メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[4]思想と実践の交点から――柄谷行人・小熊英二(上)

二木信 音楽ライター

 柄谷行人(70歳)は東京・新宿東口のアルタ前に横付けした街宣車の上に立っていた。辺りはすっかり暗闇に包まれている。アルタ・ヴィジョンの灯りが背後から彼を照らし、東口の広場は演説を聞こうと集まってきた観衆や、新宿の夜にくり出そうとする通行人でごった返している。彼はおもむろに一枚の紙を取り出し、演説を始めた。

2011年9月11日、「原発やめろデモ」で演説する柄谷行人=東京・新宿、撮影・樋口大二

 9月11日、「原発やめろデモ」の解散地点における一場面である。筆者は、その日のデモで逮捕されているため、その場には立ち会っていない(注・事の顛末に関心のある方は以下のサイトをご参照されたい。 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111129-00000301-cyzoz-soci)。

 後日、YouTubeであの日の映像を観ながら、この演説に行き着いた。その映像で最も印象的だったのは、彼が次の一節を読み上げた時、広場を埋めた人びとから歓声が上がり、どよめきが巻き起こった瞬間だった。

 「私がデモに行くようになってからいろんな質問を受けます。しかもたいがい否定的な質問です。そのひとつは、“デモで何が変わるのか? デモで社会を変えられるのか?”というものです。私はこう答えます。もちろんデモで社会を変えることができる。確実にできます。なぜならば、デモをすることで、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです」(http://www.youtube.com/watch?v=ylWQlrHQ4Gk

 デモは社会を変えることができるのか。2011年ほどこの問いをめぐって賛否両論、さまざまな議論がなされた日々は、近年なかったのではないだろうか。

 柄谷の見方とは別に、世論は「デモは社会を変えられない」「デモには意味がない」という意見が多数派を占めるのかもしれない。しかし、果たして、本当にデモには意味がないのだろうか。

 この回では、前述した9月11日の「原発やめろデモ」で筆者を含め12名が逮捕されたことに抗議する“「デモと広場の自由」のための共同声明”を発表し、記者会見を開いてリアクションした思想家の柄谷行人と社会学者の小熊英二に取材を試みた。筆者はけっして、思想や社会学の良い読者とは言えないが、二人の言葉からは自分がこれまで聴き、また評してきたラップ・ミュージックや黒人音楽の精神と通底する、変革への意志や情熱、時代への批評性がたしかに流れていた。

 柄谷はあの日の演説を次のように振り返る。

 「デモに来ている人も実は不安を抱えていると思ったんですよ。“デモでいいのか? デモをやっているけど、もっと他に手段があるんじゃないか?”と。だから、私はああいう演説をしたんです。当たり前のことを言っただけですが、どよめきが起こりました。ああいうレスポンスはこれまで経験したことのないものでしたね。あの瞬間にはデモ参加者との一体感を感じました」

 さらに、60年の安保闘争以来、約50年ぶりに日本でのデモに参加した心境を率直に語ってくれた。

 「原発をこれだけつくることを許してきてしまったことに、ある面で無力さを感じ、また責任を感じたのです。それはもちろん対抗運動側の責任です。私は実践の面で諦めているところがありました。理論的にやるほかない、と考えていたのです。だから、原発事故以降、反原発デモが始まったことは私にとって喜ばしいことでした。ほとんど予期していなかったことでしたから」

 では、60年代後半を頂点として盛り上がった新左翼運動の歴史を仔細に描いた大著『1968』(新曜社)の著者である小熊英二(49歳)は3月11日以降の反原発デモをどのように見ているのだろうか。

・・・ログインして読む
(残り:約1455文字/本文:約3019文字)