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揺れる遺族「責任追及」と「再発防止」のはざま

 JR宝塚線脱線事故で、神戸地裁はJR西日本の前社長に無罪を言い渡した。事故から春で7年。107人が死亡、562人が負傷した大惨事の責任はどこにあるのか。初公判から1年余りに及んだ訴訟を振り返り、2回に分けて考える。

判決を聞くJR西日本の山崎正夫前社長(手前)と脱線事故の遺族ら(奥)=11日、神戸地裁、イラスト・岩崎絵

 11日午前10時すぎ、神戸地裁101号法廷に裁判長の声が響いた。「被告人は無罪」。次男の昌毅さん(当時18)を亡くした神戸市の上田弘志さん(57)は顔をゆがめ、天を仰いだ。「ムザイ」「会社はよくならない」。手元のノートにペンを走らせた。

 JR宝塚線脱線事故で業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)の裁判は、一昨年12月の初公判から28回すべて傍聴し、山崎前社長やJR社員ら証人の言葉や表情を大学ノートに詳細に記した。

 この日は開廷前に「有罪 執行猶予」と記し、猶予期間の数字を書き入れる欄を空けておいた。裁判長の判決文の朗読が続く。それを写しながら途中、所感を大文字で書きなぐった。「なっとく出来ん」「死ぬまでJRとたたかう」

 ほかの遺族3人とともに臨んだ記者会見では「(亡くなった)子どもに何と報告していいか分からない」と力なく言った。自分が話す時以外は終始うつむいたまま。時折、唇をかみ、質問を受けるとノートをめく

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