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インドネシアで日本人弁護士は何を感じ、何をしているか

池田 孝宏

インドネシアで日本人弁護士は何をしているか

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
池田 孝宏

池田 孝宏(いけだ・たかひろ)
 2005年3月、東京大学法学部卒。2006年10月、司法修習(59期)を経て弁護士登録(第二東京弁護士会)、当事務所入所。2012年5月、米国Northwestern University School of Law (LL.M.)修了。2013年9月、ニューヨーク州弁護士登録。2015年5月から当事務所ジャカルタデスク設立に伴いジャカルタにて勤務。2016年1月、当事務所パートナー就任。
 私は2012年9月からインドネシアのジャカルタに駐在している。最近では当事務所も含め、日本人弁護士がアジア新興国など海外で勤務することが増えてきている。

 本稿ではインドネシアの日本人弁護士の生活やインドネシアの特徴的な点について紹介したいと思う。

 インドネシアでの業務

 日本国内で企業法務を専門に取り扱う法律事務所であれば、そこの弁護士はある程度専門化している(専門家であることが求められる)。大きく分けて、M&A等のコーポレート、ファイナンス、労働法、知財、訴訟紛争、倒産、税務等に分かれている。しかし、インドネシア(および他の海外拠点)での日本人弁護士に関して言えば、広く浅く、いわゆる何でも屋であることが求められる。クライアントからみれば、インドネシアにいる日本人弁護士は、インドネシア法務に関しては何でも知っていることが期待されているように思う。だから、日本の実務ではあまり触れていなかった分野については日本法の文献を参考にあらためて勉強する必要がある。お陰で私も今では企業法務の一通りの分野について勘所が掴めるようになってきた。

 とはいえ、我々日本人弁護士は現地法をアドバイスする資格を付与されていないため、資格を有するインドネシア人と協働することが必要となる。法令はインドネシア語で記載されているし、政府機関が発行する書類等もインドネシア語のものが多いため、基本的にはそれらを英語に訳してもらうことになる(なお、オランダ統治下の1847年に制定された民法典はいまだにオランダ語が原文である)。ちなみに、インドネシア人弁護士は総じて日本人弁護士よりも英語が達者であるような気がする。学校教育、言語としての類似性、英語文化の普及によるものであると思われる。

 このように書くと、インドネシアにいる日本人弁護士は、要はクライアントとインドネシア人弁護士のコミュニケーションのサポートをしているだけではないかと思われるかもしれないが、そう単純ではない。法的なバックグラウンドをもって、クライアントである日本の会社が知りたいことや求めていることを、法的な言葉でインドネシア人弁護士に伝えることが必須である。逆に、インドネシアでの異なる法制度の仕組みを日本法との相違点を指摘しながら日本の依頼者に説明すると理解してもらいやすい。

 最も困るのは、日本法の法律概念に相当するものがインドネシア法上存在しないという場面である。一例として、民法の対抗要件(効力発生要件と同様に考えられている)、無過失責任、消滅時効の起算点、プライバシーの保護、損害保険の物的責任等の概念がない(または、著しく欠如している)。概念としてないものを外国人に説明して理解してもらうのは想像以上に大変である。

 休日の過ごし方

 周辺国(シンガポールやタイ)に比べ、ジャカルタの余暇の過ごし方は難しい。これといって楽しいことがない。東京であれば、書店巡り、ショッピング、食べ歩き、スポーツ観戦、映画鑑賞、ドライブなどが考えられるが、ジャカルタでは難しい。そこで、単身赴任者(特に男性)の場合、最もポピュラーなのはゴルフである。筆者の印象では、少なく見積もっても男性駐在者の過半数はゴルフをプレーする。ここでプレーするというのは月に複数回ラウンドをするという意味である(なお、駐在者の中には年間100ラウンド以上をこなす強者もいる)。クライアントであったり、大学の同窓会であったり、弁護士や会計士の同志であったり、ゴルフを名目に参集するのが(飲み会をするよりも)集まりやすい。

 当事務所は、シンガポール、タイ、ベトナム等、ASEAN諸国に拠点があるため、まとまった休日を利用して、それらの各国を訪問することもある。夏はインドネシアの祝日でまとまった休日があったので、バンコク(タイ)、プノンペン(カンボジア)およびビエンチャン(ラオス)を周遊し、現地の法律事務所を訪問した。

