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公益活動の民営化:「お上頼み」から「私に期待」へ

仲谷 栄一郎

公益活動の民営化

 

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 仲谷 栄一郎

仲谷 栄一郎(なかたに・えいいちろう)
 東京大学法学部卒業。一般企業法務、国際取引・国際契約を取り扱い、とくに税務を専門とする。公益財団法人イサム・ノグチ日本財団の顧問を務めるほか、さまざまな依頼者に対し、公益法人やNPO法人の設立・運営などに関しアドバイスしている。2007-2008年、早稲田大学法学部非常勤講師(国際租税法)。著書に「租税条約と国内税法の交錯」(第36回日本公認会計士協会学術賞受賞)など。
 写真の背景はイサム・ノグチ庭園美術館(合成写真です)。

 少し前の話になるが、米国の事業家ビル・ゲイツ氏が「ワクチンと予防接種のための世界同盟」に対し7億5千万ドルを寄付すると発表し、それに引き続き、米国の投資家ウォーレン・バフェット氏が5つの慈善団体に374億ドルを寄付すると発表した。日本においても、東日本大震災の復興資金として、ファーストリテイリング会長の柳井正氏が10億円を、ソフトバンク社長の孫正義氏が100億円を寄付したと報じられた。

 寄付金税制

 米国でも日本でも、公益目的の寄付(公益法人やNPO法人への寄付を含む)は所得から控除できるため、寄付により税金を減らせる。

 冒頭の米国発のニュースと同じころ、日本の公益法人制度は、透明で使いやすくするために大きく改正された。NPO法人への寄付についても、所得からの控除を認められる条件が昨年緩和され、今後もさらに緩和される模様である。

 また、東日本大震災に対応するため、「震災関連寄付金」を所得から控除できる制度が昨年作られ、今年3月の確定申告では、これを利用した寄付金控除の適用が相当な数になると見込まれている。

 このような税制の目的は公益のための寄付を促進することであるが、より広い視野で見ると、「公」の目的を達成するための手法が「私」化されつつある表れの一つとも考えられる。

 「お上頼み」から「私に期待」へ

 日本では伝統的に「お上頼み」の傾向が強く、個人が権利を守る意識が低いと言われている。これに対し英米、とくに米国では、個人が権利を守ることが公益(法の実現)につながるという理解から、それを積極的に手助けする制度が用意されている。

 たとえば、欠陥品、薬害、証券詐欺などによる多数の被害者のうち誰かが、被害者全体を代表して訴訟を提起できる「クラス・アクション」という制度がある。損害が少額のため訴訟をためらう被害者をまとめて、加害者の責任を追及することがこの制度で可能になる。

 さらに、実際の損害額を超える莫大な額が「懲罰的損害賠償」として命じられることがある。著名な例としては、マクドナルドのコーヒーが熱かったため火傷した女性に、64万ドルの損害賠償が認められた事件がある。教科書的には「民事は損害の賠償を、刑事は制裁をそれぞれ受け持つのが近代的な法制度である」とされているが、米国はそのようなことにはこだわらず、法を実現するために効果的な制度を柔軟に設計している。

 日本でも、同じような方向の制度が、緩やかにではあるが登場している。たとえば、独占禁止法に違反する行為があった場合、かつては公正取引委員会に願い出なければならなかったが、被害者が違反者に訴訟を提起できるようになった。また、一定の条件を備えた消費者団体は、消費者契約法などの違反者に対し訴訟を提訴できるようになり、現在さらにその制度の改善が検討されている。

 「間接」から「直接」へ

 他のさまざまな分野でも、似たような動きがある。たとえば、かつて企業の資金調達は銀行からの融資が中心で銀行が資金を配分する役割を果たしていたが、次第に企業は銀行を通さずに株式や社債などを発行して市場から資金を直接調達するようになってきている。

 また、伝統的な物品販売は、メーカーから多段階の卸売問屋と小売店を経て消費者に商品が届き、中間の問屋が下流からの情報を集めて上流に伝えるという仕組みになっていた。しかし、ネットによる直接販売がこの仕組みを崩している。

 同じように広告・宣伝活動も、テレビや新聞などのメディアを利用する方式から、SNSなどで消費者のニーズを直接とらえ消費者に直接情報を発信する方式に移りつつあるように見受けられる。

 これらを通じて言えるのは、「間接」的な仕組みは時間やコストの面から非効率で、中間者が判断を誤ったり歪めたりするリスクがあるため、次第に「直接」化が進んでいるということである。

 公益のために資金を使う方法も同じである。政府が資金を集めて政府が決めた目的に支出するのではなく、個々人が使い道のはっきりしているところに資金を直接提供する方向に進むのがよい――と、寄付金税制の展開は物語っている。

 残された問題

 しかし、良いことばかりではない。寄付金税制――さらには「私」に期待する制度一般――について指摘される問題がある。

 まず、寄付金税制は富裕層を利するとの批判がある。たしかに、冒頭のニュースに対して「どうせ税金対策だろう」という冷ややかな見方もあった。感情論だけではなく財政学の観点からも、富裕層が一般納税者から補助金を受け取っているのと同じだという意見がある。

 次に、寄付金税制など個人を優遇する制度は濫用されるおそれがあると批判される。米国流の裁判制度についても、クラス・アクションは「合法的な恐喝」と批判され、懲罰的損害賠償は特定の個人に「棚ぼた」的に巨額の利益をもたらし不平等だと批判されている。

 さらに、最後が難問である。個々人に判断を任せると、望ましい結果に至るとは限らない。言い古された例ではあるが、ロンドンやパリから帰国すると、不思議にも「お上頼み」ではなく個性豊かに不統一な、日本の都市景観に愕然とする。世界に目を向けてみても、資本主義市場の機能不全が経済危機を引き起こし、民主主義発祥の国が衆愚政治に陥り、アフリカ諸国の民主化がかえって国民を疲弊させているなどの「失敗」が各地で噴き出している。

 しかし・・・、それでも「私」の力を信じ、弊害を是正するために知恵をしぼりながら、この方向に進むしかないのではなかろうか。

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 仕事としてあるいはボランティアで、いくつかの公益法人やNPO法人のお手伝いをしている。法律を守らなければならないのは当然であるが、受身的に従っているだけでなく、高い視点から制度の改善を提言することも、法律家の重要な役割だと思う。