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米国で訴追された日本人カルテル違反者の身柄引き渡しは?

山田 裕樹子

 米国、または、日本にいながら、米国のカルテルの罪を犯しても、米国の司法権の及ばない日本にいれば、服役しなくても済む、という「常識」は通用しなくなるかもしれない。米国の外国企業がらみのカルテル摘発は、高額法人罰金に加え、実行行為者個人の制裁強化に向かい、平行して日米政府間で犯罪人引き渡しのルール整備が進んでいるためだ。山田裕樹子弁護士が関係条約や法律を詳細に分析し、企業は、このようなリスクをも視野に入れ、一刻も早くカルテル根絶に注力すべきと警鐘を鳴らす。

 

米国が訴追した日本人のカルテル違反者の日本から米国への引渡しはあり得るのか?
日米犯罪人引渡条約とその運用

西村あさひ法律事務所
弁護士 山田 裕樹子

山田 裕樹子(やまだ・ゆきこ)
 1994年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。2000年、ハーバード大学ロースクール(LL.M.)修了。1997年から2008年まで検事。その間、法務省刑事局国際課で引渡実務等に従事。2004年から2007年まで外務省に出向して、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部で勤務。2008年7月、弁護士登録。現在、西村あさひ法律事務所パートナー。クロスボーダー案件を中心に、企業危機管理、独占禁止法等についてアドバイスを行う。

 米国司法省は日本企業によるカルテル違反について積極的に捜査を行っている。カルテル違反には刑事罰が適用され、これまでも日本企業に極めて高額の罰金が科されてきたことは、よく知られた事実である。しかし、ここ最近、カルテルに関与した個人に対する訴追が行われており、しかも、日本に在住している日本人従業員に対して、少なからず訴追が行われている。このことは、違反企業が事実を徹底的に争わず、司法取引によって米国当局と合意して有罪答弁(Guilty Plea)を行うに至った場合であっても同様のようである。つまり、米国司法省は、企業に対する制裁とは別に、個人に対する制裁を科すことを求めているといえよう。

 そこで、米国司法省により訴追された日本人従業員が日本に留まり、米国当局に出頭しない場合はどうなるのであろうか。FBIが来日して当該従業員を逮捕する、ということは許されない。なぜなら、逮捕は典型的な国家権力の行使であり、それを米国の当局が日本国内で行うことは日本の主権を侵害し、国際法違反となるからである。

 それでは、日本に留まってさえいれば、米国で処罰されることはないのであろうか? この問題については、逃亡犯罪人引渡法と日米犯罪人引渡条約(以下、「日米引渡条約」という。)が鍵を握るので、以下、その法制度を紹介する。

 ■犯罪人引渡制度と逃亡犯罪人引渡法

 ある国で犯罪を犯した者が他の国に逃亡すれば処罰されないとすれば、殆どの犯罪者が他の国に逃亡して処罰を免れることになってしまう。そのような不処罰は許されないとして、一定の要件を満たす場合には、自国に存在する犯罪人を他国に引渡す制度を逃亡犯罪人引渡制度という。他国に引渡すための要件に関し、引渡しを行う旨の二国間あるいは多国間の条約がなければ引渡しを行わないとする国もあるが(このような方針を条約前置主義という)、日本の場合、条約が存在しなくても、逃亡犯罪人引渡法に定められた要件を満たせば引渡しを行うことができる。しかし、引渡条約に基づかないで行われた引渡請求の場合は、引渡を請求する国は、日本が同種の請求をした場合にこれに応じる旨の保証をしなければならない。このことを相互主義の原則という。

 逃亡犯罪人引渡法は昭和28年に施行された法律である。逃亡犯罪人引渡法2条には、引渡しに関する制限事項が列挙されており、当該事項に該当する場合は、逃亡犯罪人を引渡してはならない。なお、法律上、引渡しの対象となる者を「逃亡犯罪人」と規定しているところ、これは、引渡しを請求している国から日本に逃亡して来た者のみを指すのではなく、海外当局の刑事捜査の対象となっているが、その刑事手続を逃れている者を指すので、日本にいながら米国法に抵触する犯罪を犯してその後日本に居住し続けている者であれば、外国人に限らず日本人もこれに含まれる。

 逃亡犯罪人引渡法に列挙されている引渡制限事項の内、カルテルとの関係で問題となるのは、▽双罰性(逃亡犯罪人引渡法2条3号乃至5号)、▽犯罪を行ったことを疑うに足りる相当の理由(同条6号)、▽確定判決など(同条7号)、▽自国民の引渡し禁止(同条9号)である。

