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“Without Prejudice”秘匿特権とは何か

宇野 伸太郎

 英米法の国で広く認められている法的ツール、「Without Prejudice秘匿特権」。紛争相手と和解交渉などで交わしたやりとりは、法廷で証拠とされることなく、民事訴訟で相手方から証拠開示を要求される「ディスカバリー」についても拒むことができる、というもので、国際紛争解決の場では欠かせない法的ツールとなっている。しかし、認められるためには一定の要件を満たす必要があり、例外も多い。安易に考えていると、けがをする恐れがある。宇野伸太郎弁護士が、実務上の注意点を詳しく解説する。

コモン・ロー法域における“Without Prejudice”秘匿特権の適用範囲と注意点

弁護士・ニューヨーク州弁護士
宇野 伸太郎

宇野 伸太郎(うの・しんたろう)
 2002年、東京大学法学部卒業。2003年、弁護士登録(司法修習56期)。2010年、カリフォルニア大学バークレー校ロースクール修了(LL.M.)。2011年ニューヨーク州弁護士登録。現在、清水建設国際支店(シンガポール)に出向中。

 ■はじめに

 筆者が現在駐在しているシンガポールでは、係争中の相手と交わすレターにおいて、“Without Prejudice”という断り書きを冒頭に記載することが多い。

 “Without Prejudice”とは「実体的効果をもつことなく;権利関係に不利益を与えることなく~例えば、和解のための交渉の過程で仮にある事実を認めることとするが和解不成立の場合にはその点を争う権利を留保するというときに、without prejudiceという言葉を用いてその趣旨を明らかにしておくことが行われる」という意味である(田中英夫編『英米法辞典』(東京大学出版会))。

 レターにおける“Without Prejudice”との表示は、和解交渉が決裂して、訴訟や仲裁などの手続に至ったとしても、交渉中に交わされたレターを証拠として用いることはできないという効果、すなわち、“Without Prejudice Privilege”(以下「Without Prejudice 秘匿特権」又は「秘匿特権」という)の保護を得ることを意図している。

 そのような秘匿特権があるため、当事者は、和解を進展させるために、(後に起こり得る訴訟・仲裁への影響を気にせずに)不利な事実を認めたり、強硬な主張を控えたりなどの譲歩を見せることができる。

 では“Without Prejudice”というラベルを貼れば、どのようなレターでも証拠として使用されることを防ぐことができるのだろうか。誤解を招きやすいが、秘匿特権を得るには、そのような形式要件では足りず、実体要件を満たす必要があり、また注意すべき複数の例外がある。以下ではWithout Prejudice秘匿特権の要件・適用範囲と実務上の注意点について説明したい。

 ■趣旨・効果

 Without Prejudice秘匿特権は、コモン・ロー(不文法)を根拠とし、真の和解交渉の場で行われた言動による認諾・自白を秘匿特権により保護するものである。英国に起源を有し、シンガポール、マレーシア、インド、オーストラリア、ニュージーランドなど英国法の系譜を有するコモン・ロー(英米法)国家で広く認められている。

 Without Prejudice秘匿特権に該当すれば、両者間の交信(書面・口頭を問わない)は、証拠能力(admissibility)を欠き、証拠として用いることができない。また、ディスカバリーにおける開示要求に対しても、拒否することができる。なお、米国はコモン・ロー国家であるが、この点のルールは異なっており、和解交渉における交信の証拠能力は原則として否定されているが(連邦証拠規則408条)、ディスカバリーでの開示要求は拒絶できないとする判例が主流である。

 その制度趣旨としては二つの根拠があるとされる。

 第一に、和解交渉の中身がその後の手続で不利な証拠として利用されないことを確保することにより、係争当事者間における自由で率直な交渉、そして積極的な譲歩を促して、和解交渉を促進するという公益的な目的がある。

 第二に、和解交渉中の言動を証拠として使用しないことについて、当事者間の明示又は黙示の合意があることも根拠とされる。したがって、当事者間の合意でWithout Prejudice秘匿特権の適用範囲を広めたり、狭くすることができる。後述の“without prejudice save as to costs”はその一例とされる。

