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生活の中からの反原発・脱原発

大久保真紀

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 これが、豚だろうか。

 東京・西麻布の閑静なフレンチレストラン。黄色のテーブルクロスの上に出されたビール煮を食べると、牛肉にも似た食感で、こくのある味が口の中に広がりました。ソテーはふつうの豚肉に比べて、焼き色がよくついていて香ばしい。この時期は、豚がびわを食べているので豚肉に含まれる糖分が微妙に高いからだ、とシェフが教えてくれました。冬は、肉を食べると、みかんの香りがするそうです。

 この豚は、瀬戸内海の西部に浮かぶハート形の島、山口県祝島で、氏本長一さん(62)が耕作放棄地で放牧して、育てているものです。

 島に行って、氏本さんと放牧地に行くと、100キロはあろうかという豚たちが木々の間から声を上げて駆けてきました。触ると毛が硬い。あのふわふわした豚の感じとは異なります。顔を豚につけても、臭いも全くしません。この豚たちは、しっぽもぶらんと垂れ下がって長いのです。ふつう豚はしっぽがくるんとまるまっていると思っていましたが、あれはストレスでかみ合うからしっぽを人工的に切っている結果だそうです。

 私の豚の概念を全く覆してくれた豚たちでした。

「ストレスがないから健康に育つ。なあ、ブー」

氏本さんは豚たちを撫でながら話しかけます。

畑で傷んで出荷できなかったビワを食べる豚たち。この季節の肉は、糖度が上がるという

豚は猛烈な勢いで鼻を地面に突っ込み、土を堀り上げます。硬い木の根なども掘り起こしてしまいます。雑草だらけだった荒れ地の再生にも一役買っているそうです。整地できた土地は耕作地に戻したい、と氏本さんは考えています。

 祝島は周囲12キロ、人口500人弱の小さな島です。

 その島で出る残飯が彼らのエサ。ほかに畑でとれすぎた野菜やびわなどが与えられています。いまでは自分で畑でできた余りもの作物を持ってきてくれる島の人もいます。まさに季節、季節で異なるエサを食べ、島の中で育まれている豚なのです。残飯の量はほぼ決まっているので、30頭が適正な飼育規模です。

 ふつうの養豚では、たくさんの人工飼料をやり、6~7カ月で100キロに太らせ、出荷されます。それに対して、氏本さんの豚は100キロになるのに1年半かかります。月に1、2頭、船で本土に運び、食肉処理をしてもらい、冒頭の東京のレストランなどに出荷しています。

 祝島は、古代から海上交通の要所として栄え、万葉集にも詠まれています。戦後は、公職追放となった岸信介元首相が一時身を寄せた地でもあります。夕食のおかずや取れすぎた野菜、魚をやりとりする穏やかな島です。

しかし、1982年に、対岸4キロの本州側の上関町での原発建設計画が明らかになり、島は真っ二つに割れます。血縁さえも分断する激しい対立が起こりました。

 中国電力などの働きかけは島の有力者たちを狙いました。建設に賛成したのは島内の約1割。農協、漁協、婦人会など

氏本さんが放牧地に近づくと、豚が一目散に突進してきた
の幹部が推進の旗を振りました。農協組合長などを務めた氏本さんの父、九市さんはその長を務めました。

 一方、島民の9割は「海と山があれば、金がなくても生きていける」と反対しました。氏本のいとこで、松江の会社を辞め、漁協職員としてUターンした山戸貞夫さん(62)が反対運動の先頭に立ちました。山戸さんは予定地内の土地の共有地化をはかり、総額10億円を超える漁業補償金を拒否する漁民をまとめてきました。反対派の結束は30年たっても変わらず、毎週月曜夕の島内デモはいまも続いています。本州側の上関町は多くが原発建設賛成という中、祝島は上関原発反対の牙城です。

 広い大地に憧れ、北海道の帯広畜産大に進んだ氏本さんは、稚内市役所に入り、農務課で畜産を担当しました。44歳で、第三セクターの宗谷岬肉牛牧場で3千頭を育てる牧場長になります。エサの内容などをすべて明らかにするトレーサビリティの取り組みを全国に先駆けて実施し、注目されました。狂牛病の問題が起こったときも、どこもみな牛肉の売り上げを落とす中、宗谷岬肉牛牧場の牛肉は支持され、通常通り出荷されていました。それは、情報を公開していたからで、消費者と直接つながっていることの大切さ、手応えを氏本さんは感じた、と言います。

 一方で、大牧場の牧場長をしていることには、

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