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先駆的だった下町の同潤会アパート

三浦展

三浦展 三浦展(消費社会研究家、マーケティングアナリスト)

私事ながら10月に『スカイツリー東京下町散歩』という本を上梓した。来年のスカイツリー開業をきっかけにして、東京の下町を歩いたのである。

 下町と言っても、日本橋、神田、浅草などではなく、スカイツリーの足元から東は、小岩、柴又、立石、堀切、北は日暮里、尾久、西新井などを歩いた。それらの町は時代的には、大正から昭和初期にかけて、あるいは戦後に発展しはじめた地域であり、それ以前はほとんどが純然たる農村であった。日本の近代化と共に、それらの農村は工場地帯になり、それによって住民が増え、商店が増えて、下町的な雰囲気を持っていったのである。

 だが、執筆のために下町散歩を開始するやいなや、東日本大震災が起きた。計画していた散歩もふた月ほど中断した。そして、震災で仕事を奪われ、体育館や仮設住宅で暮らし続ける被災者をテレビなどで見ていると、関東大震災後の同潤会の活動が頭に浮かんだ。

 同潤会というと、すでに建て替えられたが、表参道や代官山にあったアパートが有名であり、おしゃれな街にあるモダンな建築という印象が強い。

 しかし、同潤会アパートは、実は台東区、荒川区、江東区、墨田区といった下町にも多く作られている。理由は簡単で、それらの下町こそが震災で大きな被害を受けたからだ。再び震災が来たときのために、耐震性があり不燃性の高い鉄筋コンクリート造りのアパートが建設されたのである。かつ、アパート内では、住居だけでなく商店や集会所、共同洗濯場、図書室、職業紹介所など、人々が共同生活をするための都市的な機能も提供した。

 さらに、これも専門家にしか知られていないが、同潤会はアパートだけではなく、木造二階建てを中心とした「普通住宅」という集合住宅を尾久、東小松川などに、ホワイトカラー向けの分譲住宅を堀切などに、またブルーカラー向けの分譲住宅を千住緑町などに、不良住宅を改良した共同住宅を日暮里と猿江に建設している。そして、これらの住宅地においても、商店、集会所、職業紹介所,公園、テニスコートなどが整備されたのである。

 ところが

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