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町田樹の挑戦(上)――「プログラム作り」へのこだわり

青嶋ひろの フリーライター

 フィギュアスケート・グランプリシリーズは、早くも3戦が終了(11月7日現在)。オリンピックシーズンの大事なスタートダッシュにおいて、現在のところのMVPは町田樹と鈴木明子といったところだろうか。

 まずは高橋大輔、小塚崇彦というビッグネームとともに出場しながら、いきなりスケートアメリカで優勝。一気にスターダムに踊り出た町田樹という選手を紹介してみたい。 

グランプリシリーズ、スケートアメリカ(アメリカ杯)でSPの演技を終え、ガッツポーズをする町田樹 =2013年10月18日、アメリカ・デトロイトグランプリシリーズ、スケートアメリカ(アメリカ杯)でSPの演技を終え、ガッツポーズをする町田樹 =2013年10月18日、アメリカ・デトロイト
 こんなことを書くと彼はいやがるかもしれないが、ジュニアのころの町田は、フィギュアスケートの芸術性などというものに、あまり頓着しない少年だった。

 「僕がスケートで好きなのは、ジャンプです! 踊りがうまいって言われてますか? でも、踊りで拍手をもらうよりも、ジャンプでお客さんが沸いたときのほうがうれしいな。だから他の人のスケートを興味を持って見ることも、ほとんどないですね。海外の選手だって、ランビエール選手くらいしか知らないですし(笑)」(2006年のインタビューより)

 これはなかなか、興味深いコメントだった。なぜならすでにそのころ、氷上の彼は華奢な身体で、驚くほど情熱的に舞っていたからだ。

 今とは違い、当時のジュニア男子など、ジャンプを跳んでなんぼの世界。そのなかで、気持ちよく高い跳躍を見せつつ、情感たっぷりの「アランフェス協奏曲」や、少年の繊細さをむきだしにした「白鳥の湖」を滑っては、「彼こそはポスト高橋大輔!」と注目されていたのだ。そんな彼が、「スケートを見てもあまり興味が湧かない」と。

 音楽が鳴ると自然に踊り出し、人の注目を浴びるのが大好きな、生まれながらのエンターテイナーである高橋大輔とも、また違う。自分は表現している意識などないのに、自然に人を惹きつけてしまう、なんとも不思議なスケーターだったのだ。

 そんな町田の話が少しずつ変化し始めたのは、大学2年生のころ(2009年)。

 「僕、ちょっと考え方が変わったんですよ。今までの自分は凄く愚かで、あんまりスケートを見てこなかったんです。スケートは自分で滑るだけで、試合もショーも、見るのはあまり好きではなかった。あまり興味が湧かなかったんです。でも最近は……けっこう見るようになった! やっぱりちょっと、大人になったのかな(笑)。ちょっとずつスケートに興味を持ち出した……というか、自分のスケートをもっと広げたい、と思うようになった。これからは芸術面もアップさせて、みんなに僕のスケートを見て欲しいです!」

 これは面白くなったな、と思った。もともと「魅せるスケーター」に分類されていた彼、無意識のうちにパフォーマーぶりを発揮していた彼が、本気で見せることに目を向け始めたのだ。そこから彼の「プログラム作り」へのこだわりは、どんどん増していくことになる。

 たとえば

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