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次はミャンマーが熱い:日本企業のミャンマー進出で弁護士雑感

過熱するミャンマー詣と日本企業のミャンマー進出についての雑感

 アンダーソン・毛利・友常法律事務所  
弁護士 十市 崇

十市 崇(といち・たかし)
 1998年3月、慶應義塾大学法学部卒。2000年4月、司法修習(52期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2005年5月、米国Columbia University School of Law (LL.M.)。2006年4月、 ニューヨーク州弁護士登録。2006年9月、当事務所復帰。2006年9月、英国London Business School (MSc in Finance)。2008年1月、当事務所パートナー就任。

 今年に入ってミャンマーという国名を耳にすることが多くなった。読者の方はミャンマーという国名を聞いてどのように感じるであろうか。どこにあるか分からない国、欧米の経済制裁の対象となっている軍事国家で怖い国、というイメージを持つ方も多いかもしれない。他方、ミャンマーと聞いても分からないが、ビルマと聞くと分かる方も多いかもしれない。ミャンマーの旧国名はビルマ。日本では「ビルマの竪琴」でお馴染みである。アウン・サン・スー・チー女史の母国でもある。

 ミャンマーは、1988年9月に国軍のクーデターにより軍事政権が成立し、長らく軍事政権が続き、2003年5月のアウン・サン・スー・チー女史の拘束を受けて、米国が対ミャンマー経済制裁法を新たに制定するとともに、2004年10月には、EUがミャンマーの民主化状況に進展が見られないとして制裁措置を強化したこともあって、長らく国際社会から取り残されてきた。しかし、2011年3月に軍事政権を解除し,現テイン・セイン文民政権が発足し、民政移管が実現してからは急速に民主化が進み、昨年12月にクリントン米国務長官が訪緬すると、世界中から急速に関心が高まった。今年の9月には欧米による経済制裁も緩和・停止されるとともに、今年11月にはオバマ米国大統領の訪緬も実現している。ミャンマーは人口約6000万人を抱えるとともに、労働賃金の水準も低く、地政学的にもインドと中国に挟まれ、重要な位置にあり、「東南アジア最後のフロンティア」と呼ばれるなど、現在、世界中から大きな注目を集めている。

 日本とミャンマー(ビルマ)の歴史的な関係は深く、ビルマは第2次世界大戦中にイギリスに寝返ったものの、戦前にアウン・サン・スー・チー女史の父親でビルマ建国の父といわれるアウン・サン将軍が旧日本軍の軍事訓練を受け、ビルマがイギリスから独立を図ろうとした際には、旧日本軍がビルマを支援したなどの経緯もあり、今でもミャンマーには親日感情が強いといわれている。また経済面では、かつては多くの日本企業が進出をしていたが、欧米の経済制裁を契機に日本企業の撤退が相次ぎ、その間に多くの中国及び韓国勢が進出を果たし、現在、日本企業の進出は大きく出遅れている。そのような中、昨年12月に玄葉外務大臣が、また今年1月には枝野経済産業大臣が、それぞれ訪緬し、さらに今年4月にはテイン・セイン大統領の訪日にあわせて野田首相が会談し、野田首相が日本政府として本格的な支援を再開することを表明するとともに、両首脳はティラワ開発に係るマスタープランの策定に関する覚書へ署名するなど、外交面でも様々な動きがある。

 筆者が今年2月にミャンマーを初めて訪れたのは、今年1月にタイを訪問した際に、バンコク在住の多くの方々が、「次はミャンマーが熱い」と口々におっしゃったことが契機であった。当時、日本ではミャンマーに関する報道は少なかったが、すでに玄葉外務大臣が訪緬し、ちょうど枝野経済産業大臣が訪緬していたタイミングで、ミャンマーに地理的に近いバンコクの日本人社会ではミャンマーは大きな話題となっていた。はじめてヤンゴンを訪問するときの心境は、戦時中のアフガニスタンにでも行くような感覚で、果たして無事に入国できるのか、入国後、尾行されたり、検閲をされたりはしないか、また無事出国できるのかといったもので、不安が尽きなかった。しかし、一度空港に降り立って市内に出ると、そのような不安はすぐに吹き飛んだ。道路を始めとするインフラは発達しているとはいえないが、市内は人で賑わっており、軍部が政権を掌握していたという雰囲気は全くなかった。また街中には日本の中古車や日本から寄付されたと思われるバスなどが多く走っており、数十年前の日本さながらの雰囲気に親近感すら覚えた。

