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[6]”STAP細胞”報道とジャーナリズムのいま  議論広めるフロントランナーの役割に期待

尾関章、亀松太郎、堀潤

 メディアで分かるその国の民度

 尾関 今回のSTAP細胞をめぐってもそうですが、ネットこそ、さまざまな誹謗中傷が出やすいなと思っていたのですが、その辺は実際どうなのでしょうか。

会場からは熱心な質問が続いた=東京・池袋のジュンク堂書店池袋本店会場からは熱心な質問が続いた=東京・池袋のジュンク堂書店池袋本店

 亀松 いや、それは本当にそうですよ。

 尾関 だけど逆の批判というかな。今の亀松さんの話はそうですよね。つまり大手メディアがそういう、ちょっと人間性を疑われるような取材や質問したことに対して、それがネット上で批判されるということがあるわけですね。

 亀松 だから、非常にそこは、ものすごく多様なんですよね。これはネットでいろいろ調べてもらえば分かりますけど、やはり小保方さんの小学校の時の話とか、本当かどうか分からないような、非常にプライベートな個人情報的なものも書かれていたりもします。それはもうマスメディアよりもよっぽどひどい部分もあります。

 尾関 そうですね。堀さんのご本を拝読すると、これまでも取材にあたって人権を考える方だなという印象を受けました。例えば、事件や事故があった時に容疑者や被害者の顔写真を家族や親せき、あるいはかつて通っていた学校などへ行って探してきて記事につけるということを若いころ散々やらされましたが、堀さんはそれがすごく嫌で、自分なりの基準をつくってデスクをだまして(笑い)、うまく対処していたようですね。

  そうですね、顔写真などはうまくやり過ごしたりもしていましたね。

 尾関 だけどネットというのはそういうリスクを持っている部分もありますよね、顔写真がばっと出ちゃうとかね。その辺はどう思っていらっしゃるの。

  そうですね。メディアは国民の鏡という言葉があるように、メディアの民度はその国民の民度だというのは、僕は結構当たっているなと思います。なので、その民度を上げていくことが大切でしょう。やはり、そういう取材や報道の犠牲になっていくような人たちを少なくしていく努力をみんなでしていかなくてはいけない。石を投げる側に回るといくらでも投げられるんですけど、投げられる側に回るという悲惨さと言ったら、これはないですから。

 さきほど、顔写真の話がありましたけれども、僕が遺族の方とか、容疑者周りの取材とかをする中で明確に決めていたルールがあります。例えば殺人事件で、まだ容疑者が逃走中の事件の場合は、徹底的に容疑者の周辺を取材して探し出す。なぜかというと、自首してほしいとか、早く事件が解決してほしいと思うからですね。それこそ卒業アルバムの写真とかバーンと取ってきて、容疑者の写真を無神経にテレビに出したりする。それは、そういうふうにルールとして決めていたからですね、早く事件を解決するためと。

 しかし、すでに解決済みで今後検証になるようなタイミングなら、僕らのクルーがやらなくてもいいと判断して引く。『ニュースウォッチ9』というところに僕はずっといたんですけれども、『ニュースウォッチ9』内でもルールを決めていて、各社が囲んだところにはカメラを突っ込まないというのを決めたんですよ、メディアスクラムの中には入っていかないと。

 尾関 メディアスクラムという言葉がありますよね。

日常の不満にも問題解決の糸口

  はい。あそこはフジもテレ朝もいるし、見回すと別のNHKのクルーもいると分かったら、僕らは絶対そこはもういいから、違う現場に行こうということをしていました。石を投げられる側の立場に立つと、本当に苦しい、死んじゃうし、自殺するかもしれないと本当に思いますからね。ネットの中でも炎上を狙うようにいろいろな火炎瓶を次々に投げ込むような状況が時としてありますが、あれはそういう民度の部分が、可視化されているのだと思います。実は、圧倒的多数の善良な日本人は、ネットに書き込まないですよね。ですから、必ずしもあれがネットのすべてを言い表すものではないということも考えておかなくてはならないでしょうね。

 サイレントマジョリティーという言葉があります。圧倒的に多い良識のある人たちは、その様子を見て非常に残念だとか思っているはずです。ただ、一方で非常に心がとがっていたり、自分の日常空間に非常に不満があったり、誰かをうらやむような状況に追い込まれてしまっていたりとかすると、

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