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神聖なる手水舎で無作法に顔を洗う海外観光客

ゴールデンウイークでごった返した京都、大寺院のトイレの不始末もひどい

薄雲鈴代 ライター

 今朝、托鉢に向かう雲水さんの一行と出くわした。「ほぉ~っ(法)」と腹の底から唸る雲水さんの声が町に響き渡って清々しい。禅寺の傍に暮らす私にとって、これが普段の朝の光景である。

 それにしてもゴールデンウィークは、海外の観光客に加えて、日本各地からのツアーでごった返した京都であった。四条通には、意外な店に長蛇の列ができ、通りがかった生粋の京都人が「なんでまた? あの店は何屋はん?」と冷笑半分に訊ねられることもしばしばあった。桜の季節が過ぎても、人気が途絶えることがない。京都の町は、いつ一息つくのだろうと心配になるほど、「閑散期」というものがなくなった。

 それでも早朝には雲水さんが托鉢にまわる、それが京都である。

 京都の名だたる大寺院は、日中、観光客が途絶えることなく、「よう儲かってはる」と揶揄される向きもあるが、私が取材で会うお坊さんたちは、やはり修行を第一に暮らされている方が多い。

 そのお坊さんから、日々深刻になる悩みを伺った。

 海外の観光客のトイレの始末がひどいのだ。世界遺産に名を連ねて、従来の和式だけでなく、洋式トイレも完備して対処しているものの、使い方がわからない方が多く、

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