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「パナマ文書」で世界に衝撃を与えたICIJと朝日新聞はなぜ提携したか

奥山 俊宏

 租税回避地(タックスヘイブン)にある21万余の法人に関する2.6テラバイトの電子ファイル「パナマ文書」を分析し、アイスランド首相らの知られざる行状を明らかにしたICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)と南ドイツ新聞など提携マスメディアの報道が世界に衝撃を与えている。朝日新聞社は4年前からICIJと提携関係にあり、これまでその取材・報道に参加してきている。提携が始まって間もないころ、その経緯について、日本新聞協会が発行する月刊誌『新聞研究』編集部から依頼され、担当記者が同誌の2012年11月号に寄稿した。その原稿を以下に再録する。

 

米国の調査報道NPOとの提携
 新しい価値を取り入れ、紙面の価値を高めるために

朝日新聞東京本社特別報道部
奥山俊宏

 私たちはこの夏、調査報道を手がける米国の非営利組織(NPO)とパートナーシップを組んだ。その成果の第1弾にあたる記事が(2012年)7月19日に朝日新聞の紙面に掲載され、現在、第2弾に向け両者共同の取材が続いている。日本の新聞業界ではこれまで見られなかった形態の「提携」だと思う。これについて、本誌『新聞研究』編集部から経緯や意義、価値、注意点、調査報道の取り組みへの考え方などについて、私たちのチームに寄稿を求められた。それに応えたのが本稿である。

■同じ報道機関として協働

2012年7月19日の朝日新聞朝刊の左肩に載った記事
 「遺体から組織 闇取引」という主見出しの下に「ICIJ提携記事」というワッペンが添えられている。左脇には「米調査報道NPOと本社提携」という白抜きの文字列が目立っている。

 「死体から皮膚や骨、腱(けん)などの組織を集め、歯科インプラントや美容形成、スポーツ医療用製品の原材料として国際的に取引する動きが活発だ」という第1文に続けて、「高まる需要の中で死体組織の不正な入手も横行し始めており、米国の国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は世界11カ国で8カ月間取材し、取引の不透明な実態に迫った」とある。そして、「朝日新聞社は、ICIJと提携することを決め、初めて記事の提供を受けた」との関連記事が抱えられている。

 7月19日、朝日新聞朝刊1面の左肩の位置に載ったこれらの記事とその見出しは「新しいスタイルの記事・紙面をつくっていこう」という私たちの意気込みの表れでもある。

 社内にこだわらず、これまでの私たちにはなかったような手法や情報源、アイデアを外部から積極的に取り込んで、より良いジャーナリズムを読者に提供し、優れた調査報道をもっと流通させたい――。

 そんなふうに私たちは考え、社内で話し合ってきた。そうした議論の中から生まれた試みの一つが、ICIJとの提携と、それに基づく7月19日の紙面である。

 2面へと続く記事の末尾にはICIJの5人の記者の名がこの報道の「担当者」としてカタカナで明記されている。ICIJとその記者の名前をきちんとクレジットすることが、提携にあたってICIJ側から示されたほぼ唯一と言っていい条件だ。

 おそらくICIJは「この記事をできるだけ広く多く世界各地の人に読んでほしい」と考えたのだろう。一方、私たちはジャーナリストとして、純粋に「興味深いネタだ」と思ったからこれを取り上げた。その意味では私たちにとってICIJは一種の情報源であったわけだが、それにとどまるのではなく、朝日新聞の記者がICIJのメンバーになって、その内部に入り、その取材の舞台裏や根拠資料などを直接把握した上で、その記事の掲載を決めた。私たちは、ICIJに取材を「外注」したのではないし、ICIJに紙面の一部を明け渡したわけでもない。ジャーナリズムの活動を共同で行ったのだといえる。

