になったが、土地を探すところにかかわったが、その先は知らなかったと繰り返し述べて、そう伝えたつもりだったので、まさか逮捕されるとは夢にも思わなかった。

 ーー実際、その後に逮捕された。逮捕されたのは平成22年1月16日。この日は西松事件の裁判では、どのようなタイミングだった?

 私の裁判は1月13日か14日にあった。そのときに検察側の証人ということで、当時の西松建設の担当部長が証人に出た。いろいろな尋問でのやりとりの中で、最後に部長が本当の話をしてくださった。検察側証人だったが、検察には大きく不利になる証言をしてくれた。私はその部長の勇気と正義感を感じ、よかった、本当のことを言ってくれて、裁判もいい方向に進むと小躍りしながら新幹線に乗り、釜石に向かった。しかし自宅にいる家内に連絡がつながらなかった。公判が終わってすぐに、自宅が家宅捜索を受けて、その対応で電話に出られなかった。何ということが起きたんだとびっくりした。その日は家に帰れず、知り合いの家に泊まった。翌日も家宅捜索は続いた。それが1月14日。1月15日の夜に弁護人から電話があって、逮捕状が出て、特捜部から身柄確保に向かったと。翌日の朝迎え行くと思う、という衝撃的な知らせがあった。裁判ではいい方向になったのに、今度は、こうなるのかと強い憤りを感じた。

 ーー逮捕されたのは自宅で?

 いや、朝迎えの車に同乗して、新幹線の駅に向かい、新幹線に乗って、東京に来て、どこかの駅で降りて、車に乗って、地検に連れてきてもらって、その中で逮捕状を執行すると。

 ーー逮捕されるための東京までの移動はどうだったか。

 自宅には大勢のマスコミがいたし、乗り換えの北上駅にも新幹線ホームで追いかけられ、駅で降りて車への移動も長い間カメラに追いかけられ、本当に何とも言えないやるせない気持ちになった。

 ーーあなたの気持ちは?

 他の事件で逮捕された容疑者が、潜伏先から東京へと連行される映像がテレビで映ったので、今度は自分がそういう立場で報道されるのかとやるせない気持ちになった。

 ーーこのとき、大久保さんだけが逮捕された?

 いえ、私は遠方にいたが、15日の夜に石川氏と池田氏が逮捕されると聞いた。

 ーー逮捕されてからの取り調べは誰が担当した?

 宮本直記検事です。

 ■「怖い検事が来る」と告げられる

 ーー被疑事実は、否認したのですか?

 はい。西松事件で逮捕されて、なんとか自分だけで広がらないようにしようと事実でない調書に応じました。にもかかわらず、石川さんや池田さんが逮捕されるにいたりました。何のために頑張ってきたのか、と非常に残念でなりませんでした。もう本当のことを言った方がよいと、実際見ていませんでしたから、私は全くわかりません、と言いました。

 ーー宮本検事の調べは、1月21日の午前中まででしたか?

 16日から21日でした。

 ーー宮本検事の調べの中で、検事が交代するという話はありましたか?

 21日に代わったと思いますので、前日あるいは前々日の夜から、ほのめかされたことがありました。当時の特捜の見立てがあって、それに沿った形で、宮本検事から取り調べを受けました。この段階で、石川さんも池田さんも逮捕されていたので、もう本当のことを言おうと真実を話し始めました、特捜の当時の見立てで宮本検事が調べてきましたが、全く相いれない。調書ができあがらず、平行線で何日も過ごすことになりました。「調書が今日もとれないと自分が代えられるかも。怖い検事がくるかもしれませんよ」と前々日の夜から話があったかもしれません。

 ーー午前中の最後のことですが、平成22年1月21日の前々日に、宮本検事から「もっとこわい検事がくるかもしれない」と言われた?

 はい。なぜ取り調べの検事が交代しなければならないのかと思った。

 ーー宮本検事には聞いた?

 見立てに沿った調書ができあがらなかった。私は真実を話すと気持ちを切り替えていたので、言うとおりの調書にならなかった。だから、「自分に代わって他の人がくる」と聞いた。誰に代わっても真実に変わりはないからどういうことなのかと。

 ーー宮本検事から代わることを告げられたのは。

 21日の午前の取り調べの時。大久保さんがそういう形で話が折り合わないので、「私では力不足ということで代わることになった」と言われた。

 ーー新しい検事とはいつ会った?

