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司法さえ腐敗のある国、インドネシアで訴訟リスクをどう制御するか

宇野 伸太郎

インドネシアの民事訴訟
その危険性と対応策

西村あさひ法律事務所
弁護士・ニューヨーク州弁護士
宇野 伸太郎

宇野 伸太郎(うの・しんたろう)
 2002年東京大学法学部卒業、2003年弁護士登録、2010年カリフォルニア大学バークレー校ロースクール卒業(LL.M.)、2014年、英国仲裁人協会フェロー(FCIArb)、シンガポール仲裁人協会フェロー(FSIArb)、2015年クアラルンプール仲裁センター(KLRCA)仲裁人、2015年に日本人として初めてインドネシア仲裁委員会(BANI)仲裁人に就任。現在西村あさひ法律事務所シンガポールオフィス・パートナー。
 インドネシアでは日本企業を含む外国企業が巻き込まれ、深刻な被害が生じる民事紛争が増加している。外国企業に対する訴訟の動向、そしてインドネシアの法制度と運用の現実を見れば、同国は訴訟リスクが極めて高い国であると認識すべきである。本稿では、インドネシアの民事訴訟がなぜリスクが高いのかについて解説し、最後に、若干であるが、紛争の対応策と予防策について述べることとしたい。

1 頻出する紛争の類型

 インドネシアで外国企業が巻き込まれる紛争としては、ジョイントベンチャーや販売代理契約などのビジネスパートナーとの紛争、土地所有権を巡る紛争、従業員との労働紛争、インフラ・建設プロジェクトにおける紛争が多いが、昨今の経済情勢下のもと、特に増えているのは、債権回収を巡る紛争、倒産に関する紛争や税務紛争である。

2 なぜ訴訟リスクが高いのか

 インドネシアで訴訟のリスクが非常に高いことには様々な要因があるが、それらは、大別すると、①法制度とその運用、②司法の担い手の問題、③裁判所外の問題という点に整理できる。

 (1) 法制度およびその運用

 第1に、インドネシアの民事訴訟では、請求金額が非常に高額となる場合がある。その大きな要因は、“kerugian immaterial”(無体損害)という損害にある。この“無体損害”とは、名誉が毀損されたり、精神的な苦痛を被ったりしたという場合の慰謝料に相当するような損害である。理論的には、自然人の精神的な苦痛を対象とするものであり、企業間のビジネスに関する紛争において認められるべき性質の損害ではないが、外国企業を被告とする訴訟では、これが濫用的に用いられ、実際に被った損害額(実体損害)の10倍を超えるような金額が無体損害として請求されることが珍しくない。そして、裁判所の判決でも、外国企業が無体損害として高額の損害賠償を命じられる例が散見される。

 また、訴訟を提起する際に納付する手数料も、請求金額にかかわらず、70万ルピア(約6000円)と固定で安価であることも、請求金額高額化の一因となっている。

 第2に、民事訴訟のスピードが速いという問題がある。第一審は原則として6ヶ月以内に終わらせなければならないというルールがあり、そのため、訴訟が始まれば、弁論期日は毎週あるいは隔週ごとに開かれる。インドネシアの民事訴訟では、立証活動(すなわち書証の提出及び証人尋問)ができるのは原則として第一審だけであり、立証の準備に十分な時間がかけられないおそれがある。

 第3に、判決が出る前に、訴訟の目的を仮に実現し、また被告の資産を仮に差し押さえる仮処分・仮差押制度についても危険性が高いものとなっている。日本における同様の制度と異なり、インドネシアでは、仮差押・仮処分が発令されるために、申し立てる側が保証金を積むことは原則として必要とされておらず、訴訟の原告は、手持ち資金の負担なく、製品の輸出を仮に差し止めたり、資産を仮差押えしたりすることが可能となっている。

 第4に、民事消滅時効は原則30年間であり、非常に古い出来事についても訴訟を提起することが可能となっている。従って、30年近く前のことについて訴えられ、被告企業としては、記録も残っておらず、担当者も退職して誰もわかる人がいないという事態が起こり得る。なお、インドネシアでは、労働者の未払賃金債権については短期(2年間)の消滅時効が定められていたが、2013年9月19日に憲法裁判所はそれを違憲無効と判断した。従って、今後は、労働者の賃金債権についても、遠い過去にまでさかのぼって訴えられるおそれがある。

