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[13]官僚独裁

永尾俊彦 ルポライター

失敗を認めたくない国

 諌早湾干拓の排水門が開門されるはずだった2013年12月20日、雲仙普賢岳がうっすらと雪化粧をし、寒風吹きすさぶ諫早湾の南岸の干潟で、長崎県雲仙市瑞穂町の漁師、室田正徳さん(41歳=連載(1)で紹介した室田和昭さんの長男)は、芽流れのために生育しなかったノリ網をたたんでいた。

 網目には2~3センチで生育が止まったノリが縮こまり、あるいは網目からノリ自体がすっかり脱落している。

「開門記念日」に芽流れした網をたたむ室田正徳さん(左開門されるはずだった2013年12月20日の「開門記念日」に、芽流れした網をたたむ室田正徳さん(左)
 正徳さんのノリ漁場は、潮受け堤防の排水門から5キロほどの所だ。諫早湾・有明海のノリ漁民の中で最も排水門に近い。

 排水されると、潮受け堤防内部の調整池の排水門から汚濁水が海面を「すべってくる」。排水は淡水なので比重が軽く、比重の重い海水となかなか混じり合わず、海水の上を流れてくる。排水は黒茶色なので見て分かる。

 この排水にノリ網が洗われるとノリの生育が止まったり、芽が網から脱落してしまう。

 だから、「開門」によって調整池に海水が出し入れされるようになれば排水も浄化される、と正徳さんは期待してきた。

 父親の和昭さんは芽流れの現場の写真を撮り、2013年12月6日に農水省で江藤拓・農水副大臣に開門を要請した際に見せたが、江藤副大臣は一通り眺めただけだった。

 10月に種付けをした「秋芽ノリ」は、本来なら12月20日時点で3回摘んでいるはずなのに、今季はまだ1回も摘んでいない。

 この後、種付けした後に冷蔵庫にしまってある冷凍網を張るが、種付けの時点で芽流れしていた網もあり、冷凍網も期待できそうにない。

 諌早湾が閉め切られる前、正徳さんの属する瑞穂漁協だけで100軒以上あったノリ漁家は、今は室田さん父子の1軒だけになってしまった。ノリ漁という一つの生業が、まさに地域から消えようとしている。

 「判決を守らず、ダダこねてれば通るなら法律なんていらん」

 本音では開門したくない農水省の態度は、正徳さんには「ダダをこねている」ように映る。そして、その理由を「国も県も、この干拓は失敗だったと認めたくないんでしょう」と推測している。

事業失敗をゴマ化す数々の布石

 確かに、正徳さんが言うように、もし開門することになれば、7キロもの長大な潮受け堤防で諫早湾を閉め切り、2533億円もの巨費を投じたこの事業は一体何だったのかと農水省の責任が厳しく問われることになる。

 福岡高裁の確定判決は、2008年6月の佐賀地裁の判決を支持したものだ。そして、今から振り返ると、農水官僚はこの佐賀地裁判決の時点からすでに将来の「開門」というこの干拓の失敗を天下にさらすことになる同省にとって最悪の事態を避けるための布石を打っていたことが浮かび上がる。

 佐賀地裁判決は、「堤防閉め切りの前後で諫早湾などにおける赤潮の年間発生期間などが増えたが、その原因を特定できるほどに科学的知見の集約が行われていない。閉め切り前のデータが不足し、有明海の環境変化と疫学的な因果関係を認めることは困難」としつつも、「もっとも、諫早湾内とその近場の環境変化との因果関係は相当程度の蓋然性の立証はなされている」として、「中・長期の開門調査以外に潮受け堤防の影響に関する観測結果と科学的知見を得るのは難しく、これ以上原告側に因果関係の立証義務を求めるのは酷。国が中・長期の開門調査に協力しないのは立証妨害と言っても過言ではなく、訴訟上の信義則に反する」とまで国を非難した。

 そして、「判決を契機に、速やかに開門調査が実施され、適切な施策が講じられることを願ってやまない」という異例の付言をした。

 これに対して、当時の若林正俊農水大臣は控訴する方針を示したが、「自然との共生」が持論の鳩山邦夫法務大臣(自民党衆院議員・福岡6区)が、「開門調査をすべきだ」として控訴に反対した。国の裁判は、法務大臣権限法で法務大臣が国を代表するとされている。

 結局、開門のための環境アセスメント(影響評価)を行うことを条件に控訴することで両者は妥協した。

 しかし、その「妥協」の理解が両者で食い違っている。

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