 その日の午後の取り調べで。

 ーー誰?

 前田検事。

 ■前田検事

 ーー初めて前田検事と会ったのは?

 取り調べの部屋。

 ーー東京拘置所の?

 はい。

 ーーどういう場所?

 机が二つ向かい合わせで並んでいて、窓際でない方の壁際に机がある。

 ーー広さは

 12畳くらい。

 ーー机の大きさは

 一般の事務机のちょっと大きい感じ。両脇に引き出しが入るくらいの大きさのもの。

 ーー窓は

 窓の内側にブラインドがあって、閉じている。

 ーー前田検事の風貌は?

 非常に大きな人だと思った。

 ーー髪形は?

 少し縮れ毛で、前髪は長めでたれている。広い額の上に乗っかっている。

 ーー印象は?

 2つの事件で5人目の検事だった。これまでの4人とは一種雰囲気の違う人だと思った。

 ーー事務官は?

 宮本検事の事務官とも代わって。新しい事務官がきた

 ーー3人でいた?

 最初は挨拶しました

 ーーその後は?

 「私はざっくばらんにやる方なので、あまり緊張しないで」と言われた。初めて拘置所のブラインドを半分近く開けて、外が見える環境にした。事務官には「下がってていいから」と促されて、席を外させた。

 ーー2人きりになって、前田検事は何か言った?

 簡単な自己紹介。大阪の特捜部で事件を抱えて、忙しい。なのに、こっちにきた。東京の特捜部でやればいいのにと言っていた。「ところで大久保さんはどうしたいの」と言われた。

 ーーそう言われて、どう思った?

 それまでの4人の検事の場合、「一体何があったのか」「こうだったのではないか」というところからスタートした。しかし、前田検事は「どうしたいのか」と言われた。事件をあなたはどうしたいのかと問いかけられた。

 ーーどう答えた?

 取り調べの途中に、検事が代わるという思いも寄らない事態になり、それまで真実を述べて平行線だった宮本検事から、大阪から来た検事にかわった。非常に意図的な大きな狙いがあるのだろうと。何が何でも立件しますよという強い組織の意思を感じて怖くなった。

 ーー大阪からきた前田検事とは。

 単純にこうしましょうと従ったとは思ってない。やりとりを経てざっくばらんにやりましょうと。前田検事が関わった事件の話を、報道で知り得ない話を興味深く聞いた。

 ーーどんな事件を担当していたと?

 小室哲哉さんの事件。厚労省の村木さんの事件。ホリエモン事件、村上ファンドの事件。福島県知事事件、防衛次官の事件。大阪所属の検事だが、東京の特捜部でも長く仕事をしたという話をされた。

 ーーそういう事件をやっている検事が来たと思ってどうだった?

 宮本検事と違い、特捜部で大きな事件を担当した検事が担当することになったので、「何がなんでも、何かやられるな」という気持ちを強く思った。

 ーー前田検事はさきほどの事件について具体的に話をした?

 ホリエモンの事件では、「彼が我々の捜査に逮捕後に非協力的だったので、あそこまでやってやった。村上ファンドにも発展させてやった」と。真実を貫き通すということは結果的に逆らうということになる。真実を貫くと、何をされるかわからないという恐怖感を強く持った。

 ーーなぜ前田検事が大久保さんを担当することになったのか。

 宮本検事は仕事ができない検事だと、主任の木村検事は、自分が東京特捜部にいたときから、気心が知れている。大阪で忙しいが、検事総長から直々に指名があって来ることになったようだと。

 ーー検事総長と聞いてどう思った?

 司法の最高の人がこういう人事に関わっているということで、真実を貫くことが逆らうことになる。何をされるかわからないと思った。

 ーー前田検事からは、ほかの検事について言及は?

 西松事件の時の山本検事については、前田検事に「西松事件で逮捕されて裁判が始まっている」という話をした。山本検事のことは「ヤマホンさんな。いい加減な調書取るから、今頃どっか行ったわ」と左遷された印象のような発言があった。

 ーー前田検事と山本検事どちらが先輩?

 私の印象としては、山本検事の年上の印象

 ーーそういうことを言う前田検事をどう思った?

