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『昭和天皇実録』を内向きの「実録」に終わらせるな

岩井克己 ジャーナリスト

 『昭和天皇実録』全1万2千ページが完成した。来春から公刊される。

 事前の公開以来、「宝の山だ」と評価する声もあれば、「まるで単なる年表のようだ」「肝心のことや天皇の肉声が不採録となったりぼかされている」との不満も出るなど、様々な論者が様々な視点で論じ始めている。

 これらの褒貶(ほうへん)は、ある意味ではどちらも正しいと思う。

 現在と将来の読者が踏まえるべきは、これが『実録』と題され主として編年体で叙述されており、紀事本末体を大幅に取り入れた『明治天皇紀』のように『紀』と題されていないことだろう。編年体は年月に従って叙述するのに対し、紀事本末体は事柄を主としており歴史の原因と結果を知るのに適している。

 『明治天皇紀』を作成した臨時帝室編修局の「編修綱領」によると「主として編年体により、必要に応じて紀事本末体を用いる」との方針をとった。

 臨時帝室編修局の金子堅太郎総裁は伊藤博文の腹心として帝国憲法・皇室典範の起草に関わり米ハーバード大学で同窓のセオドア・ルーズベルト米大統領への戦時外交工作に携わったという経歴をもつ枢密顧問官。編修官長は長年にわたって昭和天皇に明治天皇の事績を進講した国史学者三上参次が務めた。

 その編修綱領では「天皇紀ハ天皇ノ言行ヲ記スル伝記タルト共ニ、天皇ノ治世中ニ起リタル大小ノ事変国勢ノ隆盛ヲ録スル国史タラサルヘカラサル事」とした。また「明治時代国内形勢ノ推移ハ外勢ノ刺激ニ因(よ)ルコト多キヲ以テ、明治天皇紀ハ内政ニ関聯シテ外勢ヲ叙録シ、以テ其ノ内外相交渉スル所以(ゆえん)ヲ明ラカニスル事」とも定められた。

 『昭和天皇実録』も一部に紀事本末体を加えてはいるものの、こうした『明治天皇紀』の「国史たらざるべからざること」という意気込みとはほど遠い。

 また『明治天皇紀』では、天皇の言動についても、事実ありのままに記述することを旨とした。

 「明治天皇英邁ノ資ハ天授ニシテ、史臣等ノ妄(みだ)リニ論議スヘキニアラス。故ニ明治天皇紀ハ天皇ノ言行ヲ事實ノマヽニ記述シ、敢ヘテ粉飾スル所アルヘカラス」(同編修綱領)

 たんなる伝記にとどまらず「明治時代史」として、開国・維新や日清・日露戦争の歴史読み物のような色合いもある。

 こうして出来上がった明治天皇紀が昭和天皇に奉呈されたのは昭和8年。

 『昭和天皇実録』は次のように記している。

 「昭和8年8月2日 水曜日 臨時帝室編修局総裁金子堅太郎に謁を賜い、明治天皇紀の編修終了につき奏上を受けられる。その際、金子より、日清・日露両戦役時における明治天皇の開戦御反対の聖慮の記述については

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