 まず、双罰性には、抽象的双罰性と具体的双罰性といわれるものがある。抽象的双罰性とは、逃亡犯罪人が行ったとされる行為が、引渡しを請求する国(以下、「請求国」という。)及び請求された国(ここでは日本を想定する)の双方において、犯罪に該当することをいう。たとえば、日本では同性愛は犯罪とされていないので、請求国から「同性愛の罪」を犯した者の引渡しを請求されてもこれに応じることはできない。

 また、具体的双罰性とは、逃亡犯罪人が行ったとされる行為が仮に日本で行われ、又は、日本で同行為について裁判が行われたとした場合、逃亡犯罪人に刑罰を科し、又はこれを執行することができることをいう。たとえば、逃亡犯罪人が行ったとされる行為が日本で行われたと仮定した場合に、それが犯罪に該当したとしても、既に時効が成立しているため、その者に刑罰を科せない場合には、具体的双罰性がないため、日本政府は引渡しを行うことはできない。

 次に、請求国の有罪の裁判がある場合を除き、逃亡犯罪人が犯罪を行ったことを疑うに足りる相当の理由があることが必要である。「有罪の裁判」には、米国において有罪答弁(Guilty Plea)を行って受理された場合も含まれるとされている(東京高決平成20年3月18日)。また、「犯罪を行ったことを疑うに足りる相当の理由」とは、有罪判決を得られる程度のものではなく、日本の勾留(刑事訴訟法60条1項)の要件として規定されている「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」と同じ程度のものと解されている。

 さらに、確定判決などが制限となる場合とは、逃亡犯罪人が行ったとされる行為につき、現に日本の裁判所に審理が係属している場合、あるいは、日本の裁判所において確定判決(無罪や免訴の判決を含む)を得ている場合に、引渡しを行うことができない場合をいう。一事不再理などが理由である。

 最後に、自国民の引渡し禁止とは、逃亡犯罪人が日本国民である場合には、条約に別段の定めがある場合を除き、引渡しを許さないことをいう。国家には自国民を保護する義務があるところ、たとえば、諸外国の中には刑事手続について適正手続が取られていない国があり、たとえ、他に引渡制限事項がなかったとしても、そのような国に自国民を引渡すのは自国民の保護原則に反するという考えが背景にある(なお、死刑廃止国は、逃亡犯罪人が行ったとされる犯罪に死刑が科される可能性がある国には、当該逃亡犯罪人の引渡しを拒否する場合が多い)。

 ■日米犯罪人引渡条約

 上記のとおり、日本においては、条約前置主義を取っておらず、原則として逃亡犯罪人引渡法が適用されるが、同法は自国民の引渡しを例外なく禁じるなど厳しい要件を課していることから、日本政府は、特に信頼関係がある国との間で2国間の引渡条約を締結するに至った。

 日本が現時点で犯罪人引渡条約を締結しているのは米国と韓国のみである。犯罪人引渡条約は、逃亡犯罪人引渡法に定めている要件を一部緩和しているので、ここでは、日米引渡条約のポイントについて解説する。

 逃亡犯罪人引渡法では、上記で述べた抽象的双罰性につき、日本及び請求国の法令により、死刑又は無期若しくは長期3年以上の拘禁刑(日本では懲役若しくは禁錮)に処すべき罪を犯したとされることが要件となっているが、日米引渡条約では、死刑又は無期若しくは長期1年を超える拘禁刑に処すべき罪と緩和されている(日米引渡条約2条1項)。

 この点、日本においては、私的独占又は不当な取引制限の罪について、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金に処するとされており(独占禁止法89条1項1号)、カルテル行為は上記抽象的双罰性の要件に該当する。米国においては、カルテルには最高10年以下の拘禁刑が適用されるため、やはり抽象的双罰性の要件を満たす。

 次に、日米引渡条約上、引渡しを求められている者が被請求国の法令上引渡しの請求に係る犯罪を行ったと疑うに足りる相当な理由があること、又はその者が請求国の裁判所により有罪の判決を受けた者であることを証明する十分な証拠が必要である(日米引渡条約3条)が、この点は、逃亡犯罪人引渡法の引渡制限から緩和されていない。米国当局からの引渡しの請求が有罪判決を受けていない者について行われる場合には、その者に対して逮捕令状が出ていること、及び、犯罪を行ったと疑うに足りる相当な理由があることなどが要件とされている(日米引渡条約8条3項)。他方、既に請求国において有罪判決を受けた者に対しては、そのような理由があることは要件とされておらず、判決の写しを提供することで足りる(日米引渡条約8条4項(a))。