 1回目の事件で、そういう検事を「ヤマホンさん」と呼んで「いい加減な調書取ってるから、いまごろどっか行ったわ」と。前田検事は総長の指名でここに来ているから、よっぽど手強い実力を持った検事が取り調べ担当になってしまったと思った。

 ーー前田検事から「認めないとどうなる」という話はあった?

 これだけの力がある検事で、その検事に「どうしたいのか」と自分の考える限り、政治的に悪い形にならないように扱ってもらいたいと思った。

 ■石川、池田供述

 ーー主尋問で、前田検事から「石川、池田は認めていると言われた」と。

 はい

 ーー一度だけ?

 何度かかれらとの私のやりとりがでてくるたびにそういう話をされた。

 ーー前田検事から「石川、池田が認めている」と言われたのは、1月23日付け調書に署名する前?後?

 1月23日の私がおおむね認めた調書だが、こういうことがそのときなのかというよりも、小沢先生の事情聴取が23日に予定されていたと思う。22日に「会計責任者のあなたが認めないと小沢先生がどうなるかわからない」と言っていた。私は小沢先生の事情聴取の前に対応しないと間に合わなくなると思った。その時点までに「石川、池田がこう言ってる」という話は出なかったと思う。

 ーー小沢さんは大丈夫だとなぜ思わなかったのか?

 ホリエモンの対応で「こんなこともできる」と言われた。総長の指名なので、いろんなことをやり放題にやられるという強い危惧をもった。

 ーー前田検事から大久保さんの弁護人のことで何か言われた?

 平日は接見がある。私と弁護士の信頼関係が邪魔と感じたのではないかと思うが、「大久保さんの弁護士はヤメ検でもあるが、現在、特捜部と事件を争っているヤメ検なので、我々との交渉は一切できない」と言われた。私が弁護士を信頼していることは不利になるのではないかという発言があった。

 ーー前田検事は取り調べで、毎回事務官の席を外させたのか。

 だいたい2人で接することが多かった。

 ーーそれまで、事務官に席を外させる検事はいた?

 一人もいなかった。この検事は大物だから、こういう権限を持っているのだと思った。

 ーー事務官はどうしてる?

 調べが終わる時、調書を作るとき、署名捺印するときなどに呼ばれていた。

 ーー原稿は誰が?

 前田検事が自分で作っていた。他の人は、拘置所のパソコンを使って、まず検事が口頭で作って、事務官が打つ、検事が話したものを事務官が打ち込むのがそれまでのやり方だった。前田検事は自分のノートパソコンを持ち込み、机の目の前にあって、自分で打ち込んでいった。自分で作っていった。

 ーー大久保さんから画面は見えた?

 全く見えませんでした。

 ーー何を書いているかは?

 作業中は見えない。

 ーー作業しているときはどんな様子?

 体が大きく、パソコンが小さいから指が窮屈そうだった。時折、指さして(ひじをまげ、右手の人さし指で天井を指さしながら)「はい、大久保さん登場」とか、何かやっていた。

 ーー前田検事は、その様子を何のようだと言っていた?

 それまでの検事は、話したことを事務官がワープロで打ち込んでいったので、言葉のやりとりがわかる。前田検事はできあがるまでわからない。案としてできて、プリントアウトされたり、読み上げられて初めてわかる。

 ーー作業について、「作家みたいなもの」とは言わなかった?

 「作家みたいなもの」とか「作家の時間」、ちょっと詰まったときに「司馬遼太郎みたいなものだから」と言っていた。途中、雑談で司馬遼太郎の話も出たからだと思う。

 ーーどんな気持ちだった。

 どんな調書ができるのかと思った。時々、紙を渡され、手持ちぶさたですから、ペンも渡されて、「深沢の土地のレイアウト書いて」と言われた。一生懸命書いた。

 ーー図を書いてる間に前田は原稿を書いてた。

 はい。ホリエモンの事件の話を聞きたかったりしたので、話かけると仕事が出来なくなるので、前田検事は自分の仕事に没頭したかったのだろうと思う。

 ■虚偽記載の収支報告認めた経緯

 ーー収支報告書の虚偽記載。23日の調書で、自分への報告を認めている。この調書はどうしてできた?

 小沢先生への任意の聴取が23日に予定されていた。確か土曜日。「その前に何かの動きがないと、事務所への捜索など広がっていく。あなたの決断が23日の前に必要だ。会計責任者がしらばっくれているなら、もっと上に伸びる」と言われた。22日にそういうやりとりがあった。

 ーー23日の調書になったのはなぜ?

