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原発メーカーの責任を問う

大久保真紀

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 11月10日、東京都内で、福島の原発事故に関連した原発メーカーの責任を考える集いがありました。この日は同時に、モンゴル、韓国、日本、台湾、アメリカ西海岸の市民たちが、国際的に連帯して行動する「No Nukes Asia Action(反原子力アジア行動)」を発足させました。彼らは、原発メーカーの法的責任を追及するとともに、その問題、責任を知らせる運動や署名活動を進めていきたいと、記者会見しました。

 事務局長の崔勝久さんは、日本のメーカーらによって台湾で建設されている第4原発の問題、秘密裏に進められている使用済み核燃料をモンゴルに運ぼうとする計画などについて指摘し、「原発を輸出させない、モンゴルに廃棄物をもっていかせない、ということを全世界にアピールして協力していきたい」と意気込みを語りました。「いろいろ難しい問題があるが、このまま放っておいていいのか。メーカーは何の謝罪も,反省もなく、また世界に原発に売り込んでいる。抗議して運動していきたい。裁判を通してメーカーの責任を明確にしていきたい」と話しました。

 原子力損害賠償法では、第4条で原子力事業者以外は原子力損害による賠償の責任は問われないと定められています。同時に、原子炉の運転などに生じた原子力損害については製造物責任法、いわゆるPL法の適用はされない、とも定められています。つまり、東芝、日立、三菱重工などの原発メーカーはどんな事故が起こっても、現時点では賠償責任がないということを意味します。

 それが影響しているのか、官邸前の金曜デモも各地の再稼働反対を訴える抗議行動も、政府や東京電力などの電力会社に向けられているもので、人々の意識の中にはメーカーの責任を問う発想があまりないのが現実です。しかし、そうではない、原賠法で守られた形の原発メーカーの責任も問うていかなくてはいけないのだ、ということを確認するのが、この日の集会の趣旨でした。

 あれだけの事故を起こし、日本では将来は原発をゼロにしようという機運が高まっているにもかかわらず、原発の輸出は進めようとしています。日立が英国の原発メーカーを買収することも最近明らかになりました。2030年に原発をゼロにするという国の政策と、海外に原発を輸出するということは本来なら両立しないはずです。

 NNAAの設立会見に先立ち、「原発体制と原発メーカーの責任」と題する講演会がありました。

 福島県出身のジャーナリスト鈴木真奈美さんが、2006年に定められた国の原子力立国計画で、人材、技術を維持するために原子力輸出を推進するとされたということを報告しました。日本の原発建設は1990年代初めにピークを迎え、その後は徐々に減ってきています。今年の夏も結果的に原発なしで乗り切れましたが、電力需給のバランスから、それほど増設しなくてもいい状況が影響してのことだと鈴木さんは言います。さらに、電力市場の自由化への圧力が国内外からかかり、立て替え、新設は抑えられ、40年とされていた原発の寿命も、福島原発事故前は60年とするという方向になりました。新規建設がほとんどない状況では、技術や人材の継承が困難になります。その技術や人材を継承するための方策が、輸出の推進なのだ、と鈴木さんは指摘しました。

 原発の輸出問題は、原子力の平和利用、つまり国際法上の核拡散防止(NPT)体制とも深く関係しています。米国は原発の運転を縮小しても国際法上、核兵器を持つことを許されています。つまり、核の技術を持ち続けることができます。しかし、核兵器の所持できない日本の場合、原発をゼロにすることはそれはイコール核の技術を手放すことになります。米国は日本の協力のもと、核の拡散を防ぐ,反対に言えば、米国ら限られた国だけが核兵器を持ち続けるために他国の核の平和利用を進めるというNPT体制をしいてきたという歴史もあり、日本の原発問題は米国との関係も色濃く影響しています。鈴木さんは、国内の原子力政策の見直しは、それにとどまらず、原発の輸出問題、NPT体制についても議論をする必要がある、と力説しました。難しい問題だけれど、とにかく議論していくしかない、というのが鈴木さんの主張でした。

 鈴木さんの次に登場したのは、国会事故調の委員を務めた田中三彦さんでした。田中さんはかつてバブコック日立で原子炉の設計をしていました。1974年、田中さんは福島第1原発の4号炉の製造に関わりました。圧力容器の断面が法規の求める真円度を満たしませんでした。本来なら作り直すべきですが、

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