山本病院事件(6) 2009年9月~2011年3月
2013年12月03日
冠動脈の狭窄がないのにステントを留置された患者の医療費返還を求める自治体の要求は、山本病院の破産手続きの中では、ほとんど通らなかった。不必要な治療によって、税で賄われる生活保護費が不当に使われてしまったわけだが、税金が無駄に使われたことだけが問題なのではない。
医学的な観点から見れば、冠動脈が正常な人にステントを留置したという山本医師の行為は、患者に不必要なリスクを負わせたという点で、極めて悪質であると言える。匿名を条件に筆者の取材に応じた循環器内科が専門の大学教授は次のように指摘する。
冠動脈のステント留置術には、ステントを留置した部位に血の固まりである血栓が発生して冠動脈が閉塞してしまう可能性がある。それを回避するため、患者は抗血栓薬をずっと飲み続ける必要がある。そのようなリスクを、そもそもステント留置の必要がない人に負わせたことは、犯罪として罰せられることはないとしても、極めて非倫理的な行為であると言わざるを得ない。山本病院ほど悪質でないとしても、ステント留置術が必要かどうか厳密に判断せず、必ずしも必要でない治療を行っている病院があると言われる。医師の裁量権に阻まれ、規制を加えることが難しい現状にあるが、社会的に大きな問題だと思う。不必要な治療を行う医療機関が出てくる背景には、マスコミが医療機関の治療件数を公表することで、治療実績が多い医療機関が良い医療機関だという風潮が生まれていることもあるのではないか。
大阪市が開示した意見書の中の2枚には、治療の必要性や保険請求の妥当性に関する評価以外に、次のような記述があった。
患者は術後急死している。CT所見とカルテの所見があわない。おそらくPCIによる心破裂であろう。
特記すべきは、カテーテル治療後に急性腎不全、感染を発症され、●●(黒塗りのため判読不能)最終的に死亡されていることである。
患者の急死に関する情報は、先に紹介した奈良県への匿名の投書にも記載されていたが、山本病院では治療直後に患者が死亡する事例が複数発生していた。そのうちの一件について、奈良県警が山本医師に対する刑事責任の追及に乗り出す。山本病院をめぐる事件は診療報酬詐取にとどまらなかった。
診療報酬を不正受給したとして山本医師が詐欺罪で起訴されてから約1カ月半後の2009年9月9日、奈良県警は山本病院のほか、山本医師と別の医師の自宅をそれぞれ家宅捜索した。容疑は、2006年6月に同病院に入院していた生活保護受給者の男性の肝臓にあった良性の腫瘍「肝血管腫」を「肝臓がん」と診断し、必要のない腫瘍摘出手術をして出血多量で死亡させた「傷害致死容疑」であった。
医師の診療行為が刑事責任を追及される場合、業務上必要な注意を怠り過って患者を死亡させたり傷害を負わせたりしたとして業務上過失致死傷罪(刑法第211条)に問われるのが通常だ。医師が病院の手術室で患者の治療を目的として行った手術の結果に対して、警察が過失犯でなく故意犯である傷害致死罪(刑法205条)での立件を目指すのは極めて異例なことだ。ちなみに、業務上過失致死傷罪の法定刑は「5年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰金」であるのに対し、傷害致死罪のそれは「3年以上の有期懲役」と刑の重さが大きく異なる。
詳しくは後で述べるが、もともと心臓血管外科医であった山本医師と、手術に立ち会ったもう一人の外科医は、ともに肝臓がんの切除手術を執刀した経験がなかった。
奈良県警が傷害致死容疑で強制捜査に乗り出したことを伝えた2009年9月9日の朝日新聞夕刊は「不要な手術をしているとの認識を、医師が手術前からある程度持っていたことの立証が必要になる」との刑法の専門家の談話や、死亡した患者の遺体がすでに火葬されてしまっていることなどを伝え、立件に向けてのハードルが高いことを指摘した。
最終的に山本医師は傷害致死罪でなく、業務上過失致死罪で起訴されることになるのだが、捜査の過程については後で詳しく取り上げることにして、まずは山本医師の公判で明らかにされた事実にしたがって、死亡した患者が肝臓手術を受けるまでの経緯を振り返ってみることにしよう。
これまで繰り返し述べてきたように、山本病院は多くの生活保護受給者を主に大阪の病院からの転院という形で受け入れていた。肝臓の切除手術で死亡した愛媛県出身の男性(死亡時、51歳)もその一人であった。以下、この男性をAさんと呼ぶことにする。
Aさんは2006年1月10日、大阪府内の病院から山本病院に転院し、1月16日に心臓カテーテル検査を受け、左冠動脈に99%の狭窄が認められたとしてステント留置術を受けた。翌2月9日に再度心臓カテーテル検査を受け、右冠動脈に75%の狭窄が認められたとされたが、経過観察とされ、ステントは留置されなかった。
