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アスリート安藤美姫をとやかく言うのはまだ早い

青嶋ひろの フリーライター

 「オリンピックを目指している選手は、全てを捨ててスケートしてるんですよ。友達と遊ぶことも、恋愛も……ふつうの人たちがしていることを全部我慢して、ひたすら練習して、やっと目指せる場所なんです」

 ある日本の、フィギュアスケートコーチの言葉。7月1日、安藤美姫の告白を受けての言葉である。

 アスリート、それもオリンピックシーズンを前にした世界チャンピオンの妊娠・出産。世間で起こっている(ように見える)下世話なプライベート暴きには、もう耳をふさぐしかない。しかし安藤美姫が真に立ち向かわなければならないのは こうした声なのかもしれない、と思った。

 筆者はフィギュアスケートいうスポーツを、約10年取材してきた。2003年から女子、05年から男子のトップスケーターたちに話を聞き、ロングインタビューという形でまとめる仕事を毎年続けてきている。

 2003年に話を聞いたメンバーは、村主章枝、荒川静香、恩田美栄、中野友加里、太田由希奈、安藤美姫、浅田舞、浅田真央の8人。彼女たちのうち安藤と浅田真央には、今年11年目の取材をさせてもらった。

 今シーズン話を聞いているのは、男女合わせて22選手。彼ら、彼女らは、まったく同じ競技に打ち込む選手でありながら、スケートに対する考え方も、キャラクターも、ひとりひとりがまったく違う。そして個々人の性格や意思がそのまま、氷上の演技スタイルにもつながっている。それがいちばん楽しくて、興味深くて、ひとつの競技だけを10年も追い続けてしまった。

 彼らの語る言葉、特にそれぞれに違う「がんばり方」に、違和感を覚えたことは一度もない。誰もが全日本でトップ10に入る一流のアスリートたちだ。それぞれの考え方があっていい、と思った。

 とにかく自分はスケートしかできないから、と、遊び歩くこともせず、毎日をリンクと自宅の往復だけでストイックに過ごす選手たちもいる。安藤のように友人も多く、恋人も作り、人々に支えられながら辛い日々に耐える、そんな自分のスタイルを大切にする選手もいる。あるいは、他のトップスケーターのような「努力の仕方」が自分にはわからない、と率直に語ってくれる選手さえいた。

 オリンピックシーズンを目前に控えたこの夏も、それぞれの立場の選手がそれぞれの「がんばり方」で、冬を迎える準備をしている。年齢も幅広く、高校生になったばかりのあどけない選手たちから、20代も後半の大人達まで。彼らの焦燥も、マイペースも、がむしゃらも、クレバーさも、やはりどれひとつとして否定したくない、そんな思いを、またこの夏も感じている。

 そんな筆者も、実は安藤美姫の妊娠を知るまでは、「2年も実戦から離れて、どうなってしまうのだろう?」「毎年コンスタントに試合に出ている選手の強さには、かなわないかもしれないな……」などと、少し感じてしまっていた。

 フィギュアスケートの選手寿命が長くなった今、気力や体力を長続きさせるには、休むこともとても大切だ。安藤は、ケガや病気など、止むに止まれぬ事情ではなく、「休息を取りたい」という理由で競技活動を停止した、おそらく日本で初めてのトップスケーターだ。

 一方海外では、半年、あるいは1年2年、競技から離れてアイスショーなどに出演し、再び現役選手として復帰する例はかなり多い。日本でももっとそんな打ち込み方が増えていいと思うのだが、ストイックな選手が多いこの国では、安藤の休息はまだ「珍しいやり方」と見られてしまうようだ。

 「2年も休んで」「恋愛してる暇があるなんて」

 そんな声のさなかにあって、しかし安藤美姫も、自分のやり方をもがきながら見つけたひとりだ。スケート以外のことに使う時間も大切にして、大事な人と過ごす時間も楽しんで、オンとオフのメリハリをつけて、スケートにも打ち込む。そのやり方が一番自分に合っていることを、長い競技者人生のなかで彼女は見つけた。それはおそらく、ストイックな努力型スケーターと同じくらいの苦しい試行錯誤を経て掴んだ、他に前例のない、彼女だけのやり方だ。

アイスショーでほかの出演者と演技する安藤美姫(右から2人目)。右は荒川静香=2013年7月6日、マリンメッセ福岡アイスショーでほかの出演者と演技する安藤美姫(右から2人目)。右は荒川静香=2013年7月6日、マリンメッセ福岡
 そんなやり方でも、競技者として立派に氷の上に立てること。それをこれから、安藤は自身の身体で証明してみせなければならない。対マスコミでも対野次馬でもない、氷の上での彼女の一番大きな戦いは、もうすぐ始まる。

 彼女もそのことは、よくわかっているようだ。おむつを替えたり、お乳を与えたり、てきぱきと母親業をこなす姿を見て、「かっこいいね」などと囃したてると、「これでちゃんとスケートができたら、かっこいいかもしれないけれどね!」などと笑っていた。

 結果を出せば、きっと認めてもらえる――そんな思いで、アイスショーでもきちんと跳べるところを見せようと、これまでになくジャンプの練習に真剣に取り組んだ。

 母親であることに決して甘えることなく、「ちゃんとスケートをする」、そのことでこそ、自分の生き方を認めてもらえるように、渾身の努力を続けているところだ。

 ある夜、彼女は愛娘に、スマートフォン

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