メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

人生の中のある日 幸運と体力と覚悟

金子 圭子

人生の中のある日

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
弁護士 金子 圭子

金子 圭子(かねこ・けいこ)
 弁護士、アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー。
 1986年3月、川越女子高等学校卒業。1991年3月、東京大学法学部卒業。1991年4月-1997年3月、三菱商事勤務。1999年4月、司法修習(51期)を経て、弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2007年1月、当事務所パートナー就任。
 2007年4月から2010年3月まで東京大学法科大学院客員准教授。
 私には、小学生と中学生の二人の子供がいる。仕事は忙しい。なかなか大変な毎日である。

 朝は朝ごはんと中学生の娘のお弁当を作らねばならない。晩ごはんの仕込みもしなければならない。洗濯もしないといけない。早朝から会議がある日は早く家をでなければならない。それがない日は、小学生の息子と一緒に家を出て、学校の近くまで送ってから仕事に行く。

 仕事は基本的にとても忙しい。日中は、ばたばたしている。

 夕方は、また格別にばたばたする。夜の会議があり、夜中に多くの作業があり、早くは帰れないと最初からわかっている日や、行かなければならない夜の会合がある日は子供が起きている間の帰宅はあきらめる。しかし、基本的には、私は、夜は子供と少しの時間でも過ごしたいのである。よって、夕方が近づいてくると、晩御飯のメニューを考えながら、場合によってはスーパーに飛び込んで足りない食材を買って帰宅して、大急ぎで晩御飯を作る。子供は正直なもので、おいしいとたくさん食べるので一生懸命に作る。子供とご飯を食べる。

 あっという間に、夜が更けてくる。一緒にお風呂に入る(もう一緒に入らなくてもいい年齢なのだが)。その後、子供を寝かしつけながら(もう寝かしつけるような年齢ではないのだが)、最近までは本を読み聞かせていた。今は、子供たちに自分で本を読ませて、横で様子を見ている。そして、電気を消して、子供が寝付くまで今日の話をする。本当に睡眠不足で横になったら寝てしまうなという日は、添い寝せず、横にいる。

 そして、子供が寝付くと、そこから、パソコンを立ち上げ、だいたいはたっぷりある持ち帰りの仕事を始める。アソシエイトから「契約書案をレビューしてください。」、「相談したいです。」などという連絡が入っている。そこでアソシエイトや依頼者に電話をしたり、メールを送ったり、文書を作ったり、調べものをしたりする。すぐに夜中になる。

 今夜中に返さないといけない仕事が一通り終わると、次に、子供の学校のプリント等を見る。事前に来ていたものも見落としていて、明日までに用意しないといけないものがあったことに気付いたり、塾の説明会はもう終了していることに気付いたりする。次に、明日の朝ごはんと晩ごはんのため、米を洗い、茶碗を洗う。ようやく、缶ビールをプシュッと開ける。テレビの深夜番組をつけながら、新聞を読む。そのころ、夫が帰宅してくる。

 翌朝もだいたい朝から必死なので、靴を左右違うものを履いて出かけ、依頼者のオフィスで気付いたことがある。新品の服にタグ付きのまま出かけることはざらで、ただ「L」などとサイズ明示のシールがついたままのときは、さすがに赤面する。

 この日常の描写には、もちろん、突っ込みどころも満載だろうと思う。家事は手伝ってくれる人をお願いすればいいじゃない、茶碗なんか食洗機でしょ!、寝るまで添い寝なんてやりすぎ、何で子供を学校まで送っていきたいの、忙しい仕事で一緒に子供と晩ご飯食べたいなんて甘えている、大手事務所の弁護士で子供が起きている間に家に帰りたいなんて欲張り、仕事をセーブしたらいいじゃない、多少はあきらめなさいよと。

 それはそうなのだが、まずは、私の場合、子供を生んでみて気付いたのだが、子供というものは、本当にかわいく面白いのである。少しでもその日の子供の様子を知りたいし、動いている姿を見たいし、また、子供のためにできることはできるだけやりたいという気持ちは捨てられない。後で後悔したくない。現に子供はあっという間に大きくなってきてしまった。一方、仕事の方も、私を信頼して仕事を頼んでくれる依頼者がいる。とても誇らしく、また、ありがたい。自分に出来る限りのことをしたいと思う。また、職場には、チームとして私と一緒に仕事をしているメンバーがいる。そのメンバーも皆、必死で働いている。すると、自分だけ楽をしたいとか、甘えたことはいえない。「子供がいるから仕事は少なめで」とも言いたくない。周りの人はやさしい人ばかりなので「いいよ」と言ってくれるだろう。しかし、そう言ってしまったら、間違いなく今やっているタイプの仕事はできなくなるし、やれもしないなら、身を引くべきと思う。

 しかし、大変は大変である。私は、昔から異常に体力があり、「何を食べているんですか?」と職場の男性に問われるくらい強靭である。それでも基本的には一日の終わりはへとへとである。当然だ。私はもういい年だ!

 家事を夫に半分分担させたらという声も聞こえてきそうである。しかし、夫は分担を拒絶などしていない。夫も、朝から夜中まで働いているのである。早く帰ってこられる部署にいたときは色々とやってくれたし、今でも、やれることは労を厭わずやってくれる。そんな夫に私が今「半分家事をしなさいよ」と言ったら、夫はおそらく「はい」と答え、深夜に家事でもして、過労で倒れるだろう。

 もちろん、私の生活は働く女性の一例にすぎないのだが、忙しい社会の中で、女性が子供を育てながら、男性並みの昇進等を前提に男性と同等に働くというのは、こういうことである場合が多いであろう。私は今の生活を好きでやっているし、報われたと感じることの多い毎日で、充足感を感じ、自分のこれまでの道のりを、とても恵まれた、幸せな道のりであったと思う。それに、仕事ができて、子供もいて、本当に幸せだと、毎日思う。しかし、この生活がなんとか成り立っているのは、家で出来る仕事も多いこと、職場の環境、多くの周りの人にたまたま助けてもらっているからであり、さらに、たまたま私に体力があったからであろう。いくつかの幸運な要因の複合なくしても、多くの女性が普通に仕事と家庭の両立ができるようになるには、もう少し今の男性社会も労働時間が短いか又は平均的な帰宅時間が早ければいいのになと思う。

 娘には、いつも「自分と自分の子供の生活を支えるだけの収入を得られるようになりなさい。」と言っている。職場の後輩の女性にも、「覚悟さえあれば、両立はできるよ。がんばろうよ。」と言っている。でも、娘や後輩の女性たちを見ていても思う。どうか、色々な幸運等に恵まれてこの子たちが溺れることなく、無事に漕いでいけますようにと。

 無意識のうちに娘を日々叱咤しているようで、知らず知らずに、娘は私の影響を受けている。先日、ものすごい速さで麺を食べる娘に、「ちょっと、そんな食べ方しないで、もっとゆっくりと食べなさい。」と注意すると、「ママが、この厳しい時代に女性が生き残っていくにはゆっくり食べてたらだめ、ママもママの友達も、みんな食べるのが早いって言ってた。」と言い返された。娘よ、どうか、がんばって・・・。

 いろいろと人の心配をしている場合でもない。私も、どうも老化のスピードがアップしてきている気もするし、もう少しのゆとりを持つために、そろそろ添い寝はやめようかな・・・朝、学校の途中まで送るのもやめようかな(学校まで送るのは色々考慮してやめたわけだし・・)・・・週に一回くらい人を頼もうかな・・などと、ビールを飲みながら考えていると、酔いと睡魔で意識が混濁し始め、本日も無事終了。あー、ありがたい。また明日。