 また、多くの国では、上記のコモン・ロー(不文法)上のWithout Prejudice秘匿特権は、制定法によっても定められている。例えば、シンガポールでは、証拠法23条が「民事事件において、それが証拠として用いられないという明示的な条件のもとで行われ、または両当事者がその証拠は用いられるべきでないと合意したと裁判所が推認できるような条件下で行われた認諾・自白は、証拠としての関連性を欠く」(In civil cases, no admission is relevant if it is made either upon express condition that evidence of it is not to be given, or under circumstances from which the court can infer that the parties agreed together that evidence of it should not be given.)と定めている。

 マレーシア証拠法23条もこれとほぼ同じ条文となっているが、これら両条文はインド証拠法23条に由来している。

 ■要件

 Without Prejudice秘匿特権は、“Without Prejudice”という表示によって得られるものではなく、「真に紛争の和解に向けて行われる交渉において交わされるコミュニケーション」に適用される特権である。逆に、真の和解交渉のためになされた交信であることが明らかであれば、“Without Prejudice”と表示されていなくても、秘匿特権が適用される。

 真に和解交渉の枠組みの中で行われていたか否かについては、当事者の意図が決定的であり、それは交信の性質や文脈から認定される。表示も、その意図を決定する上での重要な要素の一つであり、“Without Prejudice”とのラベルがあれば、和解交渉のためという意図について、一応の推定を受けるとする見解もある。

 したがって、“Without Prejudice”と表示することは、秘匿特権を受けるための必須の要件ではないものの、要件の充足を判断する上での大事な要素であるし、また、そのような一目瞭然なラベルがあると、実務上、ディスカバリー手続における不注意な開示を防ぐことにも役立つ。よって、秘匿特権を得たい文書には、“Without Prejudice”と表示をすることが重要である。

 表示については、“Off the Record”あるいは “Confidential”というラベルが使用されることもあるが、これらの表示がいかなる効果を有するか必ずしも明確になっておらず、秘匿特権を有するという趣旨をはっきりと示すためには、“Without Prejudice”と表示すべきである。

 秘匿特権が適用になるためには、“紛争の”和解に向けた交渉でなされたコミュニケーションであることが必要である。

 したがって、まず、そのコミュニケーションが行われた時点において、「紛争」が存在しなければならない(紛争の現存)。争いがない場合、つまり、一方当事者が完全に責任を認めた場合は、紛争が存在せず、秘匿特権は適用にならない。例えば、債務者が債務の存在と金額について債権者側の主張を認めるが、支払期限の延期をリクエストするというレターを債権者に送る場合、紛争は存在していないため、秘匿特権の対象とならない。

 ただし、紛争が現存しているといえるためには、訴訟等の手続が実際に開始され、あるいは開始が警告されていることまでは必要でない。当事者が、もし交渉が妥結に至らなければ訴訟等が開始されることを予期し、または予期することが合理的であったという状況であれば足りる。

 紛争の現存性については、たとえば、交渉が終了してから訴訟が開始されるまで長期間を要した場合、交渉中に行われた交信は、現存する紛争に関するものといえるのか、ということも問題になる。この点、英国の裁判所は、期間は問題ではなく、交渉時に、当事者が合理的に訴訟を予期していたか否かが重要であると判示している。

 また、和解は「互いに譲ること」を要件とするため、一方当事者の単なる権利の主張や相手への批判は、和解交渉という要件を満たさず、秘匿特権の対象とならない。つまり、一方的に自らの正当性を説明し、権利を主張するだけのレターは対象とならず、和解に向けた妥協の姿勢を見せることが、秘匿特権を得るために必要となる。

 ■第三者との関係

 また、Aが複数の相手(B及びC)との間で訴訟を行っており、そのうちBとだけ和解したという場合、AとBとの間の和解交渉中の交信は、AとCの訴訟で証拠として使用できるのか、という問題がある。

