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「責任をもって止まる」の先にしか、自動運転の未来はない

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 昨秋に東京で開催された「CEATEC」「ITS世界会議2013東京」「東京モーターショー」のイベントと、その広報をトリガーとして世はすっかり自動運転が実現するような雰囲気にある。とりわけGoogleが取り組んでいるがゆえに、IT周辺の議論の中に、「自動運転は近々に実現するということなので」を当然の前提とした話をよく聞くようになった。そのことに対する適切な解釈の仕方は、すでに拙稿「“全自動車”はGoogle Carのように簡単ではない」(2013年09月13日)に簡潔に記したとおりであるが、過熱報道が収まった2014年2月現在、あらためて世の情報を整理してみると、やはり自動車の運転制御が現代社会でなかなか難しい(技術ではなく)合意事項なのだということがはっきりしてきたように見える。

 さる11月に、マツダの試乗車で自動ブレーキ機能が作動せず、負傷者を出した。現時点では自称有識者を含む一般人に「自動運転の信用に疑問」の一報になったものと思われる。そのこと自体は追って技術的に改善・解決されていくことだが、問題は、自動ブレーキはどういう仕組みで動いていて、どういう仕組みで自動運転にレベルアップし、どういう仕組みで人や自分を殺してしまう可能性があるのか、について知らないと使えない代物だ、ということだ。

 筆者は「ITS世界会議2013東京」で自動ブレーキ機能や障害物を自動で回避する機能をほぼ各社実体験したが、この際に受けた説明として、作動対象の速度は限定されること(おおむね5~40km/h)、雨や雪という光線の障害物には極端に弱いこと、ぶつかる対象物が突然出現する出会いがしらの衝突や、並走して寄ってくるなどの想定外方向からの衝突には対応できないこと、検知できても止まるための距離が残されていなければぶつかるしかないこと、などの課題が残されている。

 システムが万全を期さねばならないとなれば、搭載する自動車の価格は高騰する。これらの制御システムは、このタイミングで市場に出すために、レーザーでなくてカメラ、カメラを広角でなく単眼、カメラの数も減らす、などシンプルな機能に仕立て、カメラがこなせる他の安全支援機能(車線逸脱の注意喚起など)と足し合わせて、一般車に対して10万円程度のオプション価格を実現させている。現時点の法体系と社会習慣の中で、
上記のイベントにおいて自動車メーカー各社の説明員が言えることは、「当面は運転者の補助です」でしかない。

 この運転者補助という点では、すでに警察が高齢運転者の事故を少しでも減らそうとする試みとして推奨する流れにある。警察ではすでに高齢者の運転事故を防ぐ目的で免許証の返納を勧める中、それでも山間部在住で自動車が必要な高齢者に対して、一部の警察ではこの自動ブレーキ(衝突被害軽減ブレーキ)搭載車を積極的に進める動きを見せている。また国交省は4月以降、この衝突被害軽減ブレーキを含む各種安全運転装置の性能評価を自らテストし、公表する予定だ。

 昨年、既にトヨタや三菱自動車は、止まらなくてもいいところで止まってしまうトラブルについてリコールを届け出ているが、たとえ変なところで急ブレーキがかかってしまっても、止まってしまえば運転手の責任は回避でき、あとは追突なりにまきこまれるとしても、それは他の運転手の安全運転義務違反だ。「責任をもって止まる」の先にしか、自動運転の未来はない。何もかもの完成形を求めるのではなく、まずは自分の安全運転義務をまっとうできる「強制停止」と上手につきあう習慣を体になじませる、ということが必要だ。

もちろん、近未来の運転制御の具体的なイメージや政策目標は公表されて

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