Aさんは3月14日に2階の急性期病棟から3階の療養病棟に移り、同月23日に造影剤を用いない腹部のCT検査を受け、肝細胞がんの疑いがあるため、造影剤を用いたCT検査を受けることになった。のちに山本医師と一緒にAさんの肝臓手術を行うことになる塚本泰彦医師が3月末から山本病院で勤務するようになり、Aさんの主治医となった。
4月初めに行われた造影CT検査では、腫瘍が肝血管腫である疑いがあるとされた。肝血管腫は毛細血管の塊で、良性腫瘍である。厚生労働省が公表している医師国家試験出題基準(ガイドライン)にも記載されており、医学部の学生が学んでおくべき疾患と言ってよい。
Aさんは4月18日に肝血管造影検査を受けた。検査には山本医師と塚本医師が立ち会った。造影検査の画像は肝血管腫を示すものだったが、肝細胞がんと見誤り、検査結果を記す欄には腫瘍が肝細胞がんであると記載された。4月初めに行われた血液検査では、B型肝炎ウイルスの抗原検査やC型肝炎ウイルスの抗体検査は「陰性」で、肝機能にも特に異常は見られなかった。
しかし、4月18日の肝血管造影検査の後、Aさんに肝細胞がんであることが告げられ、手術が勧められた。
手術についてAさんはとても不安を抱いていたとされる。2011年3月23日に開かれた山本医師に対する初公判の冒頭陳述で検察側は次のように述べた。
被害者は、その日記に記載しているとおり、本件手術を受けることについて強い不安を抱いており、投薬による治療を希望していたものであるが、(略)肝細胞癌であると宣告され、再三にわたり手術を勧められて、治りたい一心で手術を受けることを決意したのである。
被害者の日記5月16日の欄には、「俺としてここでお世話になるしかない。又気力の勉強を!逃げる事又立ち向かう事」と記載され、被害者が、被告人らを信じて、手術に立ち向かおうとする気持ちが看取できる。(略)
そして、被害者は、手術を受けることになった後に、看護師に対し、「初期に癌を見つけてもらったので、手術をしてもらって、頑張って生活保護から抜けて自立する。」などと話し、被告人らを信頼して、自分の命を託し、再び元気な身体になって生きていく決意をしていたのである。
手術が行われたのは6月16日。山本医師が執刀し、塚本医師がその補助を務めた。2人の看護師が手術器具などを医師に渡したり、血圧や出血量などを確認したりした。
手術は午前10時9分ころに始まり、午後1時30分ころに終了したが、手術終了後、心臓マッサージや輸血などの蘇生措置が必要な状態となり、午後3時39分ころ死亡が確認された。塚本医師は死亡診断書に「急性心筋梗塞」と記載した。
手術直後の死亡であったが、山本医師と塚本医師は「異状死」として警察に届け出ていない。死亡直後に警察がAさんの死亡の事実を把握していないため、司法解剖も行われなかった。ただ、看護師が自分の判断で切除された肝臓を病理検査に出し、Aさんの死後、良性の肝血管腫であることが確認された。
異状死届け出問題については後述するが、医師法21条は「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定している。この条文は、死体を検案した医師が「異状」と判断しなければ警察に届ける必要はないと読める。実際、医師法違反(異状死届け出義務違反)などで院長の刑事責任が追及された東京都立広尾病院事件(2004年4月13日の最高裁判決で有罪が確定)でも、裁判所はそのような判断を示した。
では、Aさんの手術直後の死亡を警察はどのように把握し、捜査したのだろうか。
実は、Aさんの死亡から約4カ月後の2006年10月6日に行われた、医療法に基づく山本病院の立入検査の際、郡山保健所の担当者がAさんのカルテを見ていたのである。前述したように、山本病院が生活保護を受給している患者に片っ端から心臓カテーテル検査やステント留置術を行っているという匿名の情報提供が相次いでいたことから、奈良県ではこの時の立入検査の際、心臓カテーテル検査を受けた患者のカルテを調べた。Aさんも肝臓の切除手術を受けて死亡する半年前に心臓カテーテル検査とステント留置術を受けている。
匿名を条件に筆者の取材に応じた県の関係者は、この時の立入検査について次のように語る。