 この点、Without Prejudice秘匿特権は同一訴訟における他の当事者に対しても適用されるというのが英国の判例である(Rush & Tompkins v GLC [1989] AC 1280)。しかしながら、シンガポールでは、AとBとの間の Without Prejudice秘匿特権はAとBの間のみで有効であり、第三者との関係では秘匿特権は適用されるとは限らない、と述べた判例もあり(Yeo Hiap Seng v Australian Food Corp [1991] SLR 573)、注意を要する。

 ■例外

 Without Prejudice秘匿特権は、絶対的な特権ではなく、下記のとおり、いくつかの例外が認められている。

(1)和解契約の成立

 交渉により和解成立に至った場合に、後に関連する訴訟が提起され、その和解が成立したという事実を立証するとき、また、当該和解においていかなる条項が合意されたのかを立証するときは、秘匿特権の例外として、和解交渉中の交信を証拠として利用できる。

(2)和解条項の解釈

 締結された和解契約に曖昧な条項があり、解釈の争いが生じたときに、当事者の真意を探るために、和解交渉中のコミュニケーションも証拠として使用できるとするのが、近時の英国の判例である(Oceanbulk Shipping & Trading SA v TMT Asia Ltd and others [2010] UKSC 44)。

(3)和解契約の合理性

 例えば、AがBと和解して和解金を支払い、その後、Aがその全部又は一部の負担をCに求めようとする場合において、CはAが合意した和解金額が高すぎると争うことがあるが、そのような場合、和解交渉中におけるAの行為の合理性を判断するために、AとBとの間における秘匿特権が適用されるコミュニケーションも、例外的に証拠として利用できる。

(4)詐欺・虚偽表示など

 詐欺、虚偽表示などの理由で、成立した和解の無効を主張する場合、あるいは、和解交渉中の言動による脅迫、偽証、禁反言(estoppel)を立証する場合、秘匿特権の例外として証拠能力が認められる場合がある。

(5)Without prejudice save as to costs

 このラベルは、裁判所が判決を下すまではWithout Prejudice秘匿特権が適用されるが、その後、裁判所が各当事者の訴訟費用の負担について判断するときは、秘匿特権は適用されないという意図を示している。例えば、敗訴者が、判決で命じられた金額よりも高い金額を和解交渉で提示していたという証拠を提出すれば(いわゆる“Sealed Offer”)、敗訴者は、訴訟費用の全部又は一部を勝訴者から回収できる可能性がある。なお、国によっては、“save as to cost”の表記がない場合でも、訴訟費用の審理は秘匿特権の例外とする判例もある。

(6)放棄

 Without Prejudice秘匿特権は、交信の両当事者を保護するものであり、当事者の一方のみでは放棄できず、両者が合意して初めて放棄できる。

 ■調停など代替的紛争解決手段におけるやりとり

 Without Prejudice秘匿特権は、調停(mediation/conciliation)など、和解を目的とする紛争解決手続における当事者間のやりとりにも適用されると考えられている。実務的には、調停手続が始まる前に、両者間で契約を締結し、守秘義務と秘匿特権について合意しておくのが望ましい。しかし、そのような明示的な合意がない場合でも、調停手続における両者間のやりとりは、Without Prejudice秘匿特権の適用対象となり、その後の訴訟・仲裁で利用することができない。但し、調停手続中における交信でも、「紛争の和解解決を目的として行われた交信」以外については、秘匿特権が適用されないおそれがあることに留意すべきである。

 ■終わりに

 日本をはじめとするいわゆるシビル・ローの国々では、Without Prejudice秘匿特権は存在しないとされており、また、コモン・ロー国家である米国でも、前述のとおり、(証拠能力は否定されているが)ディスカバリー義務を拒絶できる秘匿特権(privilege)としては認められていないため、企業法務の実務担当者の中でもWithout Prejudice秘匿特権というものに不慣れな方も多いと思われる。

 例えば、紛争の相手方が、和解交渉の途中で、こちらの主張を認める内容の発言をしたり、レターを送ってきたとしても、それをもって訴訟や仲裁に持ち込めば容易に勝利できると考えることはできない。後の訴訟や仲裁においては、その発言やレターは、Without Prejudice秘匿特権の適用対象とされて、証拠として用いることができない可能性が高いからである。

 逆に、秘匿

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