 第5に、民事訴訟が提起された場合、契約書における仲裁条項が必ずしも機能しないという問題がある。インドネシアに進出している企業の多くは、契約書に仲裁条項を定め、紛争が生じても、裁判所での訴訟ではなく、仲裁によって解決されることとしている。しかしながら、インドネシアの裁判実務では、民事訴訟が提起された場合、仲裁条項の存在を主張して訴訟の却下を求める戦術が、必ずしも機能せず、訴訟で戦わざるを得なくなることがある。仲裁条項が機能しない理由にはいくつかのものがあるが、その主要な理由は、インドネシアの訴訟弁護士が多用する訴訟戦略である。具体的には、ローカル企業が外国企業に対し、両者間の契約に関連する損害賠償請求を求めて提訴する場合も、契約に基づく請求ではなく、不法行為(日本の民法709条に相当するインドネシア民法1365条)に基づく請求という法律構成を敢えて選択し、仲裁条項の適用を回避しようとする戦略である。本来、「契約から派生し又は関連する一切の紛争」(any dispute arising out of or in connection with this contract)について仲裁条項が適用されるはずであるが、インドネシアの裁判官には、請求の法律構成が不法行為である場合、仲裁条項の適用を認めない傾向が見られ、結局、契約に関連する紛争であっても裁判所での訴訟を強いられるということが頻繁に起きている。

 第6に、クラスアクション制度が存在し、集団訴訟も可能となっている。現時点ではこれが利用されることはまだ多くないものの、今後、消費者紛争に関する消費者による集団訴訟や環境問題についての周辺住民による集団訴訟が増加すると予想されている。

 (2) 司法の担い手の問題

 インドネシアの裁判所には汚職が多いと言われている。2013年にはインドネシアの裁判官のトップである憲法裁判所長官(日本でいう最高裁判所長官に当たる)が収賄罪で訴追され、終身刑の判決を受けるなど、裁判官が収賄で逮捕されるというニュースは珍しくない。どの程度汚職が蔓延しているのか統計的なデータがあるわけではないが、インドネシアの弁護士に聞けば、「賄賂には請求金額に応じた相場がある」「訴訟の途中で裁判官が身につけているものが急に豪華になった」といった話がたくさん出てくる。

 また、裁判所に汚職が蔓延しているということは、贈賄する側の弁護士も存在するわけであり、アメリカのFCPAなど外国公務員贈賄規制との関係でも、インドネシアで訴訟弁護士を起用する場合は、贈賄を行うような弁護士かどうかを事前にチェックすることが肝要である。この点、2012年に、日本人の現地法人社長が、訴訟弁護士を通じて裁判官に贈賄したとして逮捕・訴追され実刑となった事例は記憶に新しい。筆者の経験でも、現地スタッフや取引先などから推薦を受けたインドネシア人弁護士についてバックグラウンド調査をしたところ、過去に裁判官に対する汚職への関与が疑われていた人物であったということが何度もあった。それ故、インドネシアにおいては弁護士の選定は極めて慎重に行うべきである。

 裁判所において汚職が日常的に行われているとしても、当然ながら、FCPAなど外国公務員贈賄規制との関係からも、外国企業としては汚職に手を染めることは絶対に許されず、外国企業が訴えられた場合、不公平な戦いを強いられることになる。

 もちろん、贈収賄の証拠を掴むことができれば捜査当局に告訴できるが、そのような証拠を民間企業が入手することはまず不可能である。そのような環境の中で、外国企業がどのように戦っていくか、先進国での紛争対応とは全く異なる戦略が必要となる。

 さらに、インドネシアの訴訟弁護士の中には、紛争相手の身体・財産に対する脅迫を常套手段とするような弁護士も現に存在しており、紛争の相手に応じて適切な弁護士を選定することが重要となる。

 (3) 裁判所外の問題

 インドネシアの民事紛争のもう一つの特徴として、法廷だけが戦いの場となるのではなく、裁判所の外でも嫌がらせ(ハラスメント行為)を受けることが多いという点が挙げられる。

 私人間の民事紛争に過ぎない事件について、詐欺・横領があったなどとして刑事事件化するために警察に告訴し、それを受けて警察が介入してくるというのは、ローカル企業が外国企業を攻める場合における典型的な攻撃手法である。筆者の経験上も、民事紛争のかなりの割合で警察の介入が起きている。警察の他にも、労働当局、税務署、入国管理局等の当局が民事事件に介入してくる場合もある。

 また、素性の分からない部外者が、紛争を早期に解決できるので自分たちを雇えなどとコンタクトしてくることもあり、対応を誤ると新たな紛争を招く恐れもある。

 さらには、新聞・インターネット等のメディアを通じて、紛争相手の外国企業を一方的に非難するような報道を展開させる場合もある。

 以上のとおり、紛争に巻き込まれた外国企業は、法廷での対応に加えて、他の当局やマスメディアとの対応に多大な労力を割かれる。

3 紛争の対応策

 上記のとおり、インドネシアの民事紛争は特有の危険性を抱えており、主張・立証をしっかりと行うという本来あるべき訴訟対応以外の手立てを講じることも必要となる。紛争の対応策としては、特効薬は存在せず、ケース・バイ・ケースで考えていかざるを得ないが、以下、若干の留意点を述べる。

