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加害と被害――戦後65年の夏に

大久保真紀

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 今年は戦後65年目の夏でした。

 一口に65年といっても、それは当時生まれたばかりの赤ちゃんがいまはすでに65歳、25歳だった人が90歳になる歳月です。この65年、日本が一度も戦争をせず、戦争でだれひとりとして人を殺さなかったのは、あの戦争の悲惨な体験があったからであることは間違いありません。しかし、戦争の実体験がある人は年々確実に減っています。体験者がいなくなると日本はどうなるのでしょうか。いずれやってくるその日に向けて、私たちは何をしなくてはいけないのでしょうか。

 私は昨年に続き、今年も8月6日、9日を広島、長崎で取材をしていました。オバマ米大統領のプラハ演説以来、核兵器廃絶への世界的な機運が確実に盛り上がっています。今年は、国連の潘基文事務総長が広島、長崎を訪問、特に広島の記念式典では「自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日(核兵器廃絶)を実現できるよう努めようではありませんか」とあいさつをしました。被爆者や市民運動をしている人たちの間には、これまで「夢」だった核兵器廃絶というものが、「実現可能な目標」になった、との声が数多く聞かれました。

 また、潘事務総長は被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなどしての学校での軍縮教育の必要性も説きました。被爆者が生きているうちにその証言を世界で継承していくということは非常に重要なことです。ですが、被爆者の証言から被爆の実相を理解してもらい核廃絶につなげていくには、日本の加害の歴史にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。89歳の元海軍兵士で、戦闘で右腕を失った高橋潤次さんは原水爆禁止世界大会に参加し、「アジアで原爆の悲惨さを訴えても『日本人がたくさん死んだのは当然。あなたたちはどれだけの人を殺したのか』などと言われる。日本人があの侵略戦争を心から反省、謝罪しないと核兵器廃絶の訴えへの共感が広まらないのではないか」と語りました。

 なぜ、韓国・朝鮮人など、被爆者に外国人がいるのでしょうか。なぜ彼らは広島、長崎で被爆したのでしょうか。その歴史にも正面から向き合わなくてはいけないのではないかと思うのです。

 戦後65年の間に、日本社会が積み残してきた問題が、いまの時代の閉塞状況につながっているように思えます。アジア、特に、中国、韓国との関係を考えても、過去の総括は、今後の日本を考えるときには不可欠ではないでしょうか。

 民主党政権になってから初めての終戦記念日の8月15日は、全閣僚が靖国神社を参拝しませんでした。靖国神社はA級戦犯が合祀されているため、閣僚らの公式参拝にはアジアの国々から反発があります。終戦記念日に閣僚による参拝がゼロだったのは、中曽根康弘首相(当時)が公式参拝した1985年以降初めてです。今年のこうした閣僚たちの行動は、日本政府の新たな姿勢を示すひとつの幕開けになるのでしょうか。

 また、今年は、日本が朝鮮半島を名実ともに植民地化してからちょうど100年にあたる年でもありました。併合条約を結んだ8月22日を前に菅直人首相が「この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」などとする談話を発表しました。しかし、こうした内容に対して「なぜ韓国だけに謝罪をするのか」「21世紀になっても謝罪を繰り返すのか」という批判が出ました。それが、いまの我が国の現状です。

 しかし、足を踏んだ側は忘れても、踏まれた側はその痛みを忘れない、ということをそろそろきちんと理解することが必要ではないでしょうか。自分の過ちや過去に向き合うのは難しいことです。しかし、事実を事実として認めることから出発しなければ、対等な関係、ものを言い合える関係は築けません。過去の総括をしないままでは、将来に、次の世代に禍根を残すことになります。いつまでも過去のことにとらわれ、次の世代が新しい関係を築く妨げになります。過去の過ちを認めるということを言うと、すぐに「自虐的だ」という人たちがいます。しかし、過去の事実を確認し、反省することは、自虐でも何でもありません。前に進むため、未来のための、ステップとしてとらえるべきではないでしょうか。

 私はこの夏、90歳の元日本兵に出会いました。

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