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誤認逮捕・起訴、明日は我が身に

河合幹雄

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 真面目に暮らしていても、誰でもが犯罪被害者になる可能性が出てきたことにより、犯罪数は減少しているのに、安全神話は崩壊した。私は、そう指摘してきた。これと類似したメカニズムにより、今回の、パソコン遠隔操作のせいで普通の大学生などが幾人も誤認逮捕され起訴までされた事件は、今後の刑事司法に大きな影響を与えると予想される。真面目に暮らしていても、誰でもが誤認逮捕され人生を狂わされるかもしれないとなれば、警察と検察に対する目は厳しくなる。警察と検察は、もはや真面目な市民の味方ではなく警戒すべき対象となる。

 もう少し詳しく説明しよう。誤解を恐れずに言えば、冤罪は、これまでもあったが、その対象となる人は、「疑われやすい人々」であった。捜査が暗礁に乗り上げたとき、この付近でこんなことするやつは、こいつらだろうという目星をつけて、「オマエダロ」と尋問して自白させるのが、これまでの冤罪パターンであった。したがって、冤罪被害者は、素行不良の例が少なくなく、一般の人々にとって、これは自分たちの危機とは感じられなかった。今回の冤罪被害者たちは、夜遅くに繁華街をうろついたり、悪い連中とつきあったりしていたわけではない。それなのに疑われたのは、IPアドレス追跡の結果だけであった。

 関連した要素をさらに検討しておこう。誤認逮捕と報道されているが、問題は誤認逮捕にあるわけではない。大きく報道されることがないため、誤認逮捕はこれまでなかったと誤解されていると感じる。統計はないと思うが、

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