 自分の裁判もある。弁護士にも相談しないと、と言った。22日中より、せめて1日引き延ばしたいと思った。

 ーー弁護士との接見が目的?1日延ばすのが目的?

 1日延ばすこと。

 ーーなぜ延ばそうと思った?

 私の分は調書がまだほとんどなかったから。毎日のように作られていくとして、仮に100本できるとすると、1日延ばせばそれが90本に、80本にとできると思った。

 ーー23日のことだが、このときはもうサインすると決めていた?

 小沢先生の聴取前に認めれば広がりを止められると思った。その日までにと思った。

 ーー調書への署名は23日のいつ?

 朝の接見で、弁護士に「応じる」と伝えた。午前中の調べで応じた。先生の聴取が午後、夕方、というか夜だったから。

 ーー23日は夜の8時から9時半は調べが中断している。なぜ?

 小沢先生が会見することになっていて、みたいと言った。そして独房に行った。

 ーーその後、再開した?

 終わって呼ばれて、また始まった。

 ーー前田検事は小沢さんの会見についてなんと言っていた?

 小沢はうそを言っている、我々を欺いていると怒っていた。小沢さんはどうなるかわからないよと強い口調で言っていた。

 ーーどう思った?

 一体どうなるんだろうと思った。主任の木村検事とツーカーだとか、総長の指示だとか聞いていたので、小沢先生がどうされるのかと。せめて調書に応じることで食い止めたいと思った。

 ーー応じても小沢先生は大丈夫とは思えなかった?

 こちらがきちんとしてると判断してやったことも、陰謀か何かで立件された。何されるかわからないと思った。

 ーー23日の午前中に弁護士と接見した。どれぐらいの時間?

 20~30分。

 ーーどんなやりとりだった?

 弁護士は「よく考えて、本当のことだけを言い続けて」と、その場に限りませんが励ましてくれた。

 ーー大久保さんはなんと言った?

 そうは言っても、弁護士の先生は中を知らない。どんな状況か細かく説明する時間はない。石川氏や池田氏の話をされても、検事との時間が長く、せっかくの接見でも、対検察庁の話もあったので、弁護士の話だけ聞いて立ち向かえるか疑問になってきた。だんだんと信用できなくなっていった。

 ーーどんな精神状態だった?

 2回目の逮捕だった。1度目も想定外だった。ほとほと嫌になっていた。3回も4回もあるのかと、もう嫌だ、たくさんだと思った。検察がなんでもできるなら、これぐらいやらせてやればいいじゃないかという気持ちだった。小沢先生や他のスタッフに行くことは避けなければいけない。応じることが小沢先生を守ることにつながるなら、日本の政治を守れるならと、気負った感情だった。

 ーー今は落ち着いてる?

 思い出すと手に汗が今でも出る。でも今は落ち着いているつもりです。

 ーー接見では落ち着いていた?

 ストレスもあり、石川氏も池田氏も調べられていた。気になった。聞いた時の説明と検事からの話にギャップがあった。興奮して、「中ではもっと話は進んでいる。先生たちは何も知らない」と言ったこともあります。

 ーー23日の押印。弁護士にはどの程度説明した?

 3人以上逮捕されないように、会計責任者だし、その立場はあるから、認めたい、そうしないともっと広がると一方的に伝えた。

 ーー接見で石川さんや池田さんの話している内容について23日より後に聞いた?

 細かいところは後だった。応じ始めているというニュアンスは宮本検事のときから「あなたは話さないけど、他の人は応じ始めてる」という話もあった。全体的な印象はあった。

 ■「検事のマインドコントロールと作文」

 ーー弁護士から、石川さんや池田さんはこう主張していると説明があったのは23日の後。

 はい。

 ーー信用できなかった?

 先生は気楽なもんだなあと。弁護士の話は遅れているなと思った。遅れた話で、がんばってる、と言われてもがんばりきれないと憤った。

 弁護士はほとんど知らないのではと思った。石川氏や池田氏がすべて話しているのか、本当のことを話しているか不明だった。接見の先生に本当のことを話していないかもしれない。それにもとづいてアドバイスをされてもあてにならないと思った。

 ーーなぜ?