 イスラム教の影響

 インドネシアは国教ではないが、人口の8割以上がイスラム教徒であり、日常生活でもイスラム教の影響が色濃く現れている。

 まず、イスラム教では豚肉やアルコールは不浄とされ、禁止されている。したがって、日本のようにコンビニやスーパーで大々的にお酒が売られていたり、どのレストランにもアルコールが置いてあったりするということはない。一応ビールだけは国産のビール(ビンタンビールという)があり、中華街や日本食レストランでは飲むことができる。豚肉については、日本から現地に進出してきた博多ラーメンのチェーン店でも豚骨ラーメンを提供しない店舗がある(代替品として鶏ガラスープを使っている)。そのため、日系企業が現地で食品を製造する場合でも、イスラム教の教義に則った食品であることについて専門機関から認定を受ける(ハラール認証を取得する)ことも行われる。

 また、毎日に複数回、祈りの時間がある。特に早朝の祈りは重要で、毎朝4時台に近くの礼拝堂(モスク)から礼拝の呼掛け(アザーン)が大音量で流れてくる。モスクは一定間隔ごとに町中に設置されており、どこにいてもアザーンが聞こえる。赴任しはじめの頃は毎朝目が覚めてしまったが、今ではすっかり慣れて、ニワトリの鳴き声や小鳥のさえずりと同じようなものだと思えるようになった。また、敬虔なイスラム教徒は、業務時間中でもお祈りをする。イスラム教徒の弁護士と同じ執務室だった時に、ある時刻になったらおもむろに床に敷物を敷き、ドアを閉め、メッカの方向に向かってお祈りを始めたことがあり、最初は驚いた。また、自宅に同僚を招いてホームパーティをした時も、部屋を貸してくれ、メッカの方角はどっちだと聞かれた。毎週金曜日の正午は男性のイスラム教徒は集団礼拝を行うため、どこのオフィスや工場でも昼休みが長く設定されている。

 さらに、毎年一年に一ヶ月間、断食月がある。断食といっても絶食ではなく、日の出から日没までの間の約12時間だけ飲食(や喫煙)が禁止される。唾を飲み込むことも許されないので、道端で唾を吐いている人をよく見かける。筆者も経験のため何度か断食にトライしたことがあるが、喉の渇きが一番辛かった。また、みんな日が昇る前に起きて(お腹いっぱい)食べる必要があるため、寝不足になりがちである。ということで、断食月の間は、夕方の会議は入れにくいし(朝から飲料を控え喉が渇ききっているインドネシア人弁護士に喋らせるのは酷である)、寝不足等のため業務の生産性が落ちるし、いろいろ苦労することもある。

 また、いいニュースではないが最近ではイスラム国(IS)の影響もある。本年(2016年)初めにはジャカルタ中心部でイスラム国の影響を受けた者によるテロがあり人々を震撼させた。イスラム国帰りの複数の戦闘員がジャカルタの空港で逮捕されたというニュースが流れたこともある。今でも警察や軍が掃討作戦を行っており、治安の維持が望まれるところである。

 文化・風習(渋滞と汚職)

 その他、インドネシアについて特徴的なのは、交通渋滞と贈収賄(汚職)である。

 とにかく交通渋滞が酷い。公共交通機関がない(に等しい)。したがって、一定以上の所得水準の人は毎日の通勤にほぼ自家用車を使うため、通勤時間帯は大渋滞になる。ジャカルタ州も様々な対策を講じている。以前、「3イン1」という制度があり、オフィス街の目抜き通り10キロ前後にわたり、通勤時間帯は1台に3名以上同乗していないと進入できないというルールがあった。しかし、手数料をもらって同乗し、頭数を増やすことを仕事とする者(いわゆるジョッキーと呼ばれる)が現れ、制度として機能しなくなっていたため、廃止された。最近新しく「偶数奇数ナンバー制」というルールができた。これは、自車のナンバープレートの数字が偶数の車は偶数日しか通行できない(奇数は逆)というルールである。今のところ厳密に運用されているようだが、規制対象となっている道路以外の周辺道路(迂回路)に大渋滞を引き起こしており、果たして効果があるのかは不明である。同じような町の発展度の都市で、空港から市内への足として鉄道がない都市はジャカルタくらいではないだろうか。

 次に、贈収賄に関して、インドネシアで最も汚職が蔓延していると揶揄されるのが警察と裁判所である。数年前に、当時の憲法裁判所長官が収賄で逮捕された(しかも現行犯)というニュースが流れた時は呆れてしまった。取締りの強化等で徐々に改善されつつあるものの、まだまだ司法の信頼性が乏しいと言わざるを得ず、契約書の作成で紛争解決機関の条項を定める際にはインドネシアでの裁判ではなく、(第三国での)仲裁を選択することが多い。

 最後に

 今後も日本企業による海外進出が続く限り、我々日本人弁護士のアウトバウンド業務は増え、法律事務所や弁護士の海外進出も続くと思われる。より実務に則したアドバイスを提供できるように、法制度や法律のみならず、その国の文化や人々を理解することが我々のような外国法に携わる弁護士にも必要であると考えている。