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「緊急時避難準備区域」川内村の自宅に戻って2週間

鐸木能光(たくき よしみつ)=作家・作曲家。福島県川内村在住

 夫婦で4月26日にようやくの思いで川内村の自宅に戻り、はや2週間が過ぎました。

 5月10日は、朝からテレビで川内村の映像が何度も流れました。

 福島第一原発20km圏内警戒区域(立入禁止)に指定され、家に帰れなくなった住民に「一時帰宅」が認められ、その初回が川内村で実施されたからです。

ずらりと並んだテレビ中継車=福島県川内村
 午前中、川内郵便局に切手を買いにいったのですが、その行き帰り、村役場の周辺に、見たこともないような数の車が集結していました。すごい騒ぎだなあ……と、車を停めてその現場を覗いていたところ、遠藤雄幸村長に会いました。

 しばらくその場で立ち話をしていたのですが、「飯を食いに行きませんか」と誘われ、その喧噪の現場から村長の運転する車で抜け出し、村内の共通の友人宅で1時間少々、二人だけで話をすることができました。

体育館の内部を2階から見下ろす。対策会議も開かれていた(左側)

 そのことなども含めて、川内村帰宅後の生活、現在の村の様子などを報告してみます。

 川内村は現在、福島第一原発から半径20kmを境界として、村が2つに分断されてしまいました。その境界線の中は「警戒区域」で、立ち入ると法的に罰せられます。

 20km境界線から外は「緊急時避難準備区域」になっています。これはどういうものかと官邸ホームページ*1)を読むと、

「緊急事態が生じた場合、政府や市町村の指示に従って『すぐに屋内に退避いただく』、あるいは『避難いただく』ために、常に準備だけはしながら、日常生活をしてください」

 ……と説明されています。また、

「緊急時には、自力での避難が前提となりますので、自力での避難等が困難な状況にある方や、お子さん、要介護者、入院患者の方は、既にお伝えしているとおり、この区域に入らないようにお願いします」

 ……ともあるので、事実上、健常な大人以外は生活ができないということになります。

 このFAQが書かれた後の4月22日に出された文書*2)では、

 

 「勤務等のやむを得ない用務等を果たすために同区域内に入ることは妨げられませんが、その場合も常に緊急的に屋内退避や自力での避難ができるようにすることが求められます」

 ……という説明になり、「常に準備だけはしながら、日常生活をしてください」からずいぶんとトーンが変わっています。政府内部でも判断が揺れていたのでしょう。

 この線引きは、川内村だけでなく、他の周辺自治体にも大混乱をもたらしました。

 津波被害と放射能被害の両方を受けてすっかり有名になった南相馬市は、市が「警戒区域(立入禁止)」「計画的避難区域(1か月以内に避難)」「緊急時避難準備区域」「無指定」の4つに区分けされてしまいました。

 ある報道では、

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