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ルーキーの「努力のしかた」 バスケットボール好き弁護士から新人に

青木 俊介

ルーキーの「努力のしかた」
  ~バスケットボール好き弁護士のひとりごと~

アンダーソン・毛利・友常法律事務所
青木 俊介

青木 俊介(あおき・しゅんすけ)
 2004年3月、東京大学法学部卒。2006年3月、東京大学法科大学院修了(法務博士(専門職))。2007年12月、司法修習(60期)を経て弁護士登録。2008年1月、当事務所入所。2013年5月、米国New York University School of Law (LL.M.)修了。2013年9月からニューヨークのSullivan & Cromwell法律事務所勤務。ニューヨーク州弁護士登録。2014年9月に当事務所復帰。
 「渡邊雄太」という選手を御存じだろうか。選手というからには弁護士ではない。日本人で二人目のNBA選手である(NBAとは、世界最高峰のバスケットボールリーグである米国National Basketball Associationの略である)。

 NBA選手になった日本人の話

 法律とは全く関係ないが、まずは渡邊選手について簡単に説明させていただきたい。渡邊選手は、日本の尽誠学園高等学校の在学中にチームをウインターカップ2年連続準優勝に導き、その後米国への留学を決意。プレップスクールを経てNCAAディビジョン1(全米カレッジスポーツのトップ組織)に所属するジョージ・ワシントン大学に進学し、主力選手として活躍した後、2018年7月にNBAのメンフィス・グリズリーズと2-way契約を締結。残念ながら正式契約ではないが、2-way契約の場合は、原則として下部組織でプレイしつつ、お呼びがかかれば最大45日までトップチーム(渡邊選手の場合はメンフィス)に帯同しゲームに出るチャンスをもらえる。
 206センチの長身でサウスポー、ドライブやスリーポイント・シュートも得意。田臥勇太選手の言葉を借りれば、ブルズ黄金時代のシックス・マンであるトニー・クーコッチ選手をよりスピーディにした感じである。あるいは、ティショーン・プリンス選手に似ていると言ってもよい。

 そろそろお分かりかと思うが、筆者はバスケットボールが好きである。ついでに言うと日本人初のNBA選手である田臥選手と同じ歳である。田臥選手がいかに努力してNBAのコートに立ったのかについては、すでにいろいろなところで語られているのでここでは省略する。2004年11月、フェニックス・サンズのユニフォームを着た田臥選手がNBA開幕戦のコートに立った瞬間、テレビにかじりついていた筆者は鳥肌がたったのを覚えている。そんな筆者であるから、2018年10月に、同じく日本人である渡邊選手がNBAレギュラーシーズンのコートに立ったときは、感動と懐かしさに震えた。以来、メンフィスの全てのゲームを観るようになり、渡邊選手が得点を決めたときは一人でテレビに向かって拍手をする日々を送っている。

 しかし、筆者には2004年当時とは何かが違うように見える。もちろん、二人は身長もプレイスタイルもチームも異なるが、そういうことではない。あれから筆者が14も歳を取ったせいか?いや、それもあるかもしれないが、ちょっと違う。どうも、渡邊選手がより確信を持ってプレイをし(出場時間は短時間であっても)チームにフィットしているように見えるのである。当時の田臥選手と同じ「ルーキー」でありながら、である。

 NBAルーキーとしての渡邊選手の自覚と努力

 そう見える理由は、渡邊選手の(恵まれた体型・身体能力に加えて)努力に裏付けられた適応能力の高さにあると思う。田臥選手らが米国で挑戦してきた礎があってのことではあるが、渡邊選手は米国で一つ一つハードルを乗り越えて来た。日本の高校を卒業した後、米国のプレップスクールでの活躍が認められ、先ほど述べた通りNCAAディビジョン1に所属するジョージ・ワシントン大学に進学。そこで1年ずつ経験を積み重ね、4年生時にはチームのエースとして活躍し、所属カンファレンスのディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。カレッジ在学中にディフェンス力を磨いた理由は、それがチームのために必要だったからだ。そして今おそらく、渡邊選手は「高身長でありながら、様々なポジションのトッププレイヤーを相手にディフェンスする能力があり、必要であればカットインやスリーポイント・シュートも決められるプレイヤー」がチームから求められているということを分かっている。実際に、渡邊選手が相手選手に簡単に抜かれるところはあまり見ない。オフェンスの際は、より得点可能性の高い選手にボールを持たせるプレイをするが、自ら攻めると決めたときは迷いがない。最初の出場試合で、セカンド・チャンスから渡邊選手が仕掛けた、カットインからのスピン・ムーブとジャンプショットはまさにその良い例であり、相手選手のファウルを誘い、結果的に(フリースローではあるが)渡邊選手のNBAレギュラーシーズン初得点につながった。

