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兵庫県小野市の「生活保護とパチンコ条例」を見過ごすな!

水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授

 神戸市のベッドタウンで人口5万人の小さな市。特徴といえば「そろばんのまち」という兵庫県小野市が全国でも前例のない条例を定めようとして弁護士や自治体職員、社会活動家らの間に大きな波紋を広げている。与えたインパクトの大きさに比べ、マスコミ報道が少ないことには違和感を覚える。

 問題となった「小野市福祉給付制度適正化条例案」は、生活保護を受けている人がパチンコなどをするのを見つけたら通報するように求める内容だ。生活保護ばかりか母子家庭を対象とした児童扶養手当を受給している人なども、パチンコや競馬、競輪などのギャンブルで浪費したり、不正受給の疑いがあったりする場合、市当局に通報することを「市民の責務」と明記する。報道によると、ギャンブル以外に、極端な飲酒や過剰な買物も通報の対象と考えられているという。

 生活保護制度を長年、取材や研究の対象にしてきたが、この極端な条例案のニュースには、心底、驚いた。生活保護受給者については「行状」が問題にされることが多いため、世間話レベルではこの種の“極論”を主張する人に出くわすことはある。しかし、まさか本当に法的拘束力を持たせて明文化しようとする自治体が登場するとは……。衝撃だった。 

 これは児童扶養手当を受けている母子家庭や生活保護を受給する人たちなどへの露骨な「差別」といってよい。

 テレビで生活保護について何度も報道してきた経験でいうと、生活保護について報道すると、必ずと言ってよいほど「近所に不正受給の人が住んでいる。取り締まってほしい」などの”通報”が視聴者から寄せられる。よくよく聞くと、中身は、(生活保護を受けているのに)「出前をとっていた」「ブランドの服やバッグを持っていた」「タクシーに乗るところを見た」「飲み屋にいるところを見た」「異性関係にだらしないことを知っている」などという<その通報者が考える”生活保護受給者のあるべき姿”とは異なるふるまいをしていた>という話が大半だ。むしろ、他人の私生活の中身を、これほど細かくチェックする通報者の側にこそ、特異な執着心や病的な傾向を感じる場合も少なくなかった。

 生活保護を受けていても、保護費の範囲内で「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条に定められる「生存権」)はある。それが現行の憲法および生活保護法の姿勢だ。支給されたお金をどう使うかは個々人の問題だ。たまには酒を飲んだり、たまにはきれいな格好をしたり、たまにはタクシーを利用することだってあるだろう。そのどこまでが適当な範囲かは主観的な判断に委ねられるところだが、事情があってタクシーを利用したり、個人的に誰とつきあおうが他人から口出しされるべきことではない。しかし前述した視聴者のように、生活保護受給者(あるいは、受給者と思われる者)の一挙手一投足が気になり、監視したがる人が存在する。

 生活保護や福祉制度からお金を得ることが、欧州などと違い、国民の中で「権利」として位置づけられておらず、「肩身の狭い」「ありがたくいただく」存在にとどまっている日本の現状を痛感させられる。

 誰が生活保護を受給しているか、児童扶養手当を受けているか、ということはきわめてプライベートな情報だ。もちろん公開されていないし、役所も秘匿する義務がある。それなのに「あの人は生活保護受けているくせにパチンコに行っていた」などという通報が頻繁にマスコミや役所に寄せられる。過去に私が取材した母子家庭の母親は「回転寿司に行っていた」と通報され、ネットの掲示板にも顔写真入りで書き込まれていた。非寛容な人たちはたまに回転寿司を食べる息抜きさえ許そうとしない。

 一般の人がパチンコをしても問題にされないのに、受給者がパチンコをした場合だけ、通報の対象になる。生活保護法は「無差別・平等」を原則としているというのにー。

 見方を変えると、ギャンブルというものへの差別でもある。パチンコなどは誰もが楽しめる健康的な娯楽として合法だったのではないのか。生活保護受給者がやってはいけない害悪だと判断されるならば、韓国のようにパチンコの方を非合法化するのが筋ではないか。同じ人間でありながら、生活保護を受けているかどうか、児童扶養手当をもらっているかどうかで、楽しんで良い人、ダメな人が存在する、などというのは、生活保護受給者層、あるいは、児童扶養手当受給者層への「差別」でなくて何であろうか。

 一般論としてこうした差別を容認する人たちは、税金から生活保護などの手当を受け取っている人を「あっち側」の人間とみなし、税金を支払っている自分たちを「こっち側」とし、明確に区別

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