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若い法曹を合格させてから鍛えろ

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 大学院を強制的に整理しようという案が提出されている。当初の考えでは、日本社会の将来像を考えれば、グローバルスタンダードに合わすためにも、規制緩和自由競争で、行政による事前指導型から司法による事後解決型の社会にする。そのためには世界レベルで人口当たり最少の法曹数を念頭においても年間3千人を育てるということであった。どこで間違えたのだろうか。司法を使わない企業社会が悪いのか、弁護士に領域開拓の努力が足りないのかといった議論がなされている。新人弁護士は、新領域開拓どころではないのだから、従来からある仕事領域をあてがい一人前になってもらい、腕利きの弁護士を新領域開拓に差し向ける仕組みがないと、この構想の実現は無理ということを他稿で指摘した。自由競争に任せていては、目標達成はできないということである。今回は、法科大学院問題を意識して、使える弁護士の教育という観点から述べたい。

 対象を刑事領域に限れば、実務で大切なことは間違って有罪の判断をしないことと、適切な量刑をすること、そして結果だけでなく当事者達が納得や満足できるプロセスである。ところが、新司法試験は、刑法、刑事訴訟法のみが試験科目である。犯罪学や、証言者の心理学、犯罪者の更生などを学ぶ刑事政策が有用だと思うし、被疑者、被告人、被害者、その遺族などとどのように接すべきか、また、法廷での弁論技術も磨きたい。しかし、これらは学ばれていない。それどころか、法科大学院学生相手にアンケートすれば、そのほとんどは松川事件の名前さえ知らないし、現在の最高裁長官の名前を言える学生も1割にとどかない。何を教えているであろうか。

 刑法学者達は、残念ながら犯罪についても犯罪者についても素人同然の人が多数派をしめており、刑法理論に勤しんでいる。確かにドイツの刑法理論は、おもしろく研究価値はある。彼らの研究者としてのレベルの高さは疑いの余地はない。しかしながら、学者養成はともかく、実務家の教育者としては、不適格ではないかと考える。司法試験は、必要以上に刑法と刑事訴訟法の理解を求めている。むずかしい事件に遭遇すれば

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