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いじめと呼ぶな暴力と呼べ

澁谷知美

澁谷知美 東京経済大准教授(社会学)

 この記事で提案したいことはただ一つである。すでに言い古されていることだが、暴力を「いじめ」と呼ぶの、もうやめませんか。ひらがな3文字が醸しだす“ゆるふわ感”と、集団でなぶり殺しにする、自殺の練習をさせる、クラスみんなで葬式ごっこをする、人前で自慰を強要する、むりやり下半身の写真を撮影してネットに上げる、などの「いじめ」の暴力的内容との間にギャップがありすぎる。

 名前は重要だ。ある行為をなんと呼ぶかで人々の認識が変わり、対応が変わる。かつて「しつけ」と呼ばれた行為は虐待と名を改められた。犬も食わないとされていた「夫婦ゲンカ」はDV(ドメスティック・バイオレンス)と呼ばれるようになった。「上司のおたわむれ」とぼんやり捉えられていた行為はセクハラ(セクシュアル・ハラスメント)に、「イッキ飲みをさせる」としか表現しようのなかった行為はアルハラ(アルコール・ハラスメント)という名を与えられた。そして、行政による防止啓発や、学校や職場での防止教育がなされるなどしている。場合によっては警察が動くこともある。

 「いじめ」をたとえばスクール・バイオレンスなどと呼んではどうか。英語圏にすでにある言葉だ。銃による教師・生徒の大量虐殺(スクール・シューティング)や、生徒から教師になされる暴力もふくむ広い概念だが、概念が広いことはたいした問題ではない。暴力の名を与えることが重要なのだ。「けんかと判断した」(「いじめ」で生徒が死亡した大津市の中学校長発言。『毎日新聞』2012年7月15日)などという言葉がいいわけとして通用する事態を許さない概念づくりが必要だ。けんかも暴力である。

 「いじめ」が暴力と名ざされることによって、すくなくとも次の2つの問題構成の再編が起こり、解決へと近づくと考えられる。第1に、「いじめ」問題を、ダメな個人の心理の問題から、教育の制度設計の問題へと再編できる。

 「いじめ」研究の第一人者・内藤朝雄は、いじめの心理が発生する原因として、生徒たちを閉鎖空間に閉じこめて強制的にべたべたさせる学級制度のありかたを指摘する。だから、学級制度を廃止してしまえと内藤はいう。たとえば、大学では固定的なクラスがなく、人間関係を自由に選択することができる。人間関係を閉鎖的なものから、風通しのよい流動的なものに変える(『いじめの構造』講談社現代新書)。

 「正論だけど、現実的でない」という感想を抱く人も多いだろう。じっさい、Amazonのレビューでそういう意見を散見した。そんな感想をいっている間は、「いじめ」撲滅に本気でないのだな、と私などは思うが。

 第2に、ダメな個人の心理問題から、暴力行為の問題への再編である。それにより、(1)生徒に伝えるべき防止メッセージがシンプルかつ効果的になる、(2)警察の介入が容易になる、ことが期待される。

 (1)日本では暴力行為を「いじめ」と呼びならわし、その解決策を、やはりひらがな3文字の「こころ」方面へと集約させる習慣を長らくつづけてきた。たとえば、新潟県が作成した資料は、

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