 (1) 信頼できる訴訟弁護士の起用

 以上で述べてきたことからも明らかなとおり、インドネシアで訴訟弁護士を起用する場合、優秀であることに加え、信頼できるという点が非常に重要となる。ここで「信頼ができる」というのは、①汚職に手を染めない、②守秘義務を守る、③相手方弁護士と通じていない、④依頼者の指示を受け入れ、適時に報告を行う、⑤依頼者の利益のために最善を尽くす、という弁護士として当然のことを意味する。しかしながら、インドネシアでは、これらの要件を全て満たす訴訟弁護士を見つけるのはかなり困難な作業であり、弁護士を起用するためには事前に十分な情報収集が必須である。前述のとおり、筆者の経験上、インドネシアで地元の企業や人から推薦される訴訟弁護士は、上記の要件を満たしていないことが多く、警戒を要する。

 (2) 情報の収集・管理

 紛争が始まった場合、情報の収集・管理が重要となる。情報の収集という点では、訴訟が提起されたという情報から、訴訟遂行に必要な情報まで、タイムリーな情報収集のために適切に布陣することが有益である。

 情報の管理という点では、ローカル社員から情報が相手方に漏れるというリスクに注意が必要であり、従って、情報の共有範囲は慎重に決定すべきである。日本人駐在員が最近どこを訪れているといった情報が、運転手から流れるおそれもある。さらには、相手方の手先が、オフィスに侵入して(あるいはローカルスタッフを買収して)証拠を持ち去るということも現実的なリスクとして存在しており、証拠の管理に不安がある場合は、証拠を安全な外国に移すということも検討に値する。

 (3) スケジュールの管理

 前述のとおり、インドネシアの民事訴訟は進行が速いため、紛争が生じた場合、可及的速やかに訴訟準備を始めるべきである。

 また、実際に訴訟が始まった場合、毎週のように弁論期日が入るのは前述のとおりであるが、期日の開始時刻がほぼ毎回遅延することに加え、当日になって期日がキャンセルされることも多々あり、手続の進行スケジュールを正確に予測することは困難である。提訴された場合、できるだけ早く、訴訟対応の経験豊富な弁護士と共に戦略とスケジュールを練り、予想外の出来事にも対応できる柔軟な体制を構築することが重要である。

4  紛争の予防策

 紛争の予防策としては、(当たり前のことではあるが、)書面で証拠を確実に残すということが極めて重要である。本来作成されるべき契約書などの文書が作成されていない、あるいは保存されていない(保存されていたとしてもコピーしかない)というトラブル例は多い。現地法人では、担当者の移り変わりが激しく、文書の管理・保存を適切に行うというのは決して容易でないが、更に加えて、前述したとおり、インドネシアの民事消滅時効は30年であって、これだけの長期間にわたって文書の管理・保存を適切に行うのは至難の業であるだけでなく、費用もかさむ。しかし、重要な文書についてはそれがあるかないかが訴訟の帰趨に直結する以上、文書の管理・保存には力を入れるべきである。

 また、典型的なトラブルとして、インドネシア語の文書への署名という問題がある。日本人駐在員がインドネシア語で作成された契約書やレターに署名するということは業務上かなり多いと思われるが、多くの駐在員はインドネシア語の文書を正確に理解できるとは限らないため、署名した内容が(ローカルスタッフなどから)説明を受けた内容と一致しているのかが疑わしい場合がある。筆者の経験上も、紛争が生じた後で内容を確認したところ、インドネシア語で書かれた文書の内容が署名者の理解と異なるものであった、という問題は何度も起きている。署名した以上、(インドネシア語が理解できないとしても)署名者としての責任を回避することは難しいため、契約書など重要な文書は、英訳を用意するなどして、内容を正確に理解した上で署名することが望ましい。

 また、常日頃から法令を遵守するというコンプライアンス体制を適切に構築し、浸透させておくことも重要である。小さな法令違反について、これまで問題にされていないとしても、いざ紛争になったら、細かい法令まで遵守されているか徹底的に調べ上げられ、違反があれば厳しく追及されることになりかねない。

 さらに、契約の締結に際しては、常に起こり得る紛争を意識して契約文言を丁寧に検討すべきである。上述のとおり、仲裁条項は必ずしも機能しないことがあるが、それでも仲裁条項を入れることは強く推奨される。仲裁条項についても、インドネシアの紛争の実態を踏まえた工夫が望ましい。

5 終わりに

 インドネシアで日本企業が紛争に巻き込まれる事例は確実に増えてきており、筆者自身も既に30件程度のインドネシアの紛争案件に関わっている。訴訟大国の米国と比べれば訴訟の数は多くはないが、いったん紛争となるとかなりの負担を強いられる。

 上述のとおり、インドネシアの民事紛

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