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「いわゆる南京事件はなかった」河村発言、あいまい表現の責任

小島一彦

 今年は日中国交回復40周年の節目だが、両国間の亀裂は広がり、修復の兆しが見えない。石原慎太郎前東京都知事が4月に尖閣諸島を都が購入すると発言したのを機に、中国側が猛反発。その後、政府の国有化表明により中国各地で大規模な反日デモや暴動に発展し、両国民の観光だけでなく、経済的にも大きな打撃を双方が受けている。

河村たかし名古屋市長

 尖閣諸島の問題で最近、少し影が薄くなっているが、河村たかし名古屋市長の南京事件発言問題があったことを記憶にとどめている人も多いのではないだろうか。尖閣諸島問題も、たびたび日本の領海を侵犯する中国漁業監視船などの行動に目が奪われ、そもそも、この問題に火を付けた石原発言を取り上げるメディアは少ないように思う。

 ここでは石原発言の前にあった河村発言と、その後の経過を中心に考えてみたい。日本語の持つあいまいなレトリックはしばしば国際社会で思わぬ波紋を呼ぶことがあるようだ。

 河村発言の発端はこうだ。今年2月20日、名古屋市役所に中国共産党の南京市委員会幹部を迎えた河村市長は、1937年の旧日本軍による南京攻略に触れて「通常の戦闘行為はあったが、南京での(大量虐殺)事件はなかったのではないか」と述べた。その上で「真実を明らかにするため、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。

 河村氏の発言は、名古屋市の友好都市である南京市の幹部に向ける発言としてはふさわしくないし、唐突感は否めない。しかし、河村氏が南京虐殺に触れたのは、この日が初めてではない。2009年9月にも市議会の答弁で「(犠牲者が)30万人という説に深い疑問を持っている。教科書も一方的に書くのはあかん」と述べている。河村氏は衆議院議員だった06年にも政府に質問趣意書を提出し、教科書に記載された虐殺の根拠や政府見解を尋ねている。

 河村氏の「深い疑問」の根拠となっているのは、父親の敗戦体験にある。敗戦を南京で迎えた父親が「現地の住民にラーメンの作り方を教えてもらったり、農家から野菜をいただいたり、温かくもてなしてもらった」という。河村氏は「いわゆる南京(大虐殺)事件があったら、なぜそれほどまでに日本軍の人にやさしくできたのか、理解できない」と語っている。

 09年の市議会答弁の時は、中国側の反発もなく、

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