ICIJ事務所の玄関の脇にある表札=2012年9月29日、米ワシントンDC
 ICIJは、私たちと同様に、みずからをジャーナリズムの担い手であると認識し、取材・報道にあたっては、公正であろうとし、不偏であろうとし、独立であろうとし、ジャーナリズムの倫理を順守すると表明している。だから、私たちは同じ報道機関としてICIJと話をすることができた。さらに、ICIJだからこのネタに目をつけることができ、ICIJだからそのネットワークでこれだけの取材をやりきることができた、そんな事情がよく分かったからこそ、私たちは、ICIJとパートナーシップを組むことに大きな意義があると考えた。

■NPOと既存メディアの連携

 非営利組織(NPO)が、財団や読者の寄付で記者や編集者を雇い、ジャーナリズムの原則に従って取材と報道を実践する、そんなムーブメントは2006年以降、米国で急速に広がった。それは、インターネットに広告を奪われて縮小を強いられた新聞やテレビなど既存マスメディアの惨状に多くの人が危機感を抱いた結果でもあった。

 私は2008年5月、社の上司である船橋洋一主筆(現・日本再建イニシアティブ財団理事長)と市川誠一・特別報道次長の命で米国に出張し、これらの動きを取材した。年間数億円という破格の予算規模で前年10月に発足したばかりの調査報道NPO「プロパブリカ」の事務所をニューヨークに訪ね、その空気を朝日新聞の紙面で紹介した。私の訪問時点ではまだ一本の記事も出していなかったが、プロパブリカはその後、2010年、2011年に連続してピュリツァー賞を受賞し、日本でも「ネットメディアでは初めての受賞」などと報じられた。2009年には、私は、ワシントンDCにあるアメリカン大学に留学し、同大学のプロジェクトとして発足したばかりの「調査報道ワークショップ」に籍を置いた。「米国で広がる非営利の報道──ジャーナリズムの危機への処方箋として」と題して本誌『新聞研究』2010年4月号に寄稿し、調査報道NPOに関する米国内の動きを報告し、日本での可能性を探った。

 それら米国の調査報道NPOのほとんどは、みずからのウェブサイトだけでなく、新聞社や放送局など既存のマスメディアと提携し、新聞紙面やテレビ、ラジオの番組の中でも取材結果を発信している。NPOの記事をほぼそのまま紙面に掲載する例もあるが、それだけでなく、NPOの記者と新聞社の記者が共同で取材にあたり、執筆は新聞社の記者が担当する例、新聞の地域版の制作をその地域のNPOにページごと任せる例など、提携の形はさまざまだ。

 調査報道NPOの記者の署名の入った記事を有力紙の紙面で見かけることも珍しくない。「訴訟費用ローンが新たなリスクを生む」という見出しで昨年(2011年)1月17日のニューヨーク・タイムズに掲載された記事の本文には、その記事の内容が「調査報道NPOであるセンター・フォー・パブリック・インテグリティとニューヨーク・タイムズによる調査の結果」であると明記され、さらに、「このプロジェクトはセンター・フォー・パブリック・インテグリティによって主導された」とのおことわりが脇に添えられている。ワシントン・ポストに今年(2012年)9月16日に掲載された「医師たちは以前より高い料金を取っている」という記事には筆者として3人の署名があり、その下に、その3人の所属先「センター・フォー・パブリック・インテグリティ」と明記されている。そして、「センター・フォー・パブリック・インテグリティは非営利・独立の調査報道機関である」との説明文が記事の末尾に添えられている。

レナード・ダウニー氏=2012年6月15日、米ボストンで
 ワシントン・ポストの編集トップを2008年まで17年間にわたって務め、今も同社の重役の地位にあるレナード・ダウニー氏(アリゾナ州立大学教授)は今年(2012年)6月15日、私たちのインタビューに対し、「新聞ビジネスがうまくいっていた10~15年前なら社外の人の記事を載せるなんてことはまったく考えられなかった」と振り返った上で、「今は協働が進んでいる」と語った。

