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porterとreporter

古西洋

古西洋

取材した人から聞いた内容や入手した情報をそのまま書くのはporter(荷物運搬人)だ。いったん手にした情報が事実かどうか裏付けをとり、どういう意味があるかを分析して書くのがreporter(記者)だ――ある先輩記者の口癖であった。インターネットに流出したテロ捜査資料をそのまま本にして売り出した出版社が、東京地裁から出版と販売をやめよと命じられた。このニュースを聞いてまず思い浮かべたのが、このことだった。今回の裁判所の決定はしかたないが、国家権力が出版を差し止めるという事態は本来、民主主義社会ではあってはならないことであり、裁判所は乱用してはならない。一方、出版や報道に携わる者としては、国家権力の介入を招くような安易な行為は厳に慎まなければならない。

 問題を整理してみよう。報道の自由や出版の自由は民主主義社会にとって欠かすことの出来ないものであることは、独裁国家をみても明らかだ。ただし、報道される側にとっては、名誉やプライバシー、肖像権を侵害されるといった「被害」を被る危険を常に伴うのも事実だ。そこで裁判所は、名誉棄損についてはその報道や出版物の内容が公共性と公益性を持っており、なおかつ真実であれば違法にならないという考え方をとってきた。

 裁判所がメディアの報道や出版内容を違法であると判断したとき、救済のやり方としては、被告メディアが原告に慰謝料を払ったり、謝罪広告を出したりといった方法がとられる。これとは別に、報道や出版をやめさせるという事前差し止めはもっとも強力な手段であり、それがゆえに例外中の例外の手段とすべきものだ。北海道知事選をめぐって雑誌の中傷記事の出版を差し止めたことの是非が争われた「北方ジャーナル訴訟」で、最高裁は1986年、(1)内容が真実でない(2)公益を図る目的でもない(3)著しく重大でひとたび出版されると取り返しのつかない損害を被る恐れがある、という基準を満たしていれば、例外的に差し止めが許されるという判断を示し、今日まで踏襲されてきた。

 今回の東京地裁決定もこの基準を適用して差し止めを命じている。

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