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イタリア企業買収で日立製作所が巻き込まれたトラブルの教訓

Stephen Givens

本当の犠牲者はヘッジファンドではなく、日立だ!

 

外国法事務弁護士・米NY州弁護士
スティーブン・ギブンズ(Stephen Givens)

Stephen Givens(スティーブン・ギブンズ)
 外国法事務弁護士、米ニューヨーク州弁護士。ギブンズ外国法事務弁護士事務所(東京都港区赤坂)所属。
 東京育ちで、1987年以降は東京を拠点として活動している。京都大学法学部大学院留学後、ハーバード・ロースクール修了。
 日本企業に関わる国際間取引の組成や交渉に長年従事している。

 日立は本当に気の毒だ。

 2015年、日立製作所はイタリアの上場鉄道会社Ansaldo STS(「STS」)の株式の40%を、筆頭株主であるFinmeccanica社(「F社」)から一株9.50ユーロ、総額761,000,000ユーロで買った。買収発表直前の株価は一株9.00ユーロだったので、約0.50ユーロのプレミアムをつけたことになる。イタリアの会社法は、EU企業買収指令の原則に従って、上場会社の株式の30%以上を取得する買収者に対して、「義務的公開買い付け(必須TOB)」という形で、他の株主に対して最低同じ価格で買い取るオファーを与えることを義務付けている。この法律に従い、日立はSTS社の残りの株主に対して、義務的TOB(株式公開買い付け)をかけ、それらのSTS株を一株9.50ユーロで買うオファーを行った。

 この法的義務を果たして、STS買収案件は無事に終わったはずだった。が、日本の寛容なコーポレートガバナンス文化に慣れ親しんでいたであろう日立が予想していなかった罠があった。実は、STS社の株主名簿に、賢いヘッジファンド数社が載っており、その合計持分は30%を超えていた。F社がSTS社40%の持ち分を高値で売却する可能性に備え、ヘッジファンドはSTS株を買い集めた。F社のSTS株売却は予想通り実現したが、プレミアムがわずか0.50ユーロだったためヘッジファンドは満足しなかった。

 その後ヘッジファンドは義務的TOB価格を釣り上げるために、一株9.50ユーロは不当に「安すぎる」、少数株主を犠牲にする日立とF社の間の「陰謀」の結果だというストーリーを仕立て上げ、イタリアの裁判所に訴えた。そして裁判所外でも、日立が悪者であるとの主張をPRし続けている。事実と義務的TOB関連の法律を客観的に分析すると、ヘッジファンドのクレームの根拠は十分ではないが、同時に日立が相手にとって都合の良い攻撃材料を下手に残したことも否定できない、と私は考える。異なる法律文化が衝突した事件として興味深い事例だ。

 日立が一株9.50ユーロの義務的TOBを発動した直後、2社のヘッジファンドはイタリア証券取引監督当局であるCONSOBに異議申し立ての手続きを開始し、日立に対して価格設定に関わる資料の提出を求めた。日立がこれに従って提出した資料の中に、事務局が取締役会への説明資料として作成したパワーポイントが含まれていた。これはまさにヘッジファンドがみずからに有利な主張をするために求めていた類の資料だった。

 これによると、STS株の買収と同時に日立はF社からAnsaldo Breda (「Breda」)という非上場赤字車両メーカーを買う取引を行った。Bredaの業績が悪いため、買値は36,000,000ユーロ、つまりSTS株総額の20分の1、に設定された。不運にも、日立の社内資料にはSTS株とBredaの売却は「パッケージ・ディール」である、と記されていた。しかも、もしF社が持つSTS社株が単独で競売にかけられたとしたら、一株12ユーロで落札されるだろうという予測も書かれていた。ヘッジファンドはこの「証拠」をもとに、日立とF社の陰謀によって設定された一株9.50ユーロという価格は不当な安値であると主張した。CONSOBは、この主張と「証拠」に基づき、Breda価格の36,000,000ユーロの大部分をSTS株価に充当させた。そして、CONSOBの命令により、義務的TOB価格は一株9.50ユーロから一株9.90ユーロへと約4%引き上げられた。

 社内資料に含まれていた「問題発言」が明らかにされていなければ、このような結果になるとはとても思えない。「問題発言」が実際には事実と異なることを理解すると、さらに歯がゆい。説明資料に用いられた「パッケージ・ディール」という言い回しは、STS株とBredaを包んで、合わせて一定の価格で売るという契約内容ではなかった。また、仮に競売で売ったらいくらで落札するかの話は、STSのような上場会社の場合、全く憶測に過ぎない。上場会社の株は常に市場において「競売」されている。実際の市場株価は単なる憶測より正確である。おそらく、日立の資料作成者が取締役会に一株9.50が「お買得」であることを説得するために加えた仮定の話に過ぎないと想像する。

 皮肉なことに、ヘッジファンドの本国であるアメリカではEU型の義務的TOBを義務付ける法律は存在しない。もし土俵がアメリカだったら、ヘッジファンドには立場はない。なぜなら、アメリカの証券取引法または会社法は、上場会社の株の流動性を最優先にしている。もしも上場会社の株式の30%以上を特定の株主から購入しようとする買手に、それによって自動的に全ての株主から同じ価格で会社の株式の100%を買う義務が発生するとしたら、資金コスト等を考慮し、もとより30%を買うことそのものを断念する可能性が高い。また、アメリカでは特定の株主のみから特定の株価で株を購入する取引が、他の株主に対する「差別」である、あるいは正義に反するとは認識されていない。

 仮にEUの義務的TOB法に含まれる全ての株主に対する「平等待遇権」が正しいとしても、日立に対する攻撃は不当だと私は思う。というのは、ヘッジファンドはF社が得た一株9.50ユーロと同等な株価ではなく、裁判で「陰謀論」を利用してまでも一株9.50ユーロを大きく上回る株価を狙っている。CONSOBはすでに義務的TOB価格を一株9.90ユーロに引き上げる命令を言い渡しているが、ヘッジファンドはこれに満足せず、裁判所に上告し、一株15.00ユーロ、つまり日立がF社払った額の1.6倍、が「正しい」と説得しようとしている。これと同時にヘッジファンドは特別なウェブサイトを作り、日立が少数株主の権利に反するコーポレートガバナンス違反者であるとの主張を繰り広げ、さらにプレッシャーをかけている。

 グローバル環境に積極的に地盤を広げようとする日本企業にとって、日立の苦い経験から学習すべきポイントはなんだろうか?

 日立が巻き込まれたトラブルの原因は、海外における環境と日本国内の環境の違いを過小評価していたことだったと思われる。例えば、事件の直接的な原因となった取締役会への説明資料の作成者は、日本の法律と慣習を前提にして、まさか海外の証券取引監督当局の命令によって書類が公にされるとは考えが及ばなかっただろう。また、日本国内で「上場子会社」という仕組みを利用して複数の事業を無事に営んできた日立は、海外でも対象会社を丸きり100%買わずに、少数株主を残した場合に発生しうるリスクを十分認識していなかったかもしれない。ヘッジファンドに対する法廷内外の作戦も、日本国内で通用する「固い」スタイルで行うと、日立にとって不利に働くだろう。

 本当の犠牲者はヘッジファンドではなく、日立だ! このメッセージを海外のオーディエンスに有効に発信し納得させるべきだ。その準備と遂行能力がなければ、海外における大規模事業は最初から止めた方が安全だ。