 「ワシントン・ポストはNPOの記事を載せたり、NPOと一緒に記事を作ったりしており、こうしたことは全米で起こっている。たとえば、『カリフォルニア・ウォッチ』というNPOはカリフォルニア中の新聞やテレビ局にたくさんの記事を供給している。したがって、それらNPOが成功することは、それらNPOだけでなく、商業メディアのためにもなる。これにどのような形態(モデル)があるのか見いだそうと、私たちは今も試行錯誤を続けている」

 「調査報道には今も一般の人々の強い支持があると思う。国論が両極端に分かれ、そのために人々がさまざまな物事について報道を非難し、報道が不人気である現状にあっても――同じことは日本でも起こっているかもしれないが――、それでもそれと同時に、人々は調査報道に期待を寄せている。だから、私たちはその期待にどのように応えるのか道を見いださなければならない」

 米国では、マスコミ批判が根強い中にあっても、調査報道への期待は大きく、NPOと既存マスメディアとの協働の形の模索が続いている、といえそうだ。

アメリカン大学のチャールズ・ルイス教授=2012年6月12日、米ワシントンDCで
 アメリカン大学のチャールズ・ルイス教授によれば、調査報道NPOは(2012年春ごろ時点で)全米に60あり、このうち55は2006年以降に発足した。その予算総額は8500万ドル(68億円)になる。一時は75の調査報道NPOを数えたが、そのうちいくつかは資金欠乏などで消滅に追い込まれた。3~4年前(2008~2009年)に見られたような調査報道NPO設立の「爆発的ブーム」は終わり、現在は「ほぼ落ち着いている」という状況となっている。いくつかのNPOは、支援する人々のコミュニティーを形作ることができ、生き残りを確実にしているが、そのほかの将来はよく分からない。全体として見れば、調査報道NPOは、以前とは比べものにならないほどに社会に受け入れられ、新聞社など既存のマスメディアにも受け入れられている。

 私たちが米国の調査報道NPOとの提携に乗り出す方針を固めた今年(2012年)6月の時点で、米国はそんな状況にあった。

■調査報道強化のために

 こうした米国の事情を私たちは参考にした。日本の新聞社のために働く私たちであっても、米国の新聞社がやっているのと同様に、調査報道NPOと力を合わせ、紙面にプラスの影響を与えることができるのではないか、と考えた。

 ただし、私たち朝日新聞の場合、米国の既存マスメディアの多くとは少し事情が異なる。米国の新聞社の多くがそうであるように、構造不況で自前の調査報道チームを削減しなければならなくなったから、外部に力を求めた、というのではない。むしろ実態は逆である。

 朝日新聞は近年(2012年時点でそれまでの数年間)、一貫して「調査報道を強化する」という方針を掲げており、現に、調査報道に専従できる記者の数を増やしてきている。2006年4月には、政治、経済、社会などの部の垣根を取りはらって調査報道にあたる組織として「特別報道チーム」を新設し、それは現在の特別報道部に引き継がれている。

 また、自前で調査報道をやるのと同じくらい、あるいは、それ以上に、海外の調査報道NPOと共に作業することには手間ひまとコストがかかる、というのが事実であり、決して提携そのものが省力化や効率化に資するわけではない。

 私たちが調査報道NPOと提携したのは、単に外部の力を借りようと考えたからではない。新しい刺激を受けて触発され、事前には思いもつかなかったような「化学反応」が起こるのではないか。新しい手法を学び、新しい情報源につながることができるのではないか。ひいては、より良いジャーナリズムを創り出すことができるのではないか。そう期待したから外部の機関と提携しようと考えた。テーマにしても、情報源にしても、取材手法にしても、これまで私たちには手つかずだった領域に幅を広げ、私たちの調査報道をより強化できると考えたから調査報道NPOと提携する方針を決めた。

 この6月12日、提携について話し合うため、私たちは、ホワイトハウスの近くにあるICIJの事務所を訪問した。

■取材資料で裏付けを確認

ICIJのマリナ・ウォーカー・ゲバラ副事務局長=2012年6月12日、米ワシントンDCで
 ICIJは、調査報道NPOの老舗とも言える存在で1989年にルイス教授が創設した「センター・フォー・パブリック・インテグリティ」の国際報道部門にあたる。実績の面でも、取り上げる取材テーマの面でも、相手にふさわしいと考えた。

