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膨張し続ける沖縄県民の憤怒のマグマ

大矢雅弘

大矢雅弘 ライター

前沖縄防衛局長の不適切発言を謝罪するため、一川保夫防衛相が12月2日、沖縄県庁を訪ねた際、仲井真弘多知事との面談が8分程度で終わったニュース映像は記憶に新しい。あの日、一川防衛相は高嶺善伸県議会議長とも面談した。高嶺議長は涙で言葉を詰まらせ、震える声で県民の怒りをぶつけた。

 一川防衛相が謝罪の言葉を述べようとした時、高嶺議長が「抗議決議を全会一致で決議した」と機先を制するように口火を切った。「沖縄では米国統治下の立法院時代に107回、県議会では359回も基地問題に絡む抗議決議を行ってきた。その中には1995年の少女暴行事件も含まれている。戦後66年間、我々の人権は踏みにじられてきた」。この日、県議会で可決したばかりの抗議決議を手渡した高嶺議長の言葉と表情が、県民の憤怒の思いの激しさを物語る。

 1995年9月に少女暴行事件が起きるや、この問題を軍隊による性暴力の問題と受け止め、最初に立ち上がったのは女性たちだった。今回も、女性たちが鋭く反応した。琉球大の阿部小涼・准教授は地元紙の沖縄タイムスの4日付に寄稿した「政府の対処自体暴力」と題する文章の中で、「記者もデスクも県知事も政治家も、自分が『犯される』立場に立って怒りを表明できていたか。なぜ、他にも埋もれた事件が幾多に及ぶというのに、いまだに1995年の事件のみを、われわれは想起するように仕向けられるのだろうか」と沖縄側の憤りの意思表示がまだ足りないと言わんばかりに、切っ先鋭く政府の姿勢を追及している。

 那覇市内で7日、前沖縄防衛局長の侮蔑発言と米軍基地の押しつけを許さない「女たちの抗議集会」が開かれた。県内の27の団体から300人(主催者発表)が赤い紙を高く掲げ、県民に対する侮辱発言、名護市辺野古への新基地建設に「レッドカード」を突きつけた。集会では、「沖縄の人が陳列された人類館事件から受け継がれた差別だ」という声もあがった。

 人類館事件は1903(明治36)年、大阪で政府主催の勧業博覧会があった際、

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