 言うまでもなくNBAは厳しい世界である。最近の成績低迷のためチーム大改造中のメンフィスにあって、渡邊選手は着実に出場時間を伸ばしてはいるものの、今のところ目立つ結果を残せているわけではない。しかし、チームが自分に求めるプレイを自覚し、それができるよう努力をしている渡邊選手には迷いがないし、チーム内でも受け入れられているように見える(メンフィスのベンチを観察しているとそう見える)。求められているものを理解し、それを最高のレベルで提供できるように努力する。言うは易し行うは難しである。実際にはチームとの相性にも左右されるので一概には言えないが、これが実践できているルーキーは意外と少ないのではないか。そんな渡邊選手が本当の意味でチームメイトの信頼を勝ち取り、チームに溶け込むことができたならば、その後加速度的に成長するであろうし、またそうなってほしいと願っている。

 ルーキーとしての弁護士

 長くなったが、ここから勇気を出して、筆者が弁護士として「ルーキー」であった頃はどうであったかと振り返ってみたい。11年も前の話である。しかしつらい出来事はよく覚えているものであり、それはもう恥ずかしい限りである。ちょっとした論点に関するリサーチに対して長大なメモを作成して上司の弁護士に報告し、呆れられる。脳内に引出しがなかったため考えても分かるわけのない英文表現(2行)をドラフトするのに長時間かけ、結局ひどい出来のものを提出し、上司の弁護士に真っ赤に直される(早くネイティブの弁護士に相談すべきだった)。製薬会社を対象会社とする法務デュー・ディリジェンスにおいて、何を見るべきか(何が法的リスクか)を理解せずに臨床試験の細かい資料まで読み解くという無駄な作業を行い、時間が無くなって締め切り間際に泣きそうになる。法務デュー・ディリジェンスといえば、英文の定期傭船契約(海事法の素人が読んでも意味を理解することは困難)をひたすら読むというつらい案件もあった。今思えば、何が分からないのかというところから早めに上司と相談すべきであった。ちなみに、これらは全て勤務開始後3か月かそこらのうちに起きたことである。

 筆者も11年前は(いや、今も)やる気に満ちており、「がむしゃら」だったのであるが、残念なことに、時として求められていないことをやってしまっていたのである。あらためて考えてみると、どこか独りよがりなところがあったのだと思う。それが分かったのはよい経験であり、辛抱強く筆者を教育してくれた諸先輩方には頭が上がらない。渡邊選手ほどではないにしても、もう少し意識的にやることができればよかったとも思う。これとは対照的に、センスが良い「ルーキー」は、何が求められているかが分かっていて、求められているプロダクトを自然と提供できてしまう。今は上司として若い弁護士の指導をすることもあるが、そういう優秀な「ルーキー」弁護士を見ると感心してしまうこともある。これは法的分析能力とはまた別の(大切な)能力である。自分に求められていることは何か、客観的に見ることができるようになるタイミングが早いかどうかの問題であるが、それは早いに越したことはない。

 ちなみに、「求められていること」は、弁護士の場合は、当然のことながらお客さんの意向がまずあって、それをもとに指示を出す上司の弁護士のクセも加わる。直接お客さんとやり取りしない場合、「ルーキー」は上司の弁護士を見て動くことになるが、その弁護士のクセを見抜けないと何をしてよいのか分からず遠回りをする羽目になる。そんなときでも、最終的なお客さんの意向は何だろうかと考えてみると、自ずと答えがみつかる(こともある)。

 とはいえ、たいていの弁護士は渡邊選手のような偉業を成し遂げようとしているわけではないので、失敗も許される。はじめからセンスのよい人など稀であり、むしろ失敗しながら学んでいくのが通常であろう。幸いにして筆者が所属する法律事務所も懐が広いようであり、筆者のように不器用な「ルーキー」でもよく面倒をみてくれた。

 今年のルーキー

 渡邊選手の話に戻すと、昨年9月に開催されたバスケットボールワールドカップ2次予選において渡邊選手(及び同じく米国のカレッジで大活躍する八村塁選手)が日本代表に加入し、2連勝に大きく貢献した。日本代表の順位を引き上げ、本選出場へと希望をつなぐ結果となったのであるが、この2つのゲームを見て彼らの存在が頼もしかっただけではなく、彼らが米国でどれだけ高いレベルのプレイを要求されているのかがよく分かった。厳しい競争環境だからこそ、冷静な自覚と努力を求められるのであろう。頭が上がりません。
 そういえば、筆者が所属する法律事務所には、ちょうど昨年末に「ルーキー」弁護士36名が新たに入所した。願わくば筆者のような苦労は避けていただきたいところであるが、まあしかし独りよがりなところを直すなら若いうちかもしれないと思いながら、夜な夜なビールを片手にメンフィスのゲームを観戦する日々を送っている。