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「放射性物質への母親の不安」が不安だ

赤木智弘(フリーライター)

「親の不安」が優先されれば、親でない人の不安は見過ごされてしまうのではないか。子を持たないフリーライター・赤木智弘氏は、原発事故や放射性物質などの議論の背景にある「子を持つ親の不安」が独り歩きすることに不安を覚える。震災と事故後の日本で、貧困や格差、社会保障などの不安を忘れてはならない。

 震災の発生から約半年。地震や津波という、多くの死者や被害を生み出した災害に対する世間の関心が徐々にフェードアウトしている感がある一方で、原発事故による放射性物質の問題は、いまだに話題の中心である。

 最近では、放射性セシウムが基準以上に含まれた牛肉が学校給食に出てしまった問題や、東京でいくつかの区が、公園などの砂場の使用を禁止したという話があった。

 私が気になるのは、放射性物質の問題が、必ずと言っていいほど「子どもの問題」として語られている点である。もちろん妊婦の問題として語られることもあるが、それとてこれから生まれる子どもが話題の中心である。あまり大人が受ける放射線の害という話は聞かない。恐らくは、乳幼児の放射線に対する感受性が高いとされるためだろう。

放射線の独自測定などを求めて柏市役所に集まった母親たち=2011年6月2日、千葉県柏市役所

 子ども中心の話題ということで、こうした話題で一番の発言力を持ち、前面に出てくるのが「子どもの親」である。彼らは「親が子どもを心配するのは当然である」として、行政や社会に対して「子どもを守りたいという親の気持ちを守れ」「親の心配に対する最大限の配慮をせよ」と主張している。

◆何が規制され排除されたか

 世間的には、こうした親たちの反応は、子どもに対する愛情あふれる、とても人間らしい感情の発露として好意的に捉えられているようだ。それに対して、安全ばかりを強調する政府や電力会社、そして低線量被曝は決して危険ではないと主張する科学者たちは、子どもたちの健康を顧みない、冷酷非情な悪魔かなにかのように思われているフシがある。 私はこうした光景に不安を感じる。

 それは「冷酷非情な悪魔」に対してではない。むしろ、子どもを想う人間らしい心を持った親たちに対して、私は大きな不安と恐れを感じてしまうのである。

 なぜなら、

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