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何が羽生結弦をここまで追い詰めたのか?(上)

初戦での「調整」が許されない立場

青嶋ひろの フリーライター

 「同じジュニアの選手が、もう4回転を跳んでて、すごかった! 早く僕もああいうふうになりたいなあ……。いろいろな経験をしている選手の話を聞いたんですけど、海外の選手たちと一緒に練習することなんかも、憧れるなあ」

 強くなるということは、ときめきを失うことなのかもしれない。

 初めての戦いに臨む高揚。高い高いところにいる選手への憧れ。やっとつかんだ勝利の喜び……そんなものを、強くなればなるほど、彼らはどんどん失っていくのだ。

カナダ・トロントでの公開練習で笑顔を見せる羽生結弦=2015年8月カナダ・トロントでの公開練習で笑顔を見せる羽生結弦=2015年8月
 がんばってがんばって強くなったのに、喜びも、驚きも、得られるものは少なくなっていくばかり。強くなればなるほど、その場にいることは辛くなっていく――それが、戦うということなのだろうか。

 冒頭の言葉は、羽生結弦ジュニアデビュー前、13歳の夏のインタビューでのひとこま。

 グランプリシリーズ第1戦、ショートプログラムで6位に沈んだ彼を見た時、ふいに思い出された言葉だ。

 「憧れるなあ」――その声音も抑揚も、今でもはっきり耳に甦ってくる。まだ何も手にしていない少年の、幸せな言葉だ。

 それから7年、彼の目の前で、憧れの選手たちは次々に屈していった。

 いつの間にか彼は、「勝って当たり前」の存在になっていた。それはまぎれもなく栄光を掴んだ証拠だけれど、

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