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筑紫哲也が生きてたら安倍報道に何を言う

水島宏明

水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授

 安倍首相とメディア、特にテレビとの蜜月ぶりがこのところ気になる。メディアの人間たちが安倍のことを好きだろうが嫌いだろうが私の知ったことではないが、時の宰相に対する、メディアとしての「距離の持ち方」に強い違和感がある。

 読売新聞が4月15日に大きく掲載した安倍首相単独インタビュー。96条改正を手始めとする改憲への意欲が記事の核になった。憲法改正を社論として掲げ、安倍ら保守政治家と関係浅からぬ読売新聞らしいといえば「らしい記事」だった。だが、それ以上に問題ありと感じたのは安倍の「ソフトさ」「ヒューマンさ」を強調するテレビ番組だ。

 4月18日、日本テレビの朝の情報番組「スッキリ!」のスタジオに予告なく安倍首相が現れて生出演した。最後は「スッキリ!」の出演者たちがやる足を広げて両手を伸ばすポーズまでやったらしい。番組では加藤浩やテリー伊藤らが、安倍首相の挫折体験などをうんうんと聞き、さらにTPPや保育所の待機児童問題などを質問して、首相の「解説」を聞いて相槌を打っていた。そこでは憲法改正に関する突っ込んだ質問はまったく出てこない。終始笑顔を浮かべていた安倍首相は1時間ほどでスタジオを後にしたが、同番組は翌日もこの舞台裏をVTRで特集したほどのはしゃぎぶりだった。「一国の総理が自分たちの番組に出てくれた」という興奮と得意げな表情が伝わってきた。

 TBSの「情報7Days ニュースキャスター」も4月6日、安倍首相の単独インタビューをVTRで放送した。女性レポーターが官邸に取材に行くと、安倍首相自らが官邸内を案内してくれるサービスぶり。話のメインは安倍が前の首相在任中に突然、政権を投げ出した後の「挫折の日々」の体験談。思考を整理するため考えを書きつけたノートのエピソードなど彼が人間としていかに成長したのか、再チャレンジに向けて努力したのか強調する番組だった。首相が通っていた小学校の新1年生や首相夫人のインタビューも登場し、いわば安倍を持ち上げたヨイショ番組だと言って良い。そこには番組の名の「ニュースキャスター」という名称にふさわしい知的な要素、ジャーナリズムとしての役割は皆無だったと言ってよい。

 日テレもTBSも憲法改正などの難しい話には触れずに人柄や私生活に焦点を当て、時の首相が独占的な取材や出演に応じてくれたと大はしゃぎだった。

 2つの番組を見ながら、私は1月に放送された別の番組を思い出していた。BS-TBS「筑紫哲也 明日への伝言~『残日録』をたどる旅」(1月27日放送)。5年前にがんとの闘病の末に死んだ元朝日新聞記者でTBSのニュースキャスターだった筑紫哲也の軌跡を追ったドキュメンタリーだ。

 筑紫がキャスターを務めたニュース番組に現職宰相、福田康夫を呼んだ時のこと。もともと2人は個人的に親しい間柄だったが、筑紫はジャーナリストとして権力者に対峙するため、生放送で厳しい質問を次々浴びせた。福田の顔が不快感のあまりみるみる憮然としていく。その福田が後で「ジャーナリストだからね」と納得顔で答えていた。友人であっても権力者とジャーナリストは緊張関係を持つという社会的な役割分担。時の権力者にこそ、もっとも厳しい質問を投げかける。そんな当たり前のことをやり通せたテレビキャスターはもはやいない。

 筑紫はオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の直前、TBSがオウムに取材VTRを見せていたことが発覚した後で「TBSは死んだ」と言い放った。もし筑紫が今も生きていて彼が最後までその立場にあった「ニュースキャスター」という名を冠した番組を見たならばいったい何と言っただろうか。

 TBSのジャーナリズムは死んだままで再生していないのではないのか。

 もっともテレビのジャーナリズムが死んだ状態なのは

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