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何が羽生結弦をここまで追い詰めたのか?(下)

「洗練」の第一歩を見せたフリー。しかし……

青嶋ひろの フリーライター

 きりっとした表情。

 すばらしい気魄に満ちた手足。

 集中力のすべてを、ジャンプに、身体表現に注ぎ込んで見せたフリー。

 ショートプログラムでの生気のなさをいっさい感じさせないプログラム「SEIMEI」を見て、人々は何を感じただろうか。

プログラム「SEIMEI」フリーのプログラム「SEIMEI」で巻き返した羽生結弦=ロイター
 「あのショートプログラムから、ここまで立て直せるなんて信じられない。さすが羽生結弦!」

 「いや、彼はこういう男だ。追いかける立場はむしろ得意のはず。あのショートプログラムの悔しさがあれば、このくらいできても不思議はない。驚きはないよ」

 驚いた、という人も、想定の範囲だ、と言う人も。しかしどちらも、このフリーをあまりにも羽生結弦らしい、と思ったはずだ。追い詰められてこそ爆発的な力が出せる、これが羽生結弦だ、と。

 しかし誰もが知っている「羽生結弦らしさ」。「彼らしく」あることは、どれほど大変なことだろうか。

 ショートプログラムで見せた姿を「羽生らしくない」と人は言うかもしれない。しかし、

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