メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

検察の強制捜査権でロッキード事件の真相を解明してほしいと願った記者たち

(5)ロッキード事件の発覚

村山 治

 ロッキード事件、リクルート事件など戦後日本を画する大事件を摘発し、「検察のレジェンド」と呼ばれた吉永祐介元検事総長が亡くなって1年が経った。それを機に、吉永さんを長く取材してきた元NHK記者の小俣一平さん(62)と元朝日新聞記者の松本正さん(68)に、吉永さんと特捜検察、さらに検察報道の今と昔、それらの裏の裏を語ってもらった。第5回の本稿ではいよいよ、吉永さんが心血を注いだロッキード事件の捜査に話題が移る。戦後最大の政界汚職を摘発した検察とその動きを追った報道側の舞台裏の一端が明らかになる。

●金字塔 ― 吉永さんは検察捜査のレジェンドに

吉永祐介さん=1993年12月13日、東京・霞が関
 村山:吉永さんといえば、何と言っても、東京地検特捜部の副部長時代に指揮したロッキード事件の捜査です。今回からは、ロッキード事件を中心に話し合いたいと思います。
 1976年2月4日、米国の上院の委員会で日本の政官業界を震撼させる証言が飛び出します。大手航空機メーカーのロッキード社の監査法人が、航空機の売り込みにからみ、大物右翼の児玉誉士夫さんや商社の丸紅に巨額の工作費を渡していた事実を明らかにしたのです。
 東京地検特捜部は同年7月27日、田中角栄元首相を、日本国内居住者ではないロ社のための支払いであると知りながら、丸紅から4回にわたり計5億円の現金を受け取った外国為替管理法違反の容疑で逮捕しました。さらに、そのカネはロ社の旅客機を全日空に売り込む口添えを頼まれた謝礼としてロ社と丸紅から受け取った賄賂だとし、受託収賄の罪もあわせて起訴しました。
 公判で、田中さんは無罪を主張して争いましたが、
・・・ログインして読む
(残り:約13118文字/本文:約13792文字)