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阪神大震災の教訓を生かすのはこれからだ(上)

西岡研介 フリーランスライター

東日本大震災が起こってから3週間が過ぎた。

 結論から言えば、この間、16年前の阪神大震災の教訓が、ある程度は生かされたと思う。

 阪神大震災では地震発生直後、兵庫県による自衛隊への災害派遣要請が遅れたことから、政府は自衛隊法(第83条)を改定。これによって自衛隊は、震度5弱の地震発生で自主派遣できるようになり、それが今回の速やかな初動に繋がった。

 また阪神大震災以降、各自治体で災害時の相互援助システムの構築も進み、今回の東日本大震災でも、被災自治体に対する全国の自治体の救援活動が、比較的速やかに行なわれた。また電気、ガス、水道などライフラインを担う会社はもちろんのこと、各企業の被災地への支援活動の立ち上がりも早かった。

 また「ボランティア元年」といわれた阪神大震災から16年を経て、災害ボランティアも成熟した。阪神大震災では地震発生当初、「被災者のために何かしたい」というボランティアが被災地に殺到し、その尊い思いが逆に、被災自治体の活動を阻害するという皮肉な結果を生みだした。

 その反省から、今回の東日本大震災では、多くのボランティア志願者がジリジリした思いを抱えながらも、「被災地に受け入れ態勢が整うまで」と待機した。また「寝るところと食事は自らで準備する」という災害ボランティアの基本である「自己完結」の意識も相当、浸透しているようだ。

 では、メディアはどうか。新聞各紙は阪神大震災の教訓を生かし、避難所の現状や交通機関、ライフラインの復旧状況など、被災者が最も欲しい情報を伝える「支援通信」(朝日新聞)や「震災掲示板」(読売新聞)、「くらし支援掲示板」(産経新聞)などの特別紙面を立ち上げた。

 これは阪神当時、いち早く「希望新聞」という特別紙面を立ち上げた毎日新聞に倣ったもので、同紙は今回も同じタイトルの紙面で、生活情報を決め細やかに伝えている。

 また朝日と毎日両紙は震災直後から、テレビ欄が掲載される最終面を、被災地の現状や被災者の声を伝える紙面に切り替え、それは今日まで続けられている。

 一方のテレビは阪神大震災の際、高速道路の倒壊現場や、炎につつまれた被災地の様子などショッキングな映像を繰り返し放映し、中には効果音などの演出をつけた民放まであったため、被災者の厳しい批判を浴びた。

 その反省を踏まえ、今回の東日本大震災では、各民放やNHKとも地震発生直後こそ、この未曾有の大災害の規模や被害を伝えるために、津波が沿岸部の村をのみ込む映像などを放映したものの、徐々にそれらの衝撃的なシーンを放映する回数を減らしていった。それに伴い(福島原発一号機の事故に関する報道を除き)被災地の現状や生の声を、被災地の外に伝える番組や、被災者に必要な生活情報などを流す放送が日を追うごとに増えていった。

 (もっとも東京民放キー局の中には今回も、津波に押しつぶされる被災地の映像をしつこく流し続け、相変わらず「まるで映画を見ているようです」などという紋切り型のコメントで被災者の逆撫でし、果ては都内の回転寿司屋というお手軽な「現場」を選び、「今回の震災でマグロの入荷も危ぶまれています」といったピント外れなレポートで視聴者の顰蹙を買った局もある。が、ここまでくると、もはや「思慮の浅い痴れ者はいつの時代にも、どんな組織にでもいる」と諦めるしかない、と私は思っている)

 なかでもNHKは(後に触れるラジオでも)、阪神大震災、さらにはその後の新潟県中越地震(2004年)などで蓄積した震災・災害取材のノウハウを生かした多角的な報道で、地震発生直後から今日に至るまで民放各局を圧倒している。

 そして、その携帯性・地域密着性から、既存メディアの中で「災害に最も強い」といわれるラジオは今回も、安否情報や生活情報の速報などでその威力を発揮した。AM、FMを問わず、それら被災地の多くのラジオ局が、阪神大震災の時の「ラジオ関西」(神戸)の放送や地元FM、さらには震災後、神戸で生まれたミニFMの取り組みを参考にしたといい、災害時の「人の声で伝えること」の重要性を改めて認識させてくれた。

 さらにツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの発達は、「被害の大きい被災地ほど細かな情報が入りにくくなる(あるいは、伝えにくくなる)」というマスコミの構造上の欠陥を補うに余りある活躍を見せた。

 そういった意味では、

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