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快進撃と呼ぶのは錦織に失礼かも

稲垣康介 稲垣康介(朝日新聞編集委員)

 錦織圭について触れるにあたり、彼に立ちはだかる両雄の、歴史に残る死闘から始めたい。
 全仏オープン男子シングルスで準決勝。4連覇をめざしたラファエル・ナダル(スペイン)と世界ランキング1位、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)の一戦は4時間37分に及んだ。6―4、3―6、6―1、6―7、9―7。勝ったのはナダルだった。
 いつもこんな感じだ。勝負への執着心という点で2人は世界の双璧といってもいい。
 勝利の女神は気まぐれだ。ほんのわずかな心のスキを見せるとそっぽを向いてしまう。真の負けず嫌いしか生き残れない。どの競技でもそうなのだが、一対一でコート越しに打ち合うテニスはその流れが観客、視聴者にもわかりやすい。
 そんな世界に生きている錦織の負けず嫌いも相当なものだ。テニスに限らず、家族と遊ぶトランプゲームでも、ボウリングでも勝ち負けにはとことんこだわる(そしてテニスと同じく、終盤に強い)。
 錦織は今回、日本男子では1938年の中野文照以来、75年ぶりにとなるベスト16に進んだ。4回戦はナダルとの対決だった。
 私はナダルとの2008年の初対決を鮮明に覚えている。ウィンブルドン選手権の前哨戦として名高いロンドンのクイーンズでの大会だった。錦織が1セットを奪う善戦を見せ、ナダルは「将来はトップ10、いやトップ5も狙える才能」と錦織の将来性を高く評価していた。
 一流は一流の才能を見分けられるのだろう。錦織は右ひじ手術による長期離脱などの試練を乗り越え、世界ランキング15位で今回のパリの舞台に挑んだ。
 正直、ベストの錦織ではなかった。ファアハンドのショットに

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