 また、日米引渡条約においても、具体的双罰性がない場合及び確定判決などが存在する場合については、引渡しを行うことができない(日米引渡条約4条1項2号乃至4号)とされており、逃亡犯罪人引渡法の引渡制限を緩和するものではない。

 他方、日米引渡条約による引渡手続と通常の逃亡犯罪人引渡法に基づく引渡手続とで一番異なる点は、条約に基づけば自国民の引渡しができることである。すなわち、日米引渡条約5条は、「被請求国は、自国民を引渡す義務を負わない。ただし、被請求国は、その裁量により自国民を引き渡すことができる」と規定している。よって、米国当局から、日本人の引渡しの請求があった場合、日本政府は引渡しの義務こそ負わないが、引渡しをすることが可能なのである。

 ■自国民の引渡しに関する運用

 法務省が発行している平成23年版犯罪白書によれば、日米及び日韓犯罪人引渡条約は、「我が国の逃亡犯罪人引渡法で原則として禁止されている自国民の引渡しを被要請国の裁量により行うことを認めることにより、締約国との間の国際協力の強化を図るものである」とされていることから、日本政府は、自国民の米国への引渡しについて少なくとも消極的な立場を取っているとは考えられない。また、公表された情報によれば、これまでも日本人が米国に引渡されている事例は複数存在する。その中では、日本人であることを理由に引渡しがなされるべきでないと逃亡犯罪人が主張したケースも存在する。しかし、たとえば、日本人に対して米国から引渡請求がなされた件で、法務大臣が発した引渡命令の執行停止を求める申立において、東京地方裁判所は、「本件引渡犯罪は犯罪地の治安に重大な影響を及ぼすものであることは明らかであるから・・・自国民保護の観点のみに傾倒して引渡しの相当・不相当を決することは相当でないというべきである」と判示し、申立を却下している(東京地決平成6年7月27日)。以上に鑑みると、日本人であることのみを理由として、日本政府が引渡しを認めないと期待することはできないと思われる。

 ■ホワイトカラー犯罪に関する運用

 平成23年版犯罪白書によれば、ここ10年の間に諸外国に引渡された者の人数は12人であり、多いとはいえない。この中に、カルテルを犯したとして引渡された者はいない。その理由について、請求自体がない、あるいは、請求はあったが引渡しの要件を満たさなかったことなどが考えられるが、公表されていないので詳細は不明である。しかし、日米引渡条約上、抽象的双罰性の要件を満たすことを前提に、引渡しを行うとされている犯罪として「私的独占又は不公正な商取引の禁止に関する法令に違反する罪」が明記されている(日米引渡条約の付表45)ことに鑑みれば、カルテルというホワイトカラー犯罪だからといって、引渡しをしないという運用がなされるとは考えにくい。

 カルテルではないが、ホワイトカラー犯罪について参考となる事案としては、東京高等検察庁が東京高等裁判所に、逃亡犯罪人を引渡すことができる場合に該当するかどうかについて審査の請求をなした事案で、東京高等裁判所が、引渡すことができない場合に該当すると判断した事案がある(東京高決平成16年3月29日)。当該事案は、日本人が米国において、いわゆる「産業スパイ」などを行った疑いで、米国から引渡請求がなされたものである。もっとも、同決定は、引渡しの要件の一つである「犯罪を行ったと疑うに足りる相当な理由」(逃亡犯罪人引渡法2条6号、日米引渡条約3条)がないという理由に基づき、引渡すことができないと判断したものであるから、ホワイトカラー犯罪であることを理由として、引渡すことができないと判断されたとは解せられない。

 ■今後の動向

 今後、米国がカルテル違反を理由に、日本政府に対して、日本人従業員の引渡しを求めた場合、本当に引渡しがなされるのであろうか。これに対する回答は、要件を満たせば、日本人であっても「引渡しはなされ得る」ということになろう。もし、カルテル行為に従事していたというのであれば、上記産業スパイ事件で問題となった「犯罪を行ったと疑うに足りる相当な理由」も米国当局は入手しているであろうから、有効な反論は、具体的双罰性の有無にかかってくるであろう。この点、日本では、平成22年1月から、私的独占又は不当な取引制限の罪について、刑罰がそれまでの3年以下の懲役又は500万円以下の罰金から、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金に引き上げられている。これに伴い、公訴時効もそれまでの3年(刑事訴訟法250条2項6号)から5年(同項5号)となっている。今までのように比較的短い公訴時効の成立に頼ることはできなくなってしまったのである。

 ■まとめ

 日本の公正取引委員会もカル

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