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宗達・光琳・抱一「風神雷神図屏風」が京博に集う

琳派400年 風神雷神揃い踏み、京都では初めて

薄雲鈴代 ライター

俵屋宗達筆の国宝「風神雷神図屛風」(左隻)=建仁寺所蔵俵屋宗達筆の国宝「風神雷神図屛風」(左隻)=建仁寺所蔵
 今秋、京都はどこへ行っても「琳派」「琳派」である。

 街のいたるところに琳派のポスターが貼られ、400年記念行事が行われ、ビール缶のラベルにまで琳派の象徴である風神雷神がプリントされている。

 本阿弥光悦が、徳川家康から京都鷹峯の地を拝領して芸術村を開いたのが1615年のこと。それを琳派の初年と捉えて今年400年記念としている。この1年を通じて琳派の催しが行われてきたが、いよいよ京都国立博物館の「琳派京の彩り」展(~11月23日まで)で有終完美となる。

 東京ではこれまで何度も琳派に関する展覧会が開催されている。なかでも昭和47年に東京国立博物館で催された展覧会の名称を「琳派」といったことから、「琳派」という名が誕生した(ちなみに、それ以前は「宗達光琳派」といわれていた)。

 しかし、ご当地京都では、これが初めての琳派展となる。なぜに今まで京都で開催されなかったのか。光悦、宗達や光琳の描く文様は、京都においては日常にあるもので、取り立てて博物館の額縁越しに観るものではないと思われていたからである。東京ならば、わざわざ博物館に足を運ばないと出会えないものが、京都では着物の柄であり、お菓子の模様であり、はたまた包装紙のデザインとして、普段の暮らしの中で使われているものばかりなのだ。だから「なんでわざわざ博物館へ?」というのである。

 今回の400年記念行事も「なんでまた?」という冷めた声もあちこちで聞こえる。しかし、博物館で取材をしていて、これは観ずにはいられないと心がときめいた。琳派の根幹をなす俵屋宗達の描いた『風神雷神図屏風』、それに憧れて宗達の画とそっくり同寸で描いた尾形光琳の『風神雷神図屏風』、さらに光琳に憧れ、やはりおなじモチーフを描いた酒井抱一の『風神雷神図屏風』、この三者が一堂に会するのである。京都では実に75年ぶりである(ただし、三者が揃うのは、10月27日~11月8日なので要注意)。

憧れてリスペクトした私淑の流派

 俵屋宗達の国宝『風神雷神図屏風』は、建仁寺の境外塔頭である宇多野妙光寺の寺宝であり、普段は京博で保管されている。ゆえに、京都では馴染の神々である。それでも尾形光琳筆(東京国立博物館蔵)、酒井抱一筆(出光美術館蔵)が同時に鑑賞でき、六体の神さまが揃うとなると、それは稀なる一期一会である。というのも、それぞれの画には100年ほどの隔たりがあるのだ。狩野派をはじめ他の流派は、血縁でつながり、師弟関係によって画風が脈々と受け継がれているが、琳派に関しては生前にお互いが出会ってはいない。

 琳派とは何か、ということを、琳派研究の第一人者である河野元昭先生に訊ねたところ、

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