 中での圧力。ほとんどの時間は検事といる。2週間ぐらい。マインドコントロールというか、検事の方を信用するようになっていった。

 ーー石川さんや池田さん(の話)は弁護士に伝えられていないと思った?

 はい。調べの中で知った話と弁護士の説明が、全く内容が離れていたから。

 ーー24日の自白の経緯についての調書。どんないきさつで署名した?

 23日に認める調書を作った。肉付けの調書をこれから作っていくと言われ、23日以降のやりとりをした。前田検事が作った調書です。

 ーーこの中に「宮本検事の魅力的な人柄」と記載されている。そういった?

 言っていません。検事が代わって「宮本さんにかわいそうなことをしたのでは。内部ではどうされているのか。調書が取れないから外されたのでは、と私は感じた。悪いことをした」と話したので、前田検事がそのあたりのことを汲み取って書いたと思う。

 ーー「潮目を変える」とは言った?

 私は確かに港町の生まれですが、船乗りではない。そういう言葉は使ってない。

 ーーなぜその言葉が調書にある?

 前田検事が私の経歴を見ている間に、私が言ったような印象を与えるために使ったのでは。

 ーー使ったことは?

 ない。もし言うなら、「流れ」とかと言うと思う。

 ーー「調書が証拠価値あると知っていた」とある。これは?

 証拠価値という四字熟語を使うことはない。

 ーー前田検事には言った?

 ない。

 ーーなぜ言ってない言葉が多い調書に署名した?

 前田検事が「どうしたい」と言って始まった調べだった。機嫌を損ねないようにしないと思った。自分も原稿を書いたことがあるが、表現を変えられて気を悪くされてはいけない、とおそれた。内容はチェックもするが、表現はそのままにして、内容だけ指摘した。

 ーー1月30日の調書で、石川さんから収支報告書の案を受けて、報告了承したと書いてありますが、こういう事実はありますか?

 全くその事実はありませんでした。

 ーーなぜつくられましたか?

 前田検事が資料を見たり調べたりしながら、ご自身で調書を作っていました。この中でできあがったところで、これでどうだと印刷され、私の前に提示され、表現があって、「大丈夫ですか?こんなこと言っていますか?」と話したら、「そう言っているんだから、大久保さんも受けてあげないと」と言われました。私が違うとなっても、石川さんや池田さんが仮に厳しい取り調べを受けて都合悪くもっていかれたら、と思い、石川さんがそう言っているなら、と思いました。

 ーー疑いもしなかったのですか?

 その時点でそう言っている、とお話しされたわけで、そうなっていると前田検事から話があって受け入れました。

 ーー1月26日から30日まで、毎日調書が作られていて、大久保さんは署名されていますね。この間、前田検事から調書を使って応じるように繰り返されたのですか?

 はい。同じようなやりとりが続きました。

 ーー1月30日付けの検察官調書で「規定事項」がたびたび登場しますが、大久保さんが言ったのですか?

 仕事や日常生活で、規定事項という言葉を使ったことはありません。

 ーー取り調べの中で大久保さんが言ったことはありますか?

 取り調べの中で、規定事項とは言いませんでした。

 ■「前田検事の深酒」

 ーー前田検事の取り調べの中で、前田検事が二日酔いで、調べに現れたことがありましたか?

 はい。深酒されたことが2回、ありました。

 ーーどうして、深酒をしていたのか話していましたか?

 なぜ遅くまで飲んだとは話してはいませんが、大阪から応援に来ている部下の検事さんと宿舎の近くで一杯飲んだ、と言っていました。

 ーー二日酔いだとなぜわかったのですか?

 非常に顔色が赤く残っていて、目元の辺りとか全体の雰囲気で、酔いが残っているんじゃないか、という印象の顔つきだったので、どうしたのか?と聞いたら、朝の5時くらいまで飲んだとおっしゃって、お酒が完全に残っていると思いました。

 ーー検事が二日酔いで現れたことはこれまでありましたか?

 一切ありません。

 ーー二日酔いで調べにのぞむ検事についてどう思いましたか?

 さすが大物検事だなぁと、けたはずれで、さすがやることが違うんだなぁと思いました。

 

  【指定弁護士と大久保元秘書のやりとり】

 ■再び、秘書寮建設問題と秘書の採用

 ーー本件土地の購入の目的について、昨日今日の証言では、秘書の寮を建設が、今日の話だと秘書の人数の増やす予定があったといったということでよろしいか?

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