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「政界ルート捜査断念」から「元建設相逮捕」への転換はなぜ起きたか

(20)ゼネコン汚職

村山 治

  ロッキード事件、リクルート事件など戦後日本を画する大事件を摘発し、「特捜検察のエース」と呼ばれた吉永祐介元検事総長が亡くなって1年が経った。それを機に、吉永さんを長く取材してきた元NHK記者の小俣一平さんと元朝日新聞記者の松本正さんに、吉永さんと特捜検察、さらに検察報道の今と昔、それらの裏の裏を語ってもらった。第20回の本稿では、金丸脱税事件の捜査から派生したゼネコン事件を振り返る。政官業がからむ公共事業利権の解明は検察の悲願だった。特捜検察は、茨城と宮城の県知事を相次いで摘発。さらに、公正取引委員会の談合告発をめぐり元建設大臣を起訴するなど存在感を示したが、行き過ぎた捜査も明らかになった。吉永さんは東京高検検事長、検事総長として捜査を“陣頭指揮”した。

●ゼネコン事件捜査

1993年6月29日の朝日新聞夕刊一面トップ記事
 小俣:脱税に問われた金丸信元自民党副総裁の蓄財原資の大半を提供したのはゼネコン業界でした。それだけに裏付け捜査で押収したゼネコンの裏帳簿などの資料は宝の山。検察の捜査は、ゼネコンの公共事業をめぐる贈収賄摘発に向かいます。

 村山:1980年代後半、日本は米国から市場開放圧力を受けました。その際、自民党建設族の親分だった金丸さんは、大蔵省の反対を押し切り、米国の要求を受け入れ、政府に、向こう10年間で430兆円の公共事業投資をする、と国際公約させたのです。日本国内にカネをばらまけば景気が刺激され、社会資本も充実するのだから、

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