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循環型社会の構築は都道府県主導で実現を図れ

大矢雅弘 ライター

 「ひと山ふた山み山越え……」と炭坑節に歌われる福岡県の筑豊は香春岳のふもとに広がる田川地区で、ごみ焼却施設の建設をめぐって異例の事態になっている。この地区でいま、ごみ焼却施設が新たに三つ造られようとしているのだ。地区の人口は約13万人。既存施設を加えると焼却施設は4カ所になり、人口約150万人の福岡市と同じ数になるといえば、その異常さが伝わるだろうか。

 かつて筑豊最大の炭都として栄えた田川市は前市長時代の2000年、周辺5町(現在は合併で3町)と共同のごみ処理施設を建てることで合意し、田川市の白鳥工業団地での建設に向けて始動。01年には田川地区清掃施設組合が発足した。

 ところが、03年、伊藤信勝・現市長が、白鳥工業団地での建設撤回を公約に掲げて初当選したことで、計画は迷走し始める。候補地はその後、二転三転し、12年には単独での建設に走り出す町が出るなど、組合は分裂してしまった。

 伊藤市長がかつての公約を破る形で、13年10月になって、田川市がごみ焼却施設を白鳥工業団地に決めたことから、住民の間では、市単独ではなく周辺3町との共同建設の道を探る声がにわかに高まってきた。
川崎町の住民団体「住民のためのより良い『ゴミ処理施設』をつくる会」の試算によると、1市3町で共同建設すれば、今後20年間で建設費で36億9千万円、整備補修費で12億2800万円、人件費で16億8千万円もの抑制ができるという。

 さらに人口減少が今後30年でさらに加速し、田川地区の現在の人口13万人は30年後には10万人を切るとのデータもある。共同建設の方が安上がりで、理にかなっていることは一目瞭然だ。

 それでも、走り出したら止まらない公共事業の典型なのか、首長によって軌道修正がなされる気配はない。このため、4月25日には「住民のためのより良い『ゴミ処理施設』をつくる会」のメンバーらが川崎町長に建設計画の差し止めを求める住民監査請求をするなど、共同のごみ処理施設建設をにらんで、方針転換を迫る動きはやみそうにない。

 現在の異様な状況を生み出した責任は、一義的には、伊藤市長をはじめ、地元の首長らにあることは言うまでもない。

 長崎大環境科学部の中村修・准教授(廃棄物資源循環)は「福岡県が役割を放棄している点も指摘できる」という。県が市や町の間に入って、調整役を務め、合理的で最も安価なやり方に落着させるべきではないかというのだ。それをせずに、ただ傍観しているだけでは県の存在意義が問われる、と中村さんは言う。都道府県の役割が国のただの通達機関でしかなくなるということなのだろう。

 中村さんが福岡県の姿勢をことさらに問題視するのは、ごみ焼却施設問題で、対照的な経過になった長崎県の事例があるからだ。

 中村さんによると、長崎県は1999年3月に県ごみ処理広域化計画を策定した。その後、20年間にわたって、一般家庭から出る一般廃棄物の収集から処理全般を規定する基本方針である。

 その後、長崎県で2004年3月1日から06年3月31日の間に市町村合併があり、市町村数は合併前の79から合併後の23に大幅に減少した。それに伴い、県ごみ処理広域化計画は09年7月に見直された。

 長崎県には98年度当時には、60もの焼却施設があった。当時の長崎県の市町村数は79のため、およそ1・6市町村に一つの割合で焼却施設が建てられていた勘定になる。

 そうした課題をふまえ、長崎県や県内の市町村は、焼却施設の数を調整して広域ブロックごとに廃棄物広域処理計画を策定した。だが、長崎県は日本有数の離島県であるため、県の担当者も当初は、合理的な配置や計画は困難だと想定していたという。

 そんな予想とは裏腹に、08年度までに目標としていた27施設を下回り、25施設まで数を減らすことに成功したのだ。長崎県はさらに

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