医療法に基づく立入検査で診療行為の中身に踏み込んで尋ねることはふつうあり得ないが、心臓カテーテル検査などの実施状況を確認していた郡山保健所の担当者が、心臓カテーテル治療だけでなく、肝臓の切除手術まで受けている患者さんがいて、しかも手術後に亡くなっていることに気づいた。切除された肝臓が実はがんでなく、良性腫瘍の肝血管腫であったとの病理検査結果もカルテに貼ってあった。担当者は山本病院のような水準の医療機関が、外部の専門医も招かず、極めて難易度の高い肝臓の切除手術まで行っていたことに驚き、立入検査に立ち会っていた病院側の関係者に手術時の模様を尋ねた。すると、病院職員の一人が「手術場から出てきたら死んでいた。おなかが(出血で)ちゃぽん、ちゃぽんだった」と話した。そうしたやり取りの最中、突然看護師の一人が泣き出してしまった。亡くなった男性は非常にいい人で、病院のスタッフに好意を持たれていたようだった。検査の担当者は「たいへんなことが起こっている」と感じた。
のちに、Aさんの死亡をめぐって山本医師が業務上過失致死罪に問われた裁判の被告人質問で、2006年10月6日の立入検査の際、郡山保健所の担当者から「(Aさんの)カルテを持ち帰りたい」と言われた山本医師が「困る」と言って断ったことが明らかになった。その理由について山本医師は法廷で「都合が悪いことが出てくるかもしれない。(肝臓がんと)誤診したことを隠したいという意識があった」という趣旨のことを述べた。検察側はこの被告人質問で、Aさんのカルテが2009年6月の山本病院に対する奈良県警の家宅捜索の際、院長室のロッカーから見つかったことを明らかにし、カルテをロッカーに入れた時期などを山本医師に尋ねている。山本医師は「2007年1月ころから院長室のロッカーに入れていた」と答えた。
医療法に基づいて指摘できるレベルの話ではないと判断した奈良県は2006年10月6日の立入検査の後、対応を協議した結果、Aさんの手術と死亡について山本医師に改めて事情を聴くことにした。すでに遺体はなく、死因を含めた真相究明は難しいと思われたが、「県として放っておくわけにもいかない」というのが事情聴取の理由だった。
年が明けて間もない2007年1月25日、郡山保健所の所長ら3人が山本病院に出向き、山本院長と事務長に会った。
保健所長らは山本医師に手術が必要と判断した理由や手術の態勢、死因などを尋ねた。
Aさんの手術は前述したように、山本医師と塚本医師の医師2人の態勢で実施されているが、この時、事務長は「医師3人でやった」と事実と異なる説明をした。
「死亡原因は出血性ショックではないのか?」との質問に対し山本医師は、「手術で肝臓の血管を傷つけたが、止血できたので出血死ではない」と答えた。「異状死届け出をしたのか?」と聞かれると、「死因は心筋梗塞であり、異状死ではない」と説明した。
奈良県はこれ以上の行政による調査は困難と判断する。事情聴取から9カ月後の2007年10月30日、郡山警察署に捜査を依頼することになるが、この時、Aさんの死亡についても警察側に伝えた。
話を捜査段階に戻す。
2009年9月9日、奈良県警が「傷害致死容疑」で山本病院などを家宅捜索し、強制捜査に乗り出したことは前述した。傷害致死容疑での立件を目指したということは、山本医師らが行った手術はもはや医療行為とは言えない、と警察がみなしていたと言えるだろう。
5カ月の間にいったい何があったのだろうか。
容疑名の変更は、奈良地検が傷害致死罪の適用に強硬に反対した結果だった。匿名を条件に筆者の取材に応じた当時の奈良県警の捜査幹部の一人は次のように振り返った。
捜査員が大学の先生方に意見を求めて回ると、肝血管腫の診断は医学部の教科書レベルの知識で可能とわかった。検査画像を見れば、肝臓がんと誤診するはずのないものだということで、「これは医療行為ではない」と判断した。そして、傷害致死での立件を目指して家宅捜索に踏み切った。しかし、検察庁は医療過誤事件に極めて慎重になっていた。福島県立大野病院事件(※筆者注=帝王切開手術で母親が死亡した事故で担当の産婦人科医が業務上過失致死容疑で逮捕、起訴された事件。医療界から捜査に対する強い批判が起きた。2008年8月、一審の福島地裁は無罪判決を出した。検察側は控訴できず、その判決が確定した)の影響があったのではないかと思う。傷害致死での立件に強く反対し、県警と地検の関係は一時険悪なものになった。地検側は「100人の医者の中で99人が『肝血管腫と診断できるから手術はしない』と言ってくれたとしても、『これはがんと診断できる。手術する』と言う医者が1人でも出てくるかもしれないではないか」と言った。傷害致死事件にしたくないための極端な言い方だと思うが、傷害致死は故意犯だから、山本医師らに「見立て違いだった。誤診でした」と主張されたら、無罪になってしまうということも地検は心配した。捜査の過程で意見を聞いた医師の中には「(山本医師を)医者として扱ってほしくない」と言う人もいたが、最終的にはこちらも地検の意見に同意した。
前述した福島県立大野病院事件で
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