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[3]”STAP細胞”報道とジャーナリズムのいま 変わるプロフェッショナルとしてのジャーナリスト像

尾関章、亀松太郎、堀潤

ネット時代の情報発信の弱点やリスク

 尾関 私は大手メディアを辞めて半年なわけだけれども、今の時代、個人として1人で家でパソコンに向かっていても、かなりの情報が入ってくる。今のメールのやりとりなどもいろいろな人、科学者ともできる。だから、だんだんと皆さんがいろいろな形で、自分自身で取材できる時代になると思うんですね。

3人の議論に熱心に耳を傾ける人が多かった=2014年4月21日、東京・池袋のジュンク堂書店池袋本店3人の議論に熱心に耳を傾ける人が多かった=2014年4月21日、東京・池袋のジュンク堂書店池袋本店

 堀さんにうかがいたいのですが、このインターネットの時代、さっきおっしゃった24時間ずっと報道やニュースのことを考えているプロフェッショナルのジャーナリストですが、そのプロフェッショナルのジャーナリストは必要なのでしょうか。存在理由があるんでしょうか。これが一つの質問です。もう一つは、逆に、一般のというか、非メディアの専門家とか、一般の人たちが自ら取材や情報発信をすることの弱点とか、リスクなどはどう考えればいいのでしょうか。

 堀 そうですよね。プロのやっぱりジャーナリストは、これからますます価値の高い存在になっていくと思います。というのは、料理に例えると、とても美味しい肉や鮮度のいい魚、美味しい有機野菜のジャガイモだ、キュウリだと、さまざまな食材は豊富に仕入れられても、では、いかにそれらをきちんとした、トータルで食べておいしいコース料理にするのか。それには極めて専門性の高い技能やスキル、職能が必要です。非常に職人かたぎな世界であったりもする。そういうところに、その素材が入ってこそ生きてくるものなんですね。

堀潤氏堀潤氏

 一番大事なのは、やはりきちっとしたストーリーを第三者に対して伝えられるかどうかということだと僕は思います。これは伝達者として非常に重要ですよね。物語性のある話としてきちんと伝えられるかどうか。なぜ私たちは今これを聞かなきゃいけないのかというときに、ジャーナリストは、なぜ物語が語れるかというと、その前後の歴史的な文脈も含めて、その見つけてきた素材がいったいどのような意味を持つのかというのがよく分かるからなんですね。

 このジャガイモがいかにおいしいのかということを語る術を持っているから、そのジャーナリストが発信するものに価値が生まれる。それはなぜこのジャガイモがおいしいのかという発言を、確信を持って言うには、それまでの実績であったりとか、まったくおいしくないものとの比較であったりとか、そういったものが必要になってくる。

 ですから、専門的にきちんとその事実を検証したりとか、それについての事象を長年にわたってウオッチし続けているとか、もしくはもっと別の検証するために必要な人脈であったりとか、埋もれている非常に重要な事実のありかを知っているとか、そういったことがこれから問われるんですね。

リポーターとジャーナリストは明確に違う

 僕はこれを「Ustream」のチームの人たちと1回ディベートをしたことがあるんです。

 どういうディベートかというと、「Ustream」のチームは、「Usrteam」のような誰もがネットをつかって中継できるプラットフォームができたのだから、これでジャーナリストはほとんどいらなくなったと言うんですね。みんなが現場から伝えられるようになったと、これでメディアは大きく変わると。でも、僕はやはり、とは言っても、ジャーナリストは絶対必要だと思うと言いました。なぜなら、リポーターは生まれてもジャーナリストは生まれないと僕は彼らに説明したのです。両者は明確に違うのです。

 要は、「今ここの現場に着きました」とか、「かなり火が勢いよく上がっています」「屋根を越えてさらに火柱が上がっています」と伝えるのは、現場にいる「Ustream」をやる人たちです。これは誰でもできるでしょう、見たまましゃべればいいからです。

 しかし、では、「その火事は、どうしてこのような炎の出方、燃え方になっているのか」とか、「現状からみると出火原因は何だと思われるのか」、さらには「では、どこを重点的にしたどのような消火作業が必要で、今後消防はどういう動きをするのか」というようなことは、それなりの経験がある人たちじゃなければできないのです。火事はほんの基礎的な一例にすぎませんが、こうした違いがより明確になってくるのだと思います。

 ですから、リポーター的なことしかできないテレビ局員や新聞記者は、あまり用がないと言われてしまうのかもしれません。その代わり、現場や現地から上がってきた1次情報を、これまではまったく関心や興味をもっていなかった第三者に対して、そして、もちろん知りたい、分かりたいと強く思っていた人たちに対して、見事に伝えられる。こうした伝え切る能力を持った記者たちに対しては、たぶん大きなニーズがあるでしょう。あの人にぜひ記事を書いてほしい、あの人に調べてほしいというようなことになっていくのではないでしょうか。今でもすでに、たぶん弁護士さんの世界や、お医者さんの世界はそうなのではないですか。それがジャーナリズムの世界にも進んでいくのだと僕は思います。

記者が伝えるものはそもそも主観的

 尾関 亀松さんはどう考えますか、プロフェッショナル論は。

 亀松 基本的に、今、堀さんがお話ししたような形なのでしょうね。数の上でどれぐらいの需要があるのかというのは、ちょっと何とも分からないんですが、やっぱり一定数本当の意味でのプロフェッショナルなジャーナリストとされる人は、やっぱり求められていくだろうとは思います。

亀松太郎氏亀松太郎氏

 ただ、これまでのジャーナリスト像と少しやっぱり変わってくるところはあって、例えばかつては特ダネを取る記者が素晴らしいジャーナリストだとも言われていたのかもしれないですし、今でも本当の特ダネだったらそれはあってもいいんですが、ただ、今は本当に1次情報というのは、かなり直接本人から出たり、あとはそこの周辺にいる一般の人からかなりのものが出てきていて、特にネットを見たらもう情報が多過ぎて困ってしまう状態なわけですよね。

 普段、我々が接している中で入ってくる情報というのも、もう多過ぎて困るぐらいだと思うんですよ。そうすると、やはりそこを、いかに情報を整理して、あとは的確な価値判断をして分かりやすく伝えていくことが求められる。だから、今回のSTAP細胞の件については、そもそもどういう構図になっているのかというのを、その記者なりジャーナリストなりにプロとして分かりやすく見せていくということですね。

 ただ、ここは一般の人のある種の観念も変えていかなければいけないところですが、往々にして、今のマスコミ批判でよく言われるのが、「偏向している」とか、「本来客観的であるべきなのに主観的である」とかということです。つまり、「偏っている」という言われ方をするんですが、これは実は僕は違っていると思っています。そもそも記者が伝えるもの、テレビが伝えるものってすべて主観的に作られているはずなんですね。

 つまり、どういう情報を選んで流すかというところは、すべて人間が価値判断をして流していますから元々そういうものなのです。ただ、一般的にそれを何か中立であるかのように装ってはいるんですが、

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