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なぜメロスは走らねばならなかったのか?

なぜメロスは走らねばならなかったのか?

アンダーソン・毛利・常法律事務所
弁護士 左高 健一

左高 健一(さだか・けんいち)
アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー、弁護士
 1990年3月、東京大学法学部卒業。1992年4月、司法修習(44期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2001年7月から2002年1月まで豪シドニーのAllens Arthur Robinson法律事務所勤務。

 ■久々の読書感想文

 学校の夏休み期間ということで、久しぶりに読書感想文らしきものを書いてみたい。取り上げるのは、太宰治の「走れメロス」である。私自身は、30数年前の、小学校の夏休みに読んだが、友のために走り続けるメロスと、友を信じて待ち続ける人質セリヌンティウスの間の友情の美しさ、純粋さに、素朴に感動したことを覚えている。

 では、大人になり、弁護士としての経験を積んだ今、読み直してみると、どうか。

 ■メロスの発言についての驚き

 まず、王に捕われた後の、メロスの発言内容に大きなショックを受けた。

「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ。そうして下さい」

 つまり、セリヌンティウスが人質になったのは、自ら志願したからではない。メロスが勝手にセリヌンティウスの名前を出して、人質として王に差し出したのである。少年時の読書では何の引っ掛かりも感じなかったこの発言だが、今は違う。法律論など持ち出すまでもなく、何の関係もない他人を、本人の事前承諾ないまま危険にさらす行為が許されてよいわけがない。それは、たとえどんな親しい人間関係であろうと、同様である。

 ■計画性のなさ

 メロスが「三日間だけ」と願ったのは、たった一人の妹に結婚式を挙げさせるための時間が欲しかったからである。しかし、仮にそれが非常に重要なことであれば、まずは結婚式を済ませてから、王への攻撃をすべきであった。それに、「三日間」というのは、メロス自身の申し出により設定されたタイムリミットであるが、妹の住む村とは、往復で20里(つまり約80キロ)も離れていること、馬もないこと、予定よりも前倒しで結婚式をあげさせることの準備や、祝宴などで相当の時間をとられること、などからしても、そもそも、「三日間」以内の帰還が確実だったとも思えない。

 王への攻撃自体も、妹の結婚式のために買った物を背負ったまま、一人で短剣を懐中に入れて王城に入り、直ちに囚われてしまうという、極めてお粗末なものであった。失敗に終わった場合に、王が怒りを増幅させ、人々への残虐な行為をエスカレートさせる危険性を考慮すれば、少なくとも、綿密な計画を立て、シミュレーションを重ね、成功可能性を慎重に吟味した上で、実行に及ぶべきだったであろう。

 ■もしメロスから助言を求められていたら

 このように、「走る」までのメロスの行為は思慮に欠け、無責任、無計画と言われてもしかたのないものであった。もし、そんなメロスから私が助言を求められていたら、以下の問題提起をしていたと思う。

 ・何がメロスにとって最終的な目的なのか。暴虐な政治をやめさせ、人々が安心して暮らせるようにすることか。


 ・その他に考慮すべき、重要なことは何か。妹や友人といった、大切な人たちの安全はどうか。自分の生命や身体、あるいは名誉はどうなのか。もし、どれかを犠牲にせざるを得ないとしたら、どのような優先順位をつけるのか。


 ・目的達成のために使える物的資源や人的資源、さらには有用な情報として、メロスは何を持っているのか。それらを増やす方法はないのか。 


 ・目的達成のために、具体的にどのような選択肢がありうるのか。王への攻撃をせざるを得ないとしても、様々な方法・タイミングがあるのではないか。


 ・それぞれの選択肢の、成功可能性はどの程度であるか。そして、失敗した場合には、どのようなリスクが予想されるのか。


 ・仮に王への攻撃をするとして、それが失敗した場合に、メロス自身で責任を負いきれる範囲内のことなのか、それとも、他の者にも影響が及ぶことになるのか。後者の場合には、影響を受ける者に事前に説明をする、さらには承諾を得ておく、という必要はないのか。


 ・以上述べたところを踏まえて考えると、何がベストの選択であるのか。


 ■走らざるを得なくなったメロス

 しかしメロスは、自分一人の考えで、冷静な状況判断や計画を欠いたまま、そして感情の赴くまま行動した。そして、当初は想定すらしていなかった、セリヌンティウスが人質にとられるという事態を自ら招き、走らざるを得なくなった。

 さて、走っている最中のメロスであるが、途中で眠りに落ちるなど、その行動には疑問も残る。しかし、結果的にメロスは、幾多の困難(王の差し向けた山賊の襲撃や、川の氾濫など)を乗り越え、自らの弱い心との葛藤にも何とか打ち勝った。その姿からは、自分を信用してくれる友への熱い思いや、メロス自身の名誉を重んじる心は伝わってくる。

 ところが、自分自身の無思慮や軽率さが、友人の生命を危険にさらした、大きな原因であったことについて、メロスが自覚や反省をしている様子はうかがわれない。そして、なぜ自分は走らねばならなかったのか、について、自らに問いかけることもしていない。

 ■「走れメロス」のテーマとは?

 結局、物語はハッピーエンドを迎え、暴虐な政治をやめさせるという目的が、ラッキーパンチ的に達成されることとなった。

 しかし、「終わりよければ全てよし」と手放しで喜んでいいのだろうか。メロスの走る行為そのもの、そしてメロスを信じて待つセリヌンティウスの行為そのものは美しいとしても、「なぜメロスは走らねばならなかったのか」という問題を置き去りにしていいのか。そもそもこの物語は、単純に、純粋な友情の大切さや、信頼しあうことの美しさがテーマだったのか。

 むしろ、作者は、人間の一連の行動のうち、目を引く部分や、よい結果にのみ心を奪われることで、その行動全体を、さらにはその背後にある、より根本的な問題を見失ってしまうことの危険性を、示唆したのではないか。

 この物語が発表された昭和15年という時期 ― 国際社会の中で行き詰まった日本が、その打開のために、客観的に見て勝算に乏しい戦争に猪突猛進しようとしていた時期 ― に照らしても、そんなことを感じる。

 ■「走れメロス」と弁護士業務

 さて、私自身は弁護士であるが、業務の中心は、企業活動に伴う、各種紛争の解決である。訴訟を担当することも多い。クライアントの担当者とともに全力を尽くし、勝訴判決獲得など、有利な解決を実現して喜んでもらえるのは、たいへん嬉しいし、自分自身も大きなやりがいを感じる、幸福な瞬間である。

 しかし、そこには一つの危険が潜んでいる。それは、クライアントの社内で、「終わりよければ全てよし」的な総括をされてしまいかねない、ということである。企業にとって、紛争に巻き込まれるのは、不本意なことである。勿論、避けては通れない紛争もある。しかし、経験的には、未然に防止できる紛争、あるいは、完全に防止できないにしても、サイズを小さくすることができる紛争の方が、ずっと多いと思う。「勝って兜の緒を締めよ」という諺もあるとおり、うまく解決が図れた場合こそ、「なぜ当社はこのような紛争に巻き込まれ、その解決のために汗を流さざるを得なくなったのか」という原因分析と反省、さらには、今後、同種の紛争を未然に防止するには、何をどう改善すべきなのか、という検討を深めることの重要性が認識されなくてはならない。

 以上の話とは、やや視点が変わるが、企業活動においても、取引先との長年にわたる信頼関係や友情が重要であることは言うまでもない。一方で、「取引先のために、どこまでのリスクを負うことを甘受すべきか」、逆に、「取引先に、どこまでのリスクを負わせることが許されるのか」などの問題に直面することも多い。そのような意思決定に弁護士として関与する機会も多いが、好意に甘え合うのではなく、双方の企業が、自己責任に基づく、冷静で的確な判断を重ねて行くことで、信頼関係が、より発展していくことになるのだと思う。

 ■再読のすすめ

 以上述べた、「走れメロス」の雑感は、私自身の文学的素養の乏しさなどもあって、皮相的なものに過ぎないかもしれない。しかし、日常の企業法務活動に重ね合わせて考えさせられるところがあり、今回、とても興味深く読むことができた。他業種の方は、また違った読み方があるのではないかと思うし、それによってこの物語の新たな魅力が発見されることもあるのではないかと思う。

 

 左高 健一(さだか・けんいち)
 1986年3月、岐阜高等学校卒業。1990年3月、東京大学法学部卒業。1992年4月、司法修習(44期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2001年1月、当事務所パートナー就任。2001年7月から2002年1月まで豪シドニーのAllens Arthur Robinson法律事務所勤務。
 共著に「日本をダメにした10の裁判」(日本経済新聞出版社、2008年5月)。主な論文に"Recent Amendments to the Civil Procedure Code and Other Civil Dispute Resolution Issues in Japan" ("Doing Business with Japan, Investment Regulations & Commercial Strategies", Asia Law & Practice)、「迅速性が成否のカギ 労働審判手続申立への対応」(ビジネス法務 2007年4月号)、「訴訟弁護士に求められる要素はいい意味での粘着質とイマジネーション」(ザ・ローヤーズ 2010年8月号)など。
 国内外の企業の代理人として、知的財産関連案件(特許権、著作権、著作者人格権、パブリシティ権、商標、営業秘密、不正競争防止法関連、薬事法関連等)、不動産取引、建築、労働(労働組合との団体交渉、ビザ関連案件、セクハラ、解雇、労働災害等)、独禁法、経営上の紛争、金融取引に関する紛争、PL法、債権回収、相続・遺言、抵当権の実行、名誉毀損、業務上事故、継続的取引関係の終了、国際貿易(信用状、船荷証券関係)、保険、行政不服申立及び行政訴訟などに携わってきた。また、海外の訴訟に関しても実務経験があり、日本国内でのディスカバリ手続及び日本企業に対するディスカバリ手続のサポートを行った。民事紛争の他にも、様々の企業の依頼で社内犯罪の調査・検討を行い、業務上横領、詐欺等の刑事訴追の支援をしたこともある。