 ICIJはそのとき人体組織の取引の実態解明に取り組んでいた。ウクライナ、ドイツ、韓国、米国などの記者たちが半年余りにわたって取材し、データを蓄積し、原稿ができあがろうとしていた。

 私たちは7月にかけて、原稿案だけでなく、関係者のインタビューの記録や情報公開制度で得た資料などについても、ICIJから提供を受けた。その総量はファイルの数にして200弱に上り、容量にして300メガバイトを超えた。私たちが問い合わせた疑問点に関する返答は数時間以内にICIJの担当記者から送られてきた。このようにして朝日新聞側で原稿を翻訳・編集し、裏付けを確認することができた。また、朝日新聞側で日本国内の規制について取材した。それらをあわせて7月19日の紙面は作られた。記事の解禁日はICIJが指定し、私たちはそれに従った。

 朝日新聞側がICIJの取材に貢献する場面もあった。世界保健機関(WHO)が、移植や医薬品製造に利用する人体組織に世界共通の番号(コード)をつける制度を検討している事実が朝日新聞側の取材で明らかになり、その記事は7月20日の朝日新聞だけでなく、英訳されてICIJのウェブサイトにも掲載された。

ICIJのジェラルド・ライル事務局長=2012年9月28日、米ワシントンDCで
 ICIJのジェラルド・ライル事務局長は9月28日に私のインタビューに対し、朝日新聞との提携について次のように振り返った。「世界最大級の新聞の一つと提携できたのは、たいへん光栄で、前進だ。なかでも私たちが好感を抱いたのは、あなたたちのプロフェッショナリズムだ。単に原稿を受け取るだけでなく、私たちに内容を問い合わせ、私たちがやったのと同じように事実関係をチェックし、自分たちでも取材して独自の情報を見つけてきた」

■新しい何かを外部に求める

 報道機関の記者はもともと、外部の組織や人にできるだけ近づき、それら外部の人たちによる「取材」の成果を摂取し、記者自身の吟味と追加取材を経て記事をまとめ、それを発信するのを常としている。

 たとえば、警察や検察の捜査で明らかにされた刑事事件の事実関係について、新聞は記事にしている。国税など調査機関、行政機関、企業、労働組合などについても同様である。それらの組織に記者は肉薄し、それら組織から流れ出てきた情報をもとに記者は多くの記事を書いてきている。

 これをさらに広げ、たとえば、内部告発者や非営利組織に情報を求めていくことにも私たちは努力してきた。組織の内部で隠されていた不正を調査報道で暴くには内部告発の力が必須といっていいし、いくつかの非営利組織は斬新な視点の問題提起を続けており、大切な取材先となっている。

 報道の独立性と客観性を保つため、それら取材相手との間に一線を引き、一定の距離を置くことはもちろん必要だ。が、その距離をどの程度のものにするかはバランスの問題である。警察組織との間に置くべき距離と、保護すべき内部告発者との間に置くべき距離はおのずから異なっている。

 調査報道NPOとの関係もそんな私たちの取材活動の延長線の上に位置づけることができる。そして、ジャーナリズムの倫理の順守をうたうICIJのような調査報道NPOについては、一線を引いてさえすれば、距離を小さくして「提携」に踏み込んでもバランスは保たれると私たちは考えている。

 現在、新たなテーマについて、ICIJと朝日新聞の記者たちは共同で取材にあたっている。それが第2弾の記事に結実するかどうかはまだはっきりしない。しかし、今後も、これまで日本の新聞界にはなかった新しいスタイルの報道として、私たちは、こうした試みを積極的に進めていきたい。

ICIJとの提携に基づく第2弾の記事として2013年4月5日の朝日新聞朝刊社会面に掲載された記事