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日本メディア史における自由報道協会とは何か

久田将義 TABLO編集長

 自由報道協会を、僕はマスコミ史上における一種の現象として捉えている。だから、現在、ネットメディア等で批判の嵐にさらされている元代表理事の上杉隆氏について、その責任と影響は大きいものの彼の批判に終始するつもりはない。彼については「上杉隆」という記号として考証した方が健全で冷静な検証が出来ると感じている。余り個人の批判をしても、この時期は既に意味のないものになっている。

 なぜなら、ユーストリームやニコニコ生放送で放送されたが、僕も取材し、本を著した福島第一原発事故報道に関する、彼の杜撰さや記事捏造疑惑は、毎日新聞斗ケ沢秀俊記者や編集者・映画評論家の町山智浩氏らの対論によって、今ここで改めて論じるまでもないほど明らかになったと思っているからだ。

 さて、自由報道協会というものが発足すると聞いた時は、フリーランスのライターがこの不況の中ゆえ、マネタイズできる術や集合する事により情報の共通化などが可能になり、より快適な取材活動をする為に作られたものなのかな、と感じていた。

 また閉鎖性を言われる記者クラブ解放を訴えるようでもあり、基本的には記者クラブ解放について賛成側の僕としては、好意的な目で見ていた。現に、今は辞めているが元理事だった友人のフリーライターに結成パーティ(と呼ぶかは置いておく)に呼ばれていた。

 軽い気持ちで「出席OK」の返事をしたのだが、突然用事が出来て行けなくなってしまった。あの時、僕はまだ社員編集者だったので、自由報道協会に入る事はなかっただろうが、もしフリーだったらそのライターに対する友情から入っていたかも知れない。

 自由報道協会の内部情報は入ってくるのだが、興味はない。公共性がないと判断しているからだ。簡単に言ってしまえば「コップの中の嵐」を論じる事に意味はないと思っているという事だ。

 自由報道協会に対して、異変を感じたのは小沢一郎氏会見だった。読売新聞記者の質問の仕方がおかしいと、上杉隆氏、岩上安身氏とそのほか、ユーチューブで確認した限りでは三、四人いただろうか、記者一人を取り囲んで、正に「つるし上げ」状態を見た時だった。

 その記者がどういう人だかは知らない。もしかしたら

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