 筆者は今年2月にはじめてミャンマーを訪れた後、5月、7月、9月と4回に渡ってミャンマーを訪れた。当初の3回はヤンゴンのみであったが、4回目の9月にはヤンゴンだけではなく、首都のネピドーも訪れている。訪問の主な目的は、政府機関、大使館、JETRO、法律事務所、会計事務所、日本企業の駐在員の方々などに面会をするとともに、現地における会議等に出席をして、現地の最新情報を仕入れることにあったが、4回の訪問を通じて、多くの方にお会いし、様々なお話をお聞きすることができた。その中で共通していたのは、ミャンマー側は日本からの投資の受け入れに非常に熱心で、すぐにでも日本側に投資をして欲しいという姿勢である一方、現地の日本人の方々は総じて冷静であるということであった。

 この1年、私のような訪問を含めて、日本からは経済団体のミッションだけではなく、多くの企業の関係者がミャンマーの視察に訪れている。しかし、4L(Look(見る)、Listen(聴く)、Learn(学ぶ)、Leave(去る))と揶揄されることもあるように、多くの日本企業が視察に訪れているにもかかわらず、現時点で実際にミャンマー進出を決定している日本企業は必ずしも多いとはいえない。この主な要因は、何と言っても現地における様々なインフラの未整備によるところが大きいと思われる。製造業が進出をするに際して欠かすことのできない電力や水道などは整備されておらず、電力に至っては慢性的に不足をしており、ヤンゴンでも日中しばしば停電が起きる。また空港、港、道路などの基本インフラも未整備である上に、知的なインフラであるといえる法律についても、多くは1900年代初頭から半ばに制定されたもので、現状にそぐわない上、運用も法律と大きく乖離しており、予見可能性は極めて低い。また2015年に総選挙が予定されているが、その結果如何によっては、政治的な混乱が生じる可能性も否定はできない。このような中、多くの日本企業の方々が視察に訪れても、現時点で日本企業が実際に進出を決定することができないのはやむを得ないのかもしれない。しかし、来年には日本政府によるODAの再開が予定され、また日本の商社連合による開発が予定されているヤンゴン郊外の経済特区(SEZ)ティラワの開発なども進められる見込みである。また欧米の経済制裁下では、既に中国や韓国がいち早く進出を果たしている上、経済制裁が一部解除・緩和されて、欧米企業による進出も見込まれている。多くの日本企業としても、今後は進出について、迅速に意思決定と実行が求められることになろう。

 日本企業が実際に進出をするに際しては、現地で合弁パートナーを見つけるとともに、政府からの認可の取得などが必要なケースも多い。実際に進出を決定し、また具体的に進出を検討している日本企業では、視察のような短期の出張ベースだけではなく、自社の社員を現地に長期で派遣し、市場調査から始まり、管轄する政府機関とのネットワークの構築、現地における合弁パートナーの発掘を含めた人的なネットワークの構築などから始めるケースが多いと聞く。ミャンマー進出を成功させるにあたっては、過熱するミャンマー詣に便乗するのではなく、このような現地における地道な活動が不可欠であろう。

 現在、筆者は、法的な側面から日本企業のミャンマー進出をサポートさせていただいているが、外国からミャンマーへの投資に関する法律としては、今年11月に新外国投資法が制定された。しかし、新外国投資法はいまだ不明確な点が多く、また政府に多くの裁量が残されているなど、ミャンマーへの投資に際しての法的な側面については依然として不透明な事項が多い。今後、種々の法制度が整備されていく中で、少しずつ明確にされていく事項も多いと思われるが、当面は手探りで進めていかなければならない事項も多い。法的側面だけを取ってもまだまだ大変な事項が多いが、筆者としては、ミャンマーに進出される日本企業の方々とともに模索をしながら、法的な側面から進出をサポートさせていただくことで、各日本企業のミャンマーにおける成功は勿論のこと、微力ながら、日緬関係の発展、そしてミャンマーという国の発展にも貢献していきたいと考えている。

 十市 崇(といち・たかし)
 1998年3月、慶應義塾大学法学部卒。2000年4月、司法修習(52期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2003年4月から2004年3月まで日本政策投資銀行非常勤嘱託弁護士。
 2005年5月、米国Columbia University School of Law (LL.M.)。2006年4月、 ニューヨーク州弁護士登録。2006年9月、当事務所復帰。2006年9月、英国London Business School (MSc in Finance (Masters in Finance))。2008年1月、当事務所パートナー就任。
 著書に「金融商品取引法の諸問題」(商事法務 2012年)、「論点体系 会社法 6」(第一法規株式会社 2012年)、「解雇権濫用法理のもたらすインセンティブ効果と派生問題」(『「企業法」改革の論理』 日本経済新聞出版社 2011年)、「金融商品取引法違反への実務対応-虚偽記載・インサイダ-取引を中心として」(商事法務 2011年)、「ベンチャー企業の法務・財務戦略」(商事法務 2010年)、またミャンマーに関する論文として「ミャンマーへの投資に関する法規制の概要」(旬刊商事法務 No.1